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17.コミュニケーション

世界が、コミュニケーション不全になっています。
 
アメリカが中国から来た気球を対話なく撃墜していがみ合ったり、少数民族への迫害や隣国同士で戦争が起きたりと、ミサイル飛ばす前にもう少し話し合いませんか…なんて思います。
 
子どもの ごっこ遊びと違うのですから…なんて思ってしまいます。
 
多種多様な人たちが、しっかりコミュニケーションをとれていれば、揉め事も争い事もほとんど無くなるのではないでしょうか。
 
日本でも、世代間や性別間など…様々なことで分断や排除といった問題が多く指摘されています。
LGBTQに対してのこともそうです。
 
現代はインターネットの発達などによってコミュニケーションツールが豊富になったこととは裏腹に、ネット内では、むしろ炎上や対立などが日常化し、リアルな場面でも他者への攻撃はあとを絶ちません。
 
煽り運転もそうですし、サービスを提供する側とされる側の格差なんていうのもこれに当たると思います。
 
このような人々の“間”の分断は、社会の質を確実に下げ続けています。
 
最近は、ワイドショーを観ているとおもしろいと思うようになりました。
 
とても重大なことから、どうでも良いようなことまでが、それなりにおもしろそうな話題として提供されて、何が正しいのか…といったゴールのない議論になります。
 
何か変革のヒントになることも時々あるのでしょう。
 
出演しているコメンテーターは、それぞれに自分の見方を通して、コメントをしています。

現代では、それを観て関心を持った人たちが、Twitter等のSNSで、それぞれの見方でコメントを残します。
 
それが、大抵の場合は、同調圧力みたいなものが働いて、いつの間にか、多数派と少数派に分かれて衝突が起きます。
 
衝突が起きると、みんな黙っていられなくなり、顔は1度も合わせていないのですが、その話題が風化するまではバトルを繰り広げ続けます。
 
いつも思うのですが、このような意見の食い違いが起きるのは仕方がないし健全なことだとも思いますが、もっと相互にうまくやれないものかな…なんて…そんな風に思ったりしています。
 
このような話は、やはり、根本的に ひとりひとりが内面的に何かを変えないことには、 これからもきっと起こり続けるような気がします。
 
ワイドショーで観れるのは、たまたま政界や芸能界、その時々の大きな事件など…世間の注目を集める事なので、このように大きく誰からも見える形になりますが、 自分の周囲でも、似たようなことは起きています。
 
大きな問題にならなかったとしても、 私の周囲でもたくさんの出来事が起きます。
 
もちろん、当事者でない私には、それぞれに起きている事実や それにまつわる感情はわかりませんので、それぞれについて、私の主観で語ることは出来たとしても、本当に何が正しいとか間違いとかを語ることは出来ません。
 
ただ、間違いなく言えることは、物の見方や捉え方は人それぞれであって、相手と自分が、同じ事象や現実、事実を見ていたとしても、そこで何を感じるのか…、どう思うのか…、そして、どのようなことを考えて、どのような発言や行動をするのか…ということは、百人いたら、百通りの方法があって当然だと思います。
 
そして、その百通りの方法には、他者が正しいとか間違っているということを決めつけることは出来なく(それを決めるのは法律や予め決められているルールだと思います)、本人の中にしか(その人にとっての)真実や正解はないのではないかと思います。
 
だから、我々は常に、相手はどんな風に感じているのかな?、どんなことを思っているのか?、どんなことを考えているのか?、どうして、こういう行動になっているのか…ということに意識を向けることが、とても大切になってくると思います。

パワーハラスメントの問題を見てみると、加害する“立場が上の人”というのは、 傾向として、自分の感情や考えや気持ちをはっきりと口にすることができる人が多いように感じます。
 
元々そうではなかった人も権力を持つと変わる場合もあります。
 
逆に下とされている立場の人は、自分の感情や考えを口にすることが出来ない人が多くなる傾向にあります。
 
パワハラにならない為には、相手の感じていることや思っていること、考えていることなどを、決して自分のフィルターで見たり、決めつけたりするのではなく、常にフラットな状態で相手に確認してみるということがとても重要なのではないかと思います。
 
立場が上下に関わらず人間関係で悩む時は、 人それぞれの物の見方や捉え方が違うことを理解する必要があります。
 
都度、相手との違いを確認する癖をつけることが大切です。
 
そして、それをフラットに受け止めて、否定をせずに、相手のそのままを受けとめることや、双方に良い解決策がないかを一緒に考えていくことが求められます。
 
まずは対話です。

コミュニケーションです。
 
どんな人も、完全、完璧ではありません。

だから、人や組織、社会との繋がりを必要とします。
 
社会では、それぞれが感じていることや思っていることを引き出す場を作ることや、サポートが必要な場合があります。
 
その全てにおいて大事なことが、“正しい”コミュニケーションです。
 
なので、今日はコミュニケーションのお勉強です。
 
もちろん、コミュニケーションの努力をしてもお互いの意見が通じ合わないで、破綻してしまうこともあるかもしれません。

でも、その努力…ひと手間を怠らないことが重要だと思います。
 
そうすれば、心がある人間です。

そんな簡単にはミサイルのスイッチを押せなくなるでしょう。
 
ここで、ゲッターズ飯田さんの名言です。
 
“人の悩みの多くは《他人》。
 
ならば、どんな人とも仲良くなれば、多くの悩みは無くなる。
 
コミュニケーション能力が高い事は運が良いことでもあり、それは努力で手に入れられる幸福でもある。”
 
コミュニケーションは、挨拶に始まり、挨拶に結ばれ、挨拶に終わりますが、挨拶については前にお勉強したので、今回は省きます。
 
コミュニケーション能力とは、“対人的なやりとりにおいて、意思疎通、協調性、自己表現能力”のことで、“人との関係性を築く能力”ともいえるものです。
 
コミュニケーションの語源は、ラテン語の“コミュニス(Communus)”です。
 
“共有”、“共通”という意味があります。
 
コミュニケーションには、大きく分けて、“言語”と“非言語”の2つがあります。
 
言語コミュニケーションは、意見、意思、考え、価値観、知識、感情などを言葉で伝えるコミュニケーションです。
 
また“伝える”だけではなく、伝えられた内容を受け取って理解する“聴く”スキルも必要になります。
 
非言語コミュニケーションは、身振り、手振り、表情、視線、声のトーンなど、言葉以外の部分で情報を発するコミュニケーションです。
 
“目は口ほどに物を言う”という ことわざ もありますが、非言語コミュニケーションは言葉以上に大きな役割を果たすと言われています。
 
アメリカの心理学者アルバート・メラビアンさんが非言語コミュニケーションの実験で導き出したのが、“7-38-55のルール”とも呼ばれる“3Vの法則”です。
 
この実験では、人に与える影響の割合は、会話内容である“言語情報”が7%、声の大きさや話すスピードなどの“聴覚情報”が38%、表情や視線など見た目や仕草による“視覚情報”が55%になります。
 
このメラビアンさんの実験で解ったことは、言葉と口調や表情などが一致していない場合、人は表情やパフォーマンスを優先して判断する傾向にあるということです。
 
無意識のうちに、非言語コミュニケーションを重視しているということです。
 
コミュニケーションには、“伝える”と“聴く”の2種類があり、それぞれに言語コミュニケーションと非言語コミュニケーションがあるので、計4つの要素で構成されています。
 
・言語 × 伝える
考えを論理的に伝える力、相手を説得する力、プレゼンテーションする力、相手の感情に訴えかける力、相手の理解力に合わせて説明する力のことをいいます。
コミュニケーションの場や相手に応じて使う言葉や伝える内容、順序などを工夫することで、より正確に効果的に情報を伝えることができます。
 
・言語 × 聴く
相手の話を深く理解する力、話の要点を押さえて聴く力、ニーズを引き出す力、相手の立場を考えて気持ち良く話をさせる力、相手に共感して寄り添う力のことをいいます。
相手が話しやすいように“聴く姿勢を持つ”、“話を促す”、“質問する”といったコミュニケーションにより、会話を深め、相手のことを理解することに繋がります。
 
・非言語 × 伝える
コミュニケーションの中で、ジェスチャーや表情、声の調子などを変えることで、相手に親近感や安心感を与えたり、感情に訴えかけたりする力のことをいいます。

・非言語 × 聴く
相手のしぐさや声のトーン、文脈などから、具体的な言葉としては表れていない相手の本当の想いを汲み取る力のことをいいます。
これは、“空気を読む力”とも言い換えられます。
 
“言葉と表情が合っていない”、“声のトーンが乱れている”といった微妙な変化に気づくことで、コミュニケーションをより深めていくことができます。
 
「18.続コミュニケーション」に続きます。


写真はいつの日か…壮瞥町にある昭和新山を撮影したものです。

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