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【第6回】「訪問看護ゼロ地域でのステーション開業。暮らしのなかに看護を根付かせていきたい」

個別性の宝庫である在宅医療の世界には、患者の個性と同じように、ケアする側も多彩で無数の悩みをかかえています。悩みにも個別性があり、一方で普遍性・共通性もあるようです。多くの先輩たちは、そうした悩みにどのように向き合い、目の前の壁をどのように越えてきたのでしょうか。また、自分と同世代の人たちは、今どんな悩みに直面しているのでしょうか。多くの患者と、もっと多くの医療従事者とつながってこられた秋山正子さんをホストに、よりよいケアを見つめ直すカフェとして誌上展開してきた本連載、noteにて再オープンです(連載期間:2017年1月~2018年12月)

【ホスト】秋山 正子
株式会社ケアーズ白十字訪問看護ステーション統括所長、暮らしの保健室室長、認定NPO 法人maggie’s tokyo 共同代表
【ゲスト】大槻 恭子 (おおつき きょうこ)
一般社団法人 ソーシャルデザインリガレッセ代表理事、看護師

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【対談前の思い・テーマ】
①訪問看護が全然知られていない地域で、どう根づいていこうか
 訪問看護ステーションがない地域での開業です。 地域の住民はもちろん、ヘルパーやケアマネジャー、医師にも必要性やその働きが浸透していません。まずは知ってもらうところから始めるために、地域に飛び出し溶け込めるよう、さまざまな試みをしているところです。
②地域の人に暮らしやすさを届けたい
 看護だけではなく、地域の人に安心感をもって暮らしてもらえるよう、寄り添う役割を担っていきたいと考えています。看護だからこそできるかかわり方を、自分たちの地域でも展開できればと考えています。

看護は独自性ある働き方ができるはず…

秋山 2015(平成27)年8月に訪問看護ステーションを開業されたのですね。
大槻 実は、訪問看護認定看護師の資格を取得して、それから独立しようと考えていました。「日本財団在宅看護センター起業家育成事業」のチラシの「看護師が社会を変える」の言葉に目が止まり、「私のやりたいことがここにあるのでは…」と、面接を受けに行ったのです。笹川記念保健協力財団によるその事業で勉強させてもらって、昨年開業ということになりました。
秋山 在宅看護にはずっと興味があったんですか。
大槻 看護専門学校の最後の授業で、ある先生から「戦争が起こったら、看護は何をするかわかる?」と質問されました。皆、「傷の手当て」「診療の補助」といったことを答えたのですが、その先生はひと言、「戦争をさせないことも看護なのよ」と言われたんですね。戦争というのは一つの例で、看護とはもっと抜本的なところから介入する必要があるという意味だろうと、当時の私はその言葉を解釈しました。
 その言葉はずっと印象に残っていたのですが、病棟勤務では、抜本的どころか今にも呼吸停止しそうなターミナルの患者に褥瘡をつくらないようマット交換を指示されるような状況で、だんだん病棟の看護に狭さを感じるようになりました。自分が思い描いていた看護や、「戦争をさせないことも看護」という言葉の衝撃を思い出すたびに、「看護ってもっと広い目でみる必要があるんじゃないか」って、ずっとウズウズしていたのです。ですから、もっと看護の独自性をたくさん出せる仕事があったらいいと思っていました。「訪問看護ならそれができるんじゃないかな」とずっと思っていました。
秋山 その後、実際に訪問看護師になってみて、思っていた看護は実践できましたか。
大槻 隣接する地域の病院の訪問看護ステーションで約4年働きました。地域に訪問看護ステーションが少ないため、担う患者数は多く、どうしてもケア重視に偏りがちで、患者の意思決定を支えるようなかかわりはもてない状況でした。そうした環境で訪問看護を続けるうち、ケアを提供するだけでなく、意思決定支援などのかかわりがもてるステーションが必要だと考えるようになり、起業を決意しました。
秋山 この事業は、必ず開業する前提で、起業家になる看護師を育成するというプロジェクトなんですよね。どんなタイプの看護師が参加していたのですか。
大槻 緩和ケア病棟だけで働いていて、訪問看護経験のない人や、病院の管理職の人など、いろいろな立場・経験の人がいました。
秋山 プロジェクト終了後には起業しなければならないルールなんですね。
大槻 訪問看護ステーションを立ち上げるルールです。24時間365日、地域の健康を護るということですね。ですからプログラムにはマーケティングも入っており、経営など右左のバランスシートや、会計士の授業もあったりします。とても頭を悩ませます(笑)。
秋山 今でも、同期の人と連絡を取ったりしますか。
大槻 それがあるのですごく安心です。緩和ケアでも、疼痛マネジメントのことでも、困ったときに認定看護師の同期に電話して、「こういうのがいいよ」と教えてもらったり。それでその結果を主治医に「認定看護師から、こういうアドバイスをもらったんですけど」と相談すると、「おお、そうか」と認めてもらえる。
 だから、そういうつながりはすごくありがたいですね。いろいろなことでつまずいたときに、すぐに電話ができるので。
 同期の人は皆、すごい人ばかりで、驚きました。自分は勢いだけだから(笑)。認定看護師は普通だし、大きな病院の看護部長とか、ステーションの所長、看護学校の管理職とか、そういう人ばかりでしたね。
秋山 「勢い」も、いいんじゃないですかね(笑)。勢いがないと、起業はなかなかできないですよね。研修を受けながら、仕事に行ったり来たりだったんですか?
大槻 仕事は退職しました。頻繁には帰れないですから、終わってから開業に向けて動きはじめた感じですね。
秋山 じゃあ、8カ月はほぼずっと東京にいて、それから半年くらいで立ち上げに至ったのですね。
大槻 はい。でも、プロジェクトの後もしぶとく東京に残って、精神科や小児の勉強がしたくて、それこそ厚かましくステーションに「実習に行かせてください」と頼んで研修させてもらいました。
 小児の勉強がしたかったのは、地元の兵庫県豊岡市近辺には、小児の受け皿がないからです。神戸のこども病院で働いていた看護師と話す機会があって、豊岡市近辺の地域の子どもたちが、「お家に帰りたい」と言いながら亡くなっていった経験を聞き、胸が痛くなって、やっぱり小児もやりたいと…。前のステーションでも受け入れはできていなかったので、勉強してやっていきたい、そういう声も聞いた以上は頑張りたい、と思って小児の勉強もさせてもらいました。
秋山 プロジェクトの修了からステーションの立ち上げまで、準備は大変でしたか。
大槻 東京にいる間も、法人の定款作成とか、税理士を探すとか、いろいろ動いていました。一緒に立ち上げるメンバーは、立ち上げる何カ月か前から月1回は集まって、こういう思いでやろうということを共有しながら準備を進めていきました。

実は不安いっぱいだったヘルパーたち

秋山 以前働いていたところとは少し異なる地域で開業されたそうですね。まったく訪問看護がない地域に立ち上げるのは、すごく大変だったと思います。介護保険が始まって14~15年経って、訪問看護というサービスメニューがあるのに、それまで一度も使ったことがないケアマネジャーは、「訪問看護って何するの?」という感じでしょう。
大槻 オープンする2カ月前くらいから、ケアマネジャーや地域の開業医に挨拶に行ったりしましたが、挨拶に行ったからといって患者につないでもらえるものではないので、最初は難しいですね。
秋山 これまで訪問看護がなかったということは、“なくて済んでる”地域なんですよね。そこに「私たちはこういうことができます」と掲げていくわけですから、大変ですよね。
大槻 まず言われるのが「訪問看護さん、高いよね。私ら、ヘルパーと医者でやっていけてるから」って。
 ヘルパーが、「頑張ってしまっている」んですね。ヘルパーがカバーしている医療の面がたくさんあって、「危ないな」と思う部分はあります。
秋山 ヘルパーがある程度判断して、医師に連絡したり、無理やり病院に連れて行ったり、みたいな感じですよね。
大槻 あとは地域性なのか、「すぐ救急車を呼べばいいよ」という考え方ですね。ただ、今それが少しずつ通用しなくなってきています。在宅移行になって、救急車で運んでも帰されることが増え、少し昔と違う空気が流れはじめているので、「ちょっと今までどおりではいかないな」と変わりはじめているところですね。
 でも、私たちが動きはじめて、現場で動いているヘルパーは、「すごく安心します」って言ってくれています。「私たちだけで、本当に今まで不安でした」って。
秋山 実はそうなんですね。
大槻 「どれだけ私たちが安心するか」と、現場のヘルパーは言ってくれますね。少しずつ「すごく安心だ」という感覚をわかってもらえてる感じです。
 きっとこれまで、ヘルパーは必死だったのだと思います。薬の管理から、それこそおしっこが出なくなったら導尿までしなければならない日常で、それでも入院できない、そういう人をヘルパーだけで支えていたケースもある。疾患を抱えながらの独居や老々世帯はとても多く、疾患も薬のこともよくわからないヘルパーにとっては、日常生活のケアだけに毎日入っているはずが、そういうわけにはいかなくなり、だんだん怖くなってきている。でも、「それが普通なのか」と思いながらケアしていて、やっぱり苦しいと思うのです。
秋山 苦労することの多い日常の介護業務のなかで、看護と組むと「安心」が得られる経験をしてもらえることが大切ですよね。
 「高い」と言われるなかで、利用してもらえるケースは増えてきていますか。
大槻 この辺りの地域はまずヘルパーをプランに入れて、余裕がある場合に「じゃあ訪問看護を入れてみようか」という感じでしか、最初は使ってもらえなかったです。アセスメントの視点が「医療が必要かどうか」になりにくいんですよね。
 ただ、それが、少しずつ変わってきています。以前、ケアマネジャーから、「訪問看護って全然わからないから、どう使うのか、勉強会をしてほしい」と呼んでもらったときに、意思決定支援の話を少ししたんですね。その話を聞いてくれたあるケアマネジャーは意思決定支援が大事だと思ってくれたようで、サービス担当者会議のときにとても上手に家族の気持ちを引き出していて、感動しました。こちらが動くことで、そうやって周りも変わってくるんだと感じています。
秋山 ヘルパーから直接の依頼というのは、ありますか。
大槻 「訪問看護師に入ってもらいたい」と、ヘルパーがケアマネジャーに言ってくれて、ケアマネジャーから依頼がくるパターンも最近出てきています。介護だけでケアしていたけれど、急激に状態が悪くなって、どうしてもヘルパーだけでは無理になっているケース。「入院もできないから」とヘルパーが発信してくれたことで訪問に入れているケースがありますね。
秋山 わざわざ「リハビリ対応型訪問看護ステーション」という名前にしたのは、あえて狙ってのことなのかしら。
大槻 これは訪問看護がまったくない地域でこれから展開していくのに、どうしたものかと戦略を練った結果です。「リハビリ対応型」って名前に入れたら、ちょっと使いやすいのか、ケアマネジャーは「リハビリだったらプランに入れてみようか」と言ってくれるんですよ。
秋山 白十字訪問看護ステーションには理学療法士(PT)が1人いて、もともと週2回訪問に出ていたのがだんだん増えて、今は5日全部埋まる感じなんですが、180~190人いる患者に対して、リハビリのニーズを全部彼が気づけてキャッチできているかというと、そうではありません。評価のために月1回だけリハビリが入って、そのときに看護が同行しても看護は報酬をもらえないんだけれども、それでも必要なので同行して看護がPTのリハビリ方針とすり合わせて、リハビリ機能を看護が訪問の際に担うようにする。そうしてPTを貴重な資源として用いて活躍してもらう。そういう応用をしていて、すごくいいですよ。
大槻 うちに今いるPTにも、もちろん訪問看護ステーションのなかのリハビリというところを意識してほしいし、疾患や症状についても気づいてもらいたいし、その話はよくするように意識しています。訪問看護をどうやって地域に知ってもらうのか、本当に頭を悩ませました。リハビリとうまく連携できていることで、受け入れてもらえている部分はあると思います。

地域に溶け込み、地域に根差す

大槻 地域に根付くという点ではもう一つ、豊岡市の官民共同の起業塾にも参加しました。
秋山 へー!
大槻 私が地域でどう展開していこうかと悩んでいたときに、知り合いになった人から、「こういう塾があるよ」と教えてもらって、「訪問看護自体がまだまだ理解してもらえていない地域だし」と、勇気を振り絞ってそこに入塾したんです。
 主に地域創生に向かうための塾なんですよね。豊岡市を盛り上げるプロジェクトをどう立ち上げるかという案を、イノベーションを含めて出すための塾なんです。25人くらいの参加者のうち、半分は行政からで、半分が豊岡市の経営者の息子とか、若くて実際に起業されている人たちが来ていました。もちろん看護師は私1人です。そのまったく違う職種の人たちのなかで、「訪問看護を8月からやります」とプレゼンテーションする機会を、たくさん得ることができたんです。
 「訪問看護師という職業があって、24時間・365日地域を走る看護師がいるんですよ」と、何回も言わせてもらう機会があって、その場でも理解者が何人か出てくるようになって…。
 最初は、誰もよくわからない感じでした。その反応を見るだけでも、「ああ、まだまだ訪問看護は知ってもらってない」と思えて、だから、本当に一歩一歩なんですが、そういうところでアピールする機会がもてたのは大きかったと思っています。
秋山 「日本財団在宅看護センター起業家育成事業」で学んだ大槻さんが、地元にもアンテナを張って、地元のプログラムにも参加して、地域に根付き、自分の身内ともいえる医療者だけではない外の人に知ってもらう努力を重ねている、そのセンスはすごいです。そこでの人脈は、これから先にやりたいと考えている看護小規模多機能の実現にも、きっと役に立つと思います。
大槻 どうしても、医療職は医療職で固まりやすいイメージがあるんですね。そこであえて自分が違う集団のなかに入ってみるというチャレンジをしたんです。いい機会だったと思いますし、これからもやっていきたいです。
 看護が病院から出てきて動くときって、結局、医療職だけではできないんですよね。病院みたいにPTがいて、薬剤師、医師がいるような専門職のコミュニティだけでは看護が展開できなくて、患者の暮らしに寄り添いながら私たちがケアするためには、地域のいろいろな人とかかわらないと力を発揮できないと思っています。
秋山 研修を終えた赤江さん(『在宅診療0-100』2016年5月号掲載) ももうすぐ戻られます。今後の展開が楽しみですね。
大槻 訪問看護をしっかり行うことはもちろんですが、「暮らしの保健室」のように地域の人と顔が見える関係になれる場所があるといいと考えています。先日も、訪問看護の24時間対応の電話に「○○病院の電話番号を教えてくれませんか」という問い合わせがあったんですよね(笑)。でも、私はその電話があったことがうれしくて。そういう相談を気軽にしてもらえるような位置にいないと、どれだけ「私はいいことやりますよ。看護をやりますよ」と言っても、使ってもらえないというか、地域に馴染んでいけない、溶け込んでいけないので。
 とくに今、高齢者は田舎でもけっこう孤立してるんですよ。ワイワイやってるようなイメージがあるんですけれど、若い人は都会へ出ているし、老々世帯や独居になっていて、けっこう皆、引きこもりがちだったり、コミュニティがしっかりしていなかったり、健康のきっかけになるような情報がそんなに回っていないような状況なんですよね。
 だから、そういう場をつくることって大きな意味がありますよね。かなり状態が悪くなったなかで看護をするというよりは、健康相談をやることで、地域に看護師がいることをどんどん知ってもらえるのかな、初めて暮らしのなかに看護が入ることで、暮らしやすくなることを皆に知ってもらえるのかな、って思っています。
秋山 暮らしやすさにかかわる点は、地域で実践する看護ならではだと思います。
 先日、ある認知症の人の事例検討をしました。その人は猫がすごく好きで、猫を家に置いていくことが気になってデイサービスに出かけられない。私たち在宅医療の側は、猫と一緒にいる生活が長かったので、この人と猫は一体化しているし家族のように思っているから、デイサービスに無理やり入れるのではなくて、「この人の家に皆が入ってきて、そこでデイのような刺激を得られたり、いろいろな人と出会う必要があるよね」と考えていたんですよ。
 でも、ある看護学の研究者が、「猫がいなかったらデイにも出てくるんじゃないかと思うから、猫を何とかしようと思わない?」って言ったんですよ。私たちは、猫をなんとかしようなどとは、一度も思わなかったんですね。猫がいるからデイに出られないのだとしたら、猫を何とかすればデイに出られるのか? 猫は家についた生き物。猫と人との共生も考えるという発想は、「暮らし」のなかでの看護を考えるということではないかと思います。
大槻 案外、今の看護職のなかでは、「猫をどうにかしたほうがいい」という人のほうが多かったりして。「そんなことない。猫はそのままにして、別のアプローチを考えよう」とは言えない看護師のほうが、病院じゃなくても多いような気がします。
 「やっぱり猫を置いておいてあげなきゃ、その人の暮らしのなかの大事な存在で、その人の生活のペースが保てるように」と、そこまで皆がわかって意見を言えたうえで、ケアが組み立てられる。そのためにも、ステーションやこうした保健室のような場で皆が意見をしっかり言えることが、とても大切だと思います。
 「暮らしの保健室」の場合は、やはり秋山さんの存在感が大きくかかわっていますよね(笑)。すごい人なのに、とてもやわらかくて、秋山さんの空気感によって、ステーションや周囲にいる皆が、きちんと意見が言えて、きちんと患者につながる看護が実践されている。だから、秋山さんみたいに存在していくにはどうすればいいんだろうと思っています。
秋山 (笑)。看護の実践の部分では、自立した看護師たちが、ちゃんと自分の意見が言える。それが大事かなと思います。経営の側面と、看護のケアの自立性というのと、まったく一緒ではないかもしれないんだけど、経営者は、ただ「お金を稼げ」と言うのではなくて、「何を目指してこの事業をしているか」というところはブレないようにすることが大切。経営状態の細かいところまでスタッフに見せて苦労をかけることはしなくていいわけで、そのへんは呑み込み、自分が引き受けなければならない部分だろうなと思っています。
大槻 トップの威厳をもつばかりではなくて、やわらかいところで皆に看護を伝えていける存在ってすごいと思います。
 私も、ついつい「頑張らなくては!」と思うと、緊張感がスタッフに伝わってしまうところが実際あると思うんです。

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大槻 「戦争をさせないことも看護なのよ」恩師の言葉を胸にみんなが暮らしやすくなるためのケア、地域づくりを目指します!

秋山 私が今日とても印象に残っているのは、学生のときに、「戦争をさせないことも看護」という言葉から感じ取った大槻さん。すごいなと思います。命の大切さを子どものときからきちんと皆に教えて、どういう状態でも互いの命を尊重する、そういうことがちゃんとわかれば「命の教育」として身に染みていく。看護が世の中にかかわるというのはそういうことだと思うので、学校の先生のその言葉はすごく深いものがあって、さらにそこに衝撃を受けた大槻さんがいるのがすばらしい。
 私も、地域のなかで命の大事さも含めて、命の教育が行われて、その行きつくところが、本当に自然な看取りができる町というか、究極の町づくりだと思っています。それには、看取りにかかわるだけではなくて、もっと手前、もっと入り口の、命の教育も含めた、一本筋の通った命に対する畏敬の念というか、それをもったケアの本質をブレさせない・ブレないこと、そこに尽きると思うのです。「暮らしの保健室」もその手前の活動に当たりますね。
大槻 そうですよね。私も、当時の先生の言葉が形になったのが「暮らしの保健室」のような場なのだと思います。本当に看護の根本のところというか、それが地域に自然に溶け込んでいくようにあるというのは、本当にすばらしいなと思います。そんなところが、私もほしいですね。やっていけたらなぁと思います。「坂町ミモザの家」も見学に行かせてもらいました。とても素敵で、空気も雰囲気もスタッフの皆さんもとてもいい感じで運営されていて、目指したいですね。
秋山 先日、岐阜県恵那市の「くわのみ」という、木をふんだんに使って全部平屋のグループホーム、訪問看護ステーション、認知症デイ、看護小規模多機能、5人限定サービス付き高齢者向け住宅などを運営している繁澤正彦さんという人に出会いました。そこの10周年の記念行事に呼ばれて、地域の人も集まったところで講演をさせてもらったのですが、その繁澤さんも、「この地域にはどうしてもグループホームが要る」と必要に駆られて、最初はスタートしたそうです。そのときに、何もないところで始めるので周りの人、近所の人が寄付をしてくれたり、土地を提供してくれたりするなかで、徐々に事業が広がっていく。その後、必要に迫られて1つずつ増えていったそうです。
 必要に迫られたから、何もないところからすごいチャレンジをしていく。それはコミュニティナースとしてすごいなと思うのです。「くわのみ」は訪問看護の仲間も定着してきていて、一つのモデルになれそうだと思いました。やはり、目の前にいる地域の人たちに、何を本当に必要なのかという、それが事を起こしていくエネルギーの源かなと思います。
 言い続けていけば、仲間というか、理解をしてくれる人たちが増えていくんですよ。地域の人たちが通ってもよし、こちらが行ってもよし、そして泊まってもよしという、そういう基地をつくったうえで、そこにフラッと来られる保健室のようなスペースがあって、そこから看護も出て行ける。そうした拠点が豊岡でもできればいいんじゃないかなと思います。大槻さんはすでに地域のこと、地域の課題が“見えた”状態でやり始めているので、ぜひ頑張ってください。応援しています。
大槻 10年頑張ったら、来てくれますか(笑)。(了)

§  §  §

対談をおえて

大槻 「暮らしの保健室」感動です。看護師が地域で動くということを改めて考える素晴らしい機会をいただきました。以前、白十字訪問看護ステーションにも一度お邪魔したことがあるのですが、とっても明るい雰囲気でスタッフのなかに学生も自然に混じり活気がみなぎっていました。秋山さんのぶれない思いが大きな力になっていくこと、そして誰もがいつでも、何でも話せる存在でありつづけることの大切さを身をもって学ばせていただきました。私自身、そしてもっと多くの看護師が地域の人々のそんな存在になっていく必要がありますね。
秋山 看護学校の先生の言葉を深く受け止めていた大槻さん。「戦争をさせないことも看護なのよ」という言葉を学生に伝えた教員に出会えた学生たちは、その植えられた種のような言葉を育てる使命をおったのかもしれないと思いました。それを実現しようと起業しスタートラインに立っている大槻さんの、これからの地域での活躍を期待しています。

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【ゲストプロフィール】
 一般社団法人 ソーシャルデザインリガレッセ代表理事/看護師。京都府南丹市出身。子どもの療養をきっかけに但馬に移住し築150年の古民家を購入。現在、その古民家を再生し看護小規模多機能型居宅介護事業や訪問看護ステーションを運営。福祉事業の古民家の一部にオーガニックレストランもOPEN。
 専門職が地域に出たことで見えてきた新たな意識の点に、これからの医療や新しいケアの可能性を感じている。空間と人にとっての時(トキ)の意味を見ることも好き。

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【ホストプロフィール】
 2016年10月maggie’s tokyoをオープン、センター長就任。事例検討に重きをおいた、暮らしの保健室での月1回の勉強会も継続、2020年ついに100回を超えた。2019年第47回フローレンス・ナイチンゲール記章受章。

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※本記事は、
『在宅新療0-100(ゼロヒャク)』 2016年10月号
「特集:QOLの視点から 老年症候群を読み解く」
内の連載記事を再掲したものです。

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『在宅新療0-100』は、0歳~100歳までの在宅医療と地域連携を考える専門雑誌として、2016年に創刊しました。誌名のとおり、0歳の子どもから100歳を超える高齢者、障害や疾病をもち困難をかかえるすべての方への在宅医療を考えることのできる雑誌であることを基本方針に据えた雑誌です。すべての方のさまざまな生活の場に応じて、日々の暮らしを支える医療、看護、ケア、さらに地域包括ケアシステムと多職種連携までを考える小誌は、2016年から2019年まで刊行され、現在は休刊中です。

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