15.若者の苦悩と自殺
日本に住む若者…15~39歳までの人の死因の第1位は“自殺”です。
先進国とされるG7(フランス、ドイツ、イタリア、イギリス、カナダ、アメリカ、日本)の中でも、若者の死因第1位が“自殺”なのは、日本だけという恥ずべき事態です。
2022年の日本国内の自殺者数は21584人でした。
2021年と比べて577人増え、2年ぶりに増加しました。
新型コロナウイルスの国内流行前は10年連続で減少し、2019年に約2万人になりましたが、コロナ禍で1000人程増えたまま高止まりの状況が続いています。
厚生労働省の担当者は、“40~60代の男性の他、失業者や年金生活者らで増加が目立ちます。著名人の自殺の影響もあったのではないか”と分析しているようです。
男女別では、男性が前年比604人増えて、14543人で13年ぶりに増加しました。
女性は前年比27人減の7041人でしたが、コロナ禍前よりは1000人近く多い状態です。
失業者の自殺は1038人で、前年の581人に比べて約1.8倍に増加しています。
年金や雇用保険で生活している人は5347人で、705人増えています。
原因、動機別では、健康問題が11125人と最多で、次いで家庭問題が4214人になっています。
厚生労働省によると、2022年の出生数は799728人と過去最少を記録し、その一方で過去最多となる514人の小中高校生が自殺で亡くなりました。
自殺が増える時間帯としては、午前0時から午前6時と言われています。
その時間帯に対応できる相談窓口の増加が今後の課題になると考えられます。
しかも、この相談方法のニーズも変化してきています。
現在は特に若い人に多いですが、電話で話す習慣がなく、友人とのやりとりもSNSで済ませることが多い状況です。
そして、自分の顔や名前が特定されることに険悪感を感じる人たちが多いです。
学校などでも住所録や連絡網などが、作れなくなった時代です。
自分の顔や名前が特定されるだけでも抵抗があり、その上で、誰かに頼るということも恥ずかしいという…悪循環になりがちです。
それでいて、周囲に相談できる人がいないと…。
そういう現状もあり、匿名で相談できるチャットは自己開示しやすい重要なツールになります。
LINEは携帯電話番号の登録が必要なので、携帯電話がないと使うことができません。
電話番号の登録も声を発することも必要のない、匿名で利用できるチャットでの相談窓口は実用的です。
これがあると、学校のパソコン室からの相談も可能ですし、GIGAスクール構想で配布された1人1台の端末を使って相談することもできます。
どの世代にも言えることではありますが、“この年代はこういう問題を抱えている”と枠組を決めつけることはできません。
家庭の問題や、友人関係、恋愛、学業、将来への漠然とした不安など…人それぞれに違いがあります。
当然のことですが、複合化していることもあります。
親や家族、先生など、周囲に大人がいたとしても、悩みを吐き出せない子どもが多いことが、若者の死亡原因の第1位が自殺者数であるという事実からもわかります。
その背景には、相談することや頼ることが恥ずかしいという感情や、社会に蔓延する自己責任論があると考えられます。
各世代の生活習慣や文化に適したツールを使用した相談の場が求められます。
私も、信頼できる…頼りになる誰かと出会う“巡り合わせ”は、実はそんなに多くないということを40年以上生きてきて学びました。
だから今の時代は、そういう面での専門職が必要とされるのだと思います。
1998年以降、自殺で亡くなる人の数は3万人台が続いていましたが、2006年に自殺対策基本法が施行されるなど、対応が強化されるようになってからは減少しています。
しかし、全体では減少傾向にある中で、自殺で亡くなる子どもは増加していて、昨年は過去最多を記録しました。
コロナ禍の影響も大きいと考えられますが、それ以前から続いている問題でもあり、これは大きな問題です。
国も、この事態を重く受け止めて動き始めました。
今年4月には、こども家庭庁を中心とした“こどもの自殺対策に関する関係省庁連絡会議”を開催し、骨太方針の策定にあたって対策をまとめているところだと思います。
しかし、これまでも莫大な国家予算を投じて自殺対策をしてきたにも関わらず、どうして子どもや若者の自殺だけが増えたのかということを、まずはそのモニタリングをするべき時に今はあると思います。
それをしないで、新しいことをやってもうまくいくはずはないと考えられます。
現在、いじめを原因とした自殺の調査義務はありますが、それ以外の自殺は調査されていません。
自殺の原因は多様で複合的なものなのに、調査がしっかり行われていないということです。
警察や文部科学省、厚生労働省など、横断的に子どもの死亡を検証する仕組もありません。
まずは、すべての自殺の原因を調査して、これまでの対策を検証した上で、新たな視点を取り入れた対策を考える必要があります。
文科省もスクールカウンセラーの配置を拡充する他、不登校対策“COCOLOプラン”で、1人1台の端末を活用した心身の不調の早期発見を掲げるなど、心のケアに関する対策を進めています。
しかし、こうした取組も、子どもの実態と合っていない可能性もあります。
スクールカウンセラーの配置は、1995年の154か所から現在の約30000か所と、この27年で約200倍に増えてはいますが、自殺で亡くなる子どもは増えています。
スクールカウンセラーの存在は重要で、学校をより良い場にすることも大切ですが、多くの子どもは学校や友人に悩みを知られたくないと考えていると思われ、そのことからもスクールカウンセラーの配置は有効な解決策とは考えられないですし、1人1台端末による健康観察も、心身の不調を学校が把握することが前提なので、最善策とは思えません。
こう考えると、学校主体の支援体制から抜け出して、子どもの悩み相談は、子ども達の主要な社会となる学校と距離を置いた第三者機関で対応する必要があるのかもしれません。
現状は自治体によって端末の運用ルールが異なっていて、SNSの使用制限があり、LINE相談窓口にアクセスできないことや、最も相談が多くなる深夜に端末が使えないという地域もあります。
文科省がこの辺りの調査をしっかり行って、端末の運用ルールを定めて、子どもたちが端末からアクセスできる適切な相談窓口にきちんと予算を振り分けることも今後の重要な検討課題になると思います。
そして、支援する側も心に大きな負担を持つことがあります。
なので、まずは“自分は何かできる”とか“助けてあげられる存在”といった考え方は持たないぐらいで良いのではないかと考えます。
結局はその当事者の問題は本人の問題であり、支援者は“無力な存在だ”ということです。
支援には必ず限界点があります。
“助ける”、“救う”という考えは捨てて、死にたいぐらいに苦しい状況に立たされている人の話に耳を傾けることで“今日は死ぬのをやめておこう”と、状態をマイナスからゼロに繋げることはできるかもしれません。
“聴く”ことで、死ぬこと以外にも方法があるかもしれないと気付かせてあげることぐらいはできるかもしれません。
緊急時は別として、まずはじっくり話を聴いてラポール(信頼関係)を築くことを大切にしたいものです。
その上で、児童相談所や警察などの支援機関に繋ぎます。
伴走型支援です。
学校の先生や保護者も、その子どもの話にじっくり耳を傾けることぐらいはできるのではないか…と思います。
でも、その余裕がないから専門職が必要になるということでしょう。
子どもにとって必要なのは“問題を解決してくれる人”ではなく“受け止めてくれる存在”だと思います。
誰だって、生きる上で必ず悩みは生じるものです。
だからこそ、その場凌ぎの応急処置ではなく、自立して歩んでいけるように、寄り添って導く伴走型支援をすることが、周囲の人間や私たちのような第三者機関の役目だと思います。
しかし、出生数が減少しているとは言ってもすべての子どもに対応する窓口を設けることは不可能です。
やはり、学校や家庭に子どもを受け止めて寄り添う大人がいることが理想だと思います。
誰かに頼れることが当たり前である社会にしなければいけません。
子どもにとって、家庭は安全な場所であるべきで、苦しい時には家にいることで満たされる…癒されるような状況であるべきです。
でも、そうではないとしたら…。
大人が抱える不安は子どもに伝わります。
親世代の孤独や孤立に寄り添うこともまた、結果的には子どもに寄り添うことに繋がると思います。
2023年には孤立・孤独対策推進法も成立して対策は強化されています。
このような厳しさを増す社会情勢の中で、誰もが孤独や不安に追い詰められる可能性があります。
その しわ寄せが弱い存在である子どもたちを追い詰める前に、しっかりと対応できるような対策が求められます。
これまで、チャットでの相談もこれからの時代は有効だと書いてきましたが、近年はパソコンやスマートフォンを使ったいじめが、小中高校などで急増しています。
文部科学省によると、2021年度は21900件になり統計を取り始めた2006年度の約4.5倍にまで膨れ上がりました。
この増加の背景には、コロナ禍で学校での対面や会話が減少したことに加えて、ネット空間で同じような考えの人たちの意見が反響し合う“エコーチェンバー(反響室)”もあると考えられています。
子どもたちは、大人に比べて交友関係が狭く、閉ざされたSNS上でやり取りするうちに、自分たちの考えが正しいと思い込んでしまい、いじめがエスカレートしやすいと考えられています。
新しいアプリが次々に登場することや、低年齢化が進むことで手口も巧妙化して、大人が気づきにくい状況になっています。
このように、SNSではいじめが深刻化しやすいと考えられています。
SNSによるいじめの大きな特徴は、いじめる側が罪悪感を感じにくい点です。
SNSに限らず、いじめは“被害者への共感や同情”、“深刻度の認識”があれば起きにくいと言われています。
しかし、SNSでは相手が苦しむ様子を目の前で見ないことが多いのと、投稿者や拡散者などの役割が多岐に渡っていて、ひとりひとりの加担の度合いが小さくなりがちです。
相手の何気ない発言や投稿をネガティブに捉えて敵対視する“敵意帰属バイアス”にも陥りやすいです。
いじめる側の投稿の内容を深く考えずに、習慣的に“いいね”ボタンを押す人もいます。
その結果、いじめる側は自分の行為が周囲から“承認”されたと錯覚して行為がエスカレートする…ということもあります。
同じメンバーでいじめが繰り返されれば、同調圧力が高まり、“この間違った行為をやめよう”と指摘しづらくなります。
いじめを認識しながら何も反応しない“傍観者”の存在も問題です。
惰性で“いいね”を押さないことは当然のこととして、メンバー同士で“間違っていることは間違っている”と声を掛け合える環境が重要になります。
もちろん、自殺の原因は“いじめ”だけではありません。
何度も書きますが、まず、子どもにとって必要なのは“問題を解決してくれる人”ではなく“受け止めてくれる存在”だと思います。
誰だって、生きる上で必ず悩みは生じるものです。
だからこそ、その場凌ぎの応急処置ではなく、自立して歩んでいけるように、寄り添って導く伴走型支援をすることが、周囲の人間や、私たちのような第三者の役目だと思います。
今後、日本の人口は自然に減少し続けます。
その中でわざわざ、誰かを排除する必要はありません。
子どもであれ大人であれ、誰かに頼れることが当たり前である社会になることが、まず大事なことなのではないかと思います。
写真はいつの日か…有珠山山頂に向かうロープウェイから撮影した羊蹄山です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?