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【第13回】Queen's Gambit

執筆:角田 ますみ(すみた ますみ)
   杏林大学保健学部准教授、 専門:生命倫理学、看護師

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 まだ看護師になって間もない頃のことだ。
 検査から戻る患者さんの車いすを押してエレベータに乗ると、患者さんが鼻をクンクンいわせた。その様子に私も同じく鼻をクンクンいわせてみると、うっすらと芳香剤のにおいがする。「お掃除の人がトイレ洗剤でもこぼしたのかしら」と首をひねると、患者さんは苦笑しながら「これは、あの人の香りだよ」と言った。「あの人?」と聞き返すと、「えー知らないの? カナコ先生だよ。あのド派手な女医さん。いつもほんの少しだけど香水つけてるだろ」と教えてくれた。
 
 カナコ先生は、確かに派手で有名な人だった。昔から代々続く医者一家の一人娘で、家柄や資産だけでなく、容姿、頭脳にも恵まれたお嬢様だった。当然、身に着けるものも庶民とは大違いで、白衣は自前で注文、ネーム刺繍も凝った字体だ。医者がよく履いている医療用サンダルなんか履かない。海外ブランドのファッションサンダルを履いている。それもペタンコじゃなくて、ヒールがあるところが彼女のこだわりだ。そのこだわりもさることながら、そんなサンダルで緊急時に階段を駆け上がってくるカナコ先生に、私は呆れつつ感心していた。
 
 そんな人だから自慢話もケタ違いだった。1歳の誕生日に、祖母から500万円もするチェスセットをもらったという。なんでも、チェス盤はオキニスと瑪瑙でできていて、駒は青銅に純金や銀を張って、彫刻師が一つ一つキングやクィーンなどを彫ったものだそうだ。衣装もすべて中世のものを再現し、マントの襞まで丁寧に彫られてあるらしい。
 カナコ先生が一番好きだった趣味が、チェスだった。本人によると、赤ん坊の頃からチェスをおもちゃにして育ち、3歳ですでに対局していたというのだから、筋金入りである。きっと、高価な駒をおしゃぶりがわりにしていたのだろう。
 
 カナコ先生によると、「チェスから人生のすべてを学べる」のだそうだ。
 彼女いわく、「策略や落とし穴、駆け引きが随所に含まれていて、それを推理したり、相手に仕掛けたりしながら、最後は直感でゲームを進め、優雅に相手を倒すことができるの。医者になったのも、医学がチェスと似てるから。敵はあらゆる疾患ね。そう、医学は闘いなのよ」と語るのを、いつかの飲み会で聞いたことがある。それを聞いた時、ちょっとキザな発言に私は笑ってしまったのだが、一緒にいた先輩ナースは、「何が優雅よ。医療って簡単にいかないから皆必死なんじゃないの」とか、「患者さんに興味がないからあんなことが言えるのよ」とむくれていた。
 たしかにカナコ先生の発言を聞いていると、患者さんのために働くのではなく、自分を表現するためだけに仕事をしているように思えた。
 
 そんなある夜、カナコ先生の患者さんが気分不快を訴え始めた。モニターには不整脈が多発している。カナコ先生をコールすると、こだわりのサンダルをカツカツ言わせながら駆けつけてきた。ちょっと髪の毛が乱れているところが珍しい。ほどなく、治療の効果がでて不整脈はおさまってきた。それを確認したカナコ先生は、ふぅと溜息をついて髪をかき上げると、「私、もう退散するわ。帰ってチェスの続きをやらなきゃ」と言った。思わず「熱心ですねぇ」と言うと、彼女は「当たり前よ、毎日勉強しなくちゃ。今晩だって、私がゲームの本を開いてクィーンズ・ギャンビットで白のポーンをクィーンの4に進めてこれからという時に、アナタが呼び出したんだから」と、まるで呪文みたいなことを口にして、白衣を翻してステーションを出て行った。カナコ先生の姿が消えると、先輩ナースが「なにがチェスよ、まったく」とぼやいた。
 
 カナコ先生が言っていたギャンビットとは、チェスのオープニングにおける戦術の一つで、先にポーンなどの駒を失う代わりに、展開や陣形の優位さを求める定跡をいう。クィーンズ・ギャンビットはその中の一つだ。実際のやり方は別として、クィーンズ・ギャンビットを直訳すれば、女王の策略ということもできる。女王だなんて、カナコ先生らしくて笑える、と私はひそかに思った。
 
 それから1週間もしないうちに、同じ患者さんに不整脈が多発し始めた。それも結構危険なパターンだ。しかも、この患者さんは1型糖尿病を患っており、血糖コントロールがうまくいかず、しばしばケトアシドーシスに陥った。そのたびに胃痙攣による苦痛や嘔吐、意識低下に陥り、かなり治療が難航していた。なによりも患者さんの苦痛が強く、それを少しでも緩和したくてナース達も頭を悩ませていた。
 
 もちろん担当医のカナコ先生も頭を悩ませていた。治療が効を奏さないので、上の先生たちからもせっつかれている。ずっとモニターをにらんでは、薬の指示を細かく出すので、ついに先輩ナースがぶち切れた。
 
 「いい加減してよ、何なのその指示!」
 「何よ、指示を出すのは私よ。私の治療に何か文句でもあるのかしら?」
 「あるわよ、大ありよ。そんなにちょろちょろ薬の量変えられちゃ困るじゃないの」  
 「困るのは患者さんでしょ」
 「困るのが患者さんだって? アンタさっきからモニターばっかり睨んで、一度だって患者さんのところに行ってないじゃないの。吐いてどんなに苦しい思いをしてるのか、知らないでしょ。モニターにずっと見張られてしょっちゅう薬の量を変えに来られて、不安でたまらないこと、わかってないじゃない!」
 
 そう言い切ると先輩ナースはぷいっと背中を向けてステーションを出て行ってしまった。カナコ先生は怒りで顔を真っ赤にしながら、しばらくモニターを睨んでいたが、少しするとステーションを出て行った。
 
 しばらくしても戻ってこないので、まさか帰っちゃったのかしらと心配になったら、病室にカナコ先生がいるのが見えた。患者さんを見てないといわれたから、病室に行ったのだろうか。病室に行ったとはいえ、そこでもカナコ先生はモニターを睨んでいるだけだったけれど。
 
 その後も状態はどんどん悪化していき、油断できない状況に陥った。血糖もコントロール不良で思わしくない。カナコ先生は眉間に皺を寄せてモニターを睨んでは、立ち上ると病室へ足を運び、また戻ってきては溜息をついた。
 その姿を見かねたのか、この間カナコ先生と言い合いになった先輩ナースが「いつもの威勢はどこへいったのよ。アンタが大好きなチェスみたいに早く勝負をつけなさいよ」と声をかけた。カナコ先生はわずかに眉を動かして「わかってるわよ」と言い返した。
 でも、その後しばらくカルテを睨んで、ぼそっと「今度は負けるかもしれない」と呟いた。
 「なに言ってるんですか。弱気なんてカナコ先生らしくないですよ」と私が言うと、カナコ先生は溜息をついて「基礎研究に行けばよかった。現場にいちゃいけないのよ、私なんて」と言って病室へ向かった。
 私はその言葉に驚いて何も言えなかった。まさかカナコ先生の口からそんな言葉が出るとは思わなかったのだ。悪気はないにせよ、多少の勘違いを伴って自信満々だったカナコ先生がそんなことを言うなんて。しかも、先輩ナースと言い合いになってから、割と病室に足を運び、時には意識のない患者さんの手をさすっていることもあった。そのさすり方はぎこちなくて役に立たないけれど、カナコ先生らしかった。
 
 そんなカナコ先生の姿を見て、私は、ある推理小説で読んだ言葉が思い浮かんだ。
 “チェスプレイヤーが陥りやすい罠とは、相手に好奇心を持つことだ”と。
 自分のためだけに働いていたカナコ先生が、患者さんに気持ちを傾け始めたとたん負けるなんて、そんなの切なすぎる。
 
 チェスは試合が進むにつれて、たくさんの駒が盤外に出ていくゲームである。最初はすべての駒を持っているのだ。でも、陣地からでて動けば動くほど、相手に駒を失わせることもできるが、自分も様々な駒を失っていく。それがチェスの勝負だ。
 カナコ先生は銀のスプーンを何本もくわえて生まれてきたようなお嬢様だから、多少失っても困らないかもしれない。でも、今度の勝負は負けてほしくないと思った。
 
 それから数週間、私達の願いもむなしく、患者さんは亡くなった。
 お見送りの時、患者さんの愛娘が急に車から降りて駆け寄ってくると、カナコ先生に向かって頭を下げた。
 「ろくに眠らず、ずっとつきっきりでみてくれて本当にありがとうございました。今晩はどうかよく眠って早くあの綺麗なカナコ先生に戻ってくださいね」
 そう言って涙を浮かべた。カナコ先生の目も真っ赤だった。
 
 これもたぶん何かで読んだのかもしれない。
 “プロの強さは、好手妙手を指すところにではなく、必敗になってもなかなか負けないところにある”と。
 
 そうならば、今回はカナコ先生の負けだったのかもしれないが、それでもかなり頑張ったし、いつもより強かったんじゃないだろうか。
 
 医師にとっての好手妙手は治療技術や手技かもしれない。でも最後はどれだけ患者さんのために寄り添えるか、そこが医師として、そしてひとりの人としての器なのかもしれない。カナコ先生は、患者さんが悪化してからの日々を一つひとつ自分の意思で自分なりの思いで寄り添おうとした。それこそチェスプレーヤーのように少しずつ患者さんとの距離を縮めていった。その姿は不器用だったけれど、闘いではなく、患者さんを守るためのプレーヤーだった。もちろん足にはあの高級サンダルだ。そうでないと、カナコ先生らしくない。
 
 だから、私はカナコ先生に言った。
 「カナコ先生、基礎研究なんかに行っちゃダメですよ。現場にいてください」
 
 するとカナコ先生は鼻をすすってちょっと笑顔を見せた。いつもばっちり化粧していたカナコ先生が、ここ数日は患者さんにつきっきりで化粧する暇もなくスッピンで、眉毛もなかった。でも、眉毛なしで涙浮かべて微笑む姿は、とても美しく見えた。

【著者プロフィール】 東京生まれ。早稲田大学大学院人間科学研究科修了。大学附属病院、総合病院などを経て、訪問看護に携わり、多くの人たちの最期を看取る。そのときの経験から「人生の最期はできる限り本人の希望を生かしたい」と思い、生命倫理学(バイオエシックス)の世界へ。アドバンス・ケア・プランニング(ACP)をはじめとする、人生における意思決定支援を中心にさまざまな倫理的問題をライフワークとしており、「医療における関係性のなかの意思決定」や「終活視点で考えるアドバンス・ケア・プランニング」などの講演や、地域と組んで「きらり人生ノート」などのエンディングノートを監修している。また、医療や介護における倫理教育プログラム開発などの研究を手がけている。福島県立医科大学がんの遺伝外来で遺伝カウンセリングにも携わっている。現在、杏林大学保健学部准教授。 主な著書『笑う角田には福が来る~訪問看護で出会った人々のきらめく16の物語~』(へるす出版)等がある。2022年、アドバンスケアプランニング(Advanced Care Planning; ACP)に関する書籍を発刊。

ここからスタート アドバンス・ケア・プランニング  ACPがみえてくる新しいアプローチと実践例』(へるす出版)

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