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あの神文字書きが、犯したいほど憎いんだ 第一話「周野才斗」

 小説とは自分が見る景色を文字で切り取る芸術である、というのが周野才斗の考えだった。
 誰かの受け売りか、あるいは、一から自分で作りあげたものなのかは、もう覚えていない。ただ、初めて小説らしいものを書いた小学生の頃から、大学生である現在に至るまでの何処かのタイミングで形成されたのは確かで、今では確固たる信念のようなものさえになっていた。
 たとえば友人との会話、たとえばふと振り向いた時に見えた街の灯……そういったものを、自分の言葉で表現する。才斗にとっては、それが小説だった。
 私小説やノンフィクションを書いているわけではないから、本当にそのままを描いているわけではない。
 イメージとしては、パッチワークだ、と才斗は思っている。自分が見て、聞いてきた景色を切り取って、それを組み合わせて別のものを作り上げる。出来上がったものは、実際にあったことではなくても、確かなリアリティを持つ。
 書き手としても、読み手としても、こうした作品が才斗の好みだった。
 この手法で、いつかプロの小説家になれたら、というのが彼の夢だ。
 そのために、ただただ文章を磨き続けている。ハサミの刃を研ぐように。

 彼の信念が揺らいだのは、ある秋の日のことだった。
 所属している文芸サークルの部室で、後輩が一冊の同人誌を渡してきたのだ。
「これ、面白かったですよ」
 才斗はその後輩、間野の顔を見たあと、同人誌を受け取り、表紙を一瞥して、間野の顔へ視線を戻した。
「睨まないでくださいよ」
「俺の趣味は、知っているだろ?」
 間野は悪びれもなく「知っていますが」と返した。
「なら、これが好きだと思うか?」
 才斗は同人誌の表紙を軽くたたいた。
 美少女キャラクターが、何やら機械を足にはめて空を飛んでいるイラストが描かれている、いかにもライトノベルちっくな表紙だった。
「面白かったって言ってるだけで、先輩が好きとは言ってないはずですけど」
 そのまま受け取ってほしいですね、と間野は生意気に笑った。
 才斗も笑いながら「あー、ごめんな、行間を読み取ってしまって」と軽口を返す。
 男にしては長く伸ばしすぎの髪と分厚い眼鏡といったぱっと見の外見が一見、心を閉ざしているように見えるのだが、間野はなかなかに陽気な奴で、才斗は彼のことが好きだった。良い後輩だと思っている。
 ただし、趣味は恐ろしいくらいに合わない。
 才斗が重い小説が好きなら、彼は軽い小説が好きなのだ。
「でも、ですね」間野は身を乗り出した。「面白かったんですよ、マジで」
 才斗は「おっ」と感心した。
 普段の間野なら「やっぱり先輩にはわからないですよね」とかなんとか言って、ここは退いているところだ。
「……そもそも、これ、何の同人なんだ?」
 才斗は再び視線を表紙に落とす。さっきはまともに読んでなかったタイトルと、発行者の名前を目でなぞった。〈スカイ・ハイ!〉というのが同人誌のタイトル、その下に書かれた〈天賀再〉というのが作者名らしい。
「美少女スチーム・パンク・ハイ・ファンタジー・なろう風……といったところですかね」
「まったくもって想像がつかない」
「まあ、中身よりも文章が、凄えんですよ」
 才斗は「文章」とオウム返しをしながら、ページをめくった。
 期待はしていなかった。
 間野の好きな文章と、才斗が好きな文章はそもそもが違う。本人には言わないが、間野の書く文章を内心「こんなの小説じゃない」と小馬鹿にしていたのが才斗だ。
 だから、これも、どうせ――という才斗の心は、一瞬で吹き飛んだ。
「ね?」
 間野が才斗の隣で囁く。
 だが、才斗にはその声は届かなかった。
 一見したところは、いや、何度見ても、滅茶苦茶な文章だった。視点が整っていない。体言止めの多用も鬱陶しい。語彙も幼稚だ。
 だが、奔流するようなリズムに満ちていて、言葉を辿ると、勝手に頭の中にイメージが湧きだす。そこに見えるのは、どこにもない世界だ。見たことなんてない、ありえない光景だ。
 つまりは、才斗の書く、あるいは求める文章とは真逆の文章だった。
 しかし、魅了されざるを得ない迫力があった。
 気がついた時には、才斗は百ページほどのその冊子を読み切ってしまっていた。
「どうです?」
 間野がニヤニヤと笑う。
「……天才」
 才斗は、ただ、それだけ言うのが精いっぱいだった。
 それ以上なにか言おうとしたら、それは叫び声になってしまっただろう。そして、その叫び声に込められているのは、感嘆でも、感動でもない。嫉妬だ。
 
 その日、家に帰ってから才斗は〈スカイ・ハイ!〉を読み返した。間野に貸してくれ、と頼んだのだ。
 今度は、粗探しをするつもりだったが、やはり、初読同様に引き込まれてしまった。
 そもそも粗なんか最初から見えている。それでもなお、読ませられてしまった、という話なんだから粗探しをしようたって、才斗の満足する結論が得られるわけがない。
 ここの文章なんて酷い。俺ならこうは書かない――そういう思いが果てしなく湧き上がってくるが、しかし、それらよりも圧倒的に「それでも俺はこれを書くことができない」という念が強かった。
「ああっ、クソっ」
 頭をかきむしって、冊子を投げ捨てるようにベッドへ放り投げた。
 ページが開いた形で着地してしまったので、慌てて拾いあげる。借り物に、曲がり跡が残ってしまってはまずい。
 丁度、奥付のページが開いていて、自然、目に入った。
「ツイッター、やってるのか……」
 作者名の下にアカウントのIDが書いてあった。
 才斗はスマートフォンを充電器から引き抜いて、ツイッターを開いた。
 IDを打ち込む。
 天賀再は〈スカイ・ハイ!〉の表紙をそのままアカウントのアイコンにしていた。このアカウントはあなたの知り合いにフォローされています、と間野のアイコンも画面に表示されている。
 そんなに呟く方ではないらしい。結構前からアカウントがあるみたいなのに、ツイート数が千未満だった。呟いても、他愛もない日常のことを書いているだけ。
 ようやく、こいつの人間らしいところを感じられた、と才斗はちょっとだけホッとした気分になったが、直後、とあるツイートが目に入って、画面をスワイプする指が固まってしまった。
『〈未来埠頭〉読みました。「愛されIと憎まれAI」凄い良かった!AIちゃん可愛い~』
 〈未来埠頭〉は、才斗と間野が所属しているサークルが出している同人誌だ。
 「愛されIと憎まれAI」は、間野が前号に書いた短編で……才斗は、まったく評価していない作品だった。
 慌てて前後のツイートを確認する。才斗のペンネームも、作品名も書かれていなかった。
 再び、嫉妬の炎が才斗の中に燃え上がった。
 ――あんな、取るに足らない作品を評価しているくせに、俺の作品は評価していないのか? もしかして読んですらいないのか?
 才斗は立ち上がって、本棚から〈未来埠頭〉を取り出した。
 「愛されIと憎まれAI」のページを開き、文章を拾い読む。小説として、才斗が評価できる代物ではなかった。これなら、よほど、自分が書いた作品の方が……としばらく悶えてからふっと笑った。
「執筆の能力はともかくとして、審美眼についてはろくなものを持っていないようだな」
 嫉妬の末の雑なマウントだ、とは、才斗自身も自覚していた。
 ため息を吐いたところで、スマートフォンが震えた。
 見るとゼミの友人からの今からカラオケに来ないか、という誘いだった。
 ストレス発散、するかとイエスを返しかけたが、そこで止まる。別の文章を打ち込んだ。
『ごめん、今日は小説書きたいから』
 よしっ、と独り言を言うと才斗は机へ向かった。
 この気持ちを、エネルギーにしてやる。
 
 それから一か月ほどが経った日曜日、才斗は間野に誘われて同人誌即売会へと出かけた。
「珍しいっすね」
 行きの電車の中で、間野が心底意外だという様子で話しかけてきた。
「なにが」
「先輩、普段サークルで出展していないと、こういうの来ないじゃないですか。それに今日はどっちかっていうと俺の趣味の作品のが多いイベントですし」
「……気になるサークルが出しているから」
「ひょっとして、天賀さんですか?」
 図星だった。
 才斗は、なるべく、こちらの感情を悟られないように、平淡な調子に聞こえるように、気をつけながら「違うよ」と返した。
 そこで駅に着く。
 会場は降りてすぐの都営のイベントホールだ。
 コミック・マーケットのほどではないが、文芸中心の即売会としては大規模なイベントで、この施設の二つの大ホールを貸し切って開催されていた。
「俺が行きたいところから回っても良いですか?」
 間野は入って右のホールへ足を向けた。
 そちらがホールA、もう片方がホールBと案内が出ているのを確認してから才斗は「良いけど、トイレ行きたいから先に見てて」
「待ってますよ」
「良いから」
 間野は一瞬、怪訝そうな顔をしたが「了解っす」と言ってホールAへと歩いていった。
 その背中を見送ったあと、才斗は踵を返す。――天賀再は、ホールBのスペース69にブースを取っている筈だ。
 早足で、真っ直ぐに向かう。マップは頭の中に叩き込んでいたので、すぐに見つかった。
「いた」
 思わず、呟いてしまった。
 そして、立ち止まってしまった。
 天賀再と思われるその男は、左右のブースに気圧されてでもいるかのように縮こまって座っていた。
 思っていたよりも、ずっと若く見える。大学生である筈なのだけれど、小さな体も、気を使っていなさそうなのに艶やかな髪も、柔らかそうな肌も、少年のようにしか見えない。精一杯、年齢を高くみても高校一年生くらいにしか思えなかった。自分は場違いだとでも言うように、落ち着かなくキョロキョロ辺りを見続けているのも、いかにも子供っぽい。
 あれが〈スカイ・ハイ!〉を書いた人か。自分は、あいつに、負けたのか――才斗の中に、天才、という文字がポカリと浮かぶ。スレていない印象を与える、幼ささえ残る風貌の小説家、笑ってしまうくらい、その言葉に相応しいように思えた。
 深呼吸をしてから才斗はブースに近寄った。
「すいません」
 声をかけると、天賀はビクンと体を跳ねさせて「はい!」と返す。まだ声変わりしていないんじゃないか、と思う高い声色で、才斗は思わず笑ってしまった。
「新刊と……あと、既刊の二冊もいただけますか?」
「ありがとうございます!」
 ほとんど才斗の語尾にかぶせるようにお礼を言って、天賀は頭を下げた。目の前に並べた冊子を重ねて「はい」と才斗に渡してくる。勢いに苦笑しながら受け取った。
 ありがとうございます、とこちらからも言って才斗はくるりと振り返った。
 そのまま歩み去ろうと一歩踏み出したところで、固まった。
 目の前ににやけ顔の間野が立っていた。
「やっぱり、天賀さんが目当てなんじゃないですか、先輩」
「お、お前」
 間野はふっと笑って、才斗の肩を叩いてから横をすり抜ける。
「どうも、天賀さん。うちのサークルの先輩です。この間〈スカイ・ハイ!〉を読ませてやったら、すっかりファンになっちゃったみたいで」
 勝手なことを言いやがって、と言いたかったが、言えなかった。ここで否定したら失礼になる、と才斗の中の社会性が邪魔をした。
「間野さんの先輩ってことは……〈未来埠頭〉にも?」
「書いてますよ。ペンネームは何でしたっけ、先輩」
 そう言って才斗の方を見る間野の口端は、こころなしか先ほどよりももっと上がっていた。
 対し、才斗は苦虫を噛み潰したような顔になってしまう。チクショウ、と心の中で言ってから「本名と一緒だよ。苗字だけだけど。周野」と返す。
 言い終わってから、恐る恐る天賀の顔を見た。――読んだのか? 読んでいないのか? それがようやく分かる。
「周野、さん」
 少し沈黙を挟んでから、天賀は天真爛漫、といった具合の笑顔を浮かべながら申し訳なさそうに「すいません」と頭を下げた。
「まだ読めていません! 家に帰ったら読んでみます!」
 ズキン、と才斗の胸が痛んだ。
 すう、と音をたてて息を吸い込む。それでようやく落ち着いたので、絞り出すように「よろしく、お願いします」とだけ返した。
 言ってから、耐えきれなくなって、不作法だと思いながらも「じゃあ、これで」と上ずった声を出しながら間野の袖を引っ張る。
「どうしたんすか。まだ、俺、天賀さんの新刊買えてないですよ」
 言われて、そりゃそうだと我に返る。
「えっと、ごめん、さっき、言ったじゃん。ほら、俺、トイレ行きたいから」
 余りの不自然さに才斗は言いながら赤面をする。
 頭をふるふると振ってから「ということで」と二人の顔を見ないように頭を下げて、その場を立ち去った。
 歩きながらさっきの天賀の言葉を口の中で転がす。『まだ読めていません! 家に帰ったら読んでみます!』
 ――バカにしやがって。
 才斗の中で、天賀に対する嫉妬が、また別の感情に変化しようとしていた。

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