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東日本大震災で気づいた「僕たちは微力だけど無力じゃない」

株式会社ヘラルボニーでプランナーをしている丹野晋太郎です。

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タイムラインを眺めれば、テレビのニュースをつければ、「新型コロナウイルス」ばかり。私たちは今日も、そしてこれからも、情報をシャワーのように浴びるでしょう。

私はどうしても、今の社会の空気感が「東日本大震災」の時と重なりました。ヘラルボニーの社内会議中に「この状況の中で何か出来ないか・・・」そんなことを悶々と考えていました。

そこで、「自宅で開催する卒業式」が出来ないかと思いました。

そんな思いから、今回「卒業式」が迎えられないかもしれない子供たちとそのご両親に向けて、自宅で出来る #家族卒業式 を企画させていただき、昨日クラウドファンディングとしてリリースしました。

今回は、このプロジェクトに込めた想いを綴らせて頂きたいと思います。

自然の目の前では、人間は無力なことを痛感した東日本大震災

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僕自身の出身は岩手県の陸前高田市。東日本大震災の「被災者」の一人でもあります。さらに津波で両親と祖母を亡くしています。住んでいた町や人々、全てを瞬く間に飲み込んでいく津波を目の前に、正直何が起こっているのか僕の情報処理スピードでは追いつかず、大変な事が目の前に起きているという意識しか感じる事が出来ませんでした。

やろうと思えばなんだって出来ると考えていた社会を知らない中学3年生に、人間の無力さを教える出来事としては、刺激が強すぎました。

写真は、津波がひいた後に発見された僕の父の車です。住んでいた町と一緒に、家族との記憶や思い出まで写真の車のようにグシャグシャにされた気持ちになりました。

「どうして、僕が生き残ったのか。自分なんて生き残ったところで何も出来ることなんてない。」と、元々ネガティブな性格のせいもありますが、無力な自分が生き残ってしまった事実にやるせない思いを抱えて当時は生きていた気がしています。

力を合わせて社会と向き合う大人達の背中と意識の変化

震災当時は、働いていた仕事を辞めてまで、地元をどうにかしないとと行動をしている大人たちが目の前にたくさんいました。そんな背中を見ていた僕は、なぜ自分が生き残ったのかと悔やんでいる場合ではなく、小さくとも自分たちが出来ることをやるしかない。そう強く思わされました。

社会と向き合いながら行動を続ける大人たちの背中は、まるで僕がプロ野球選手に憧れたように、最高にカッコいい憧れの的になっていたのです。

大学進学と何者にもなれないのではないかと感じた就職活動

そんな大人たちの背中を追いかけて、まだまだ自分のやりたい事が明確ではなかったこともありますが、大学生なりに地域や社会に貢献出来る事があるはずだと大学に進学しました。何かスキルがあった訳ではありませんでしたが、一緒に活動をしないか?とある団体が声をかけてくれたおかけで、様々な活動をする事が出来たことには本当に感謝をしています。

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そんなこんなであっという間に就職活動というタイミングが訪れ、様々な会社の面接や試験を受けていく中で僕の就職活動は出鼻を挫かれ、何者にもなれないのではいかという漠然とした恐怖感を感じていました。

震災以降2度目の、自分の無力さを痛感した瞬間でもありました。

世界、そして日本を駆け巡った新型コロナウイルス

イベントの中止、学校の休校要請など、猛威を振るい続ける新型コロナウイルスの報道を見るたびに、この状況はある種「災害」だと思いました。どうしても「東日本大震災」の時と同じ空気を感じてしまうのです。

そんな中、卒業式を中止にする学校や保護者を招くことなく卒業式をしている学校が多くあることをニュースで知りました。

一生に一度しかない、それぞれのタイミングで訪れる卒業式は、子供から親へ、親から子供へ、生徒から先生へ、大切な友達へ、いつもは恥ずかしくて言えない感謝の気持ちを伝えたりすることができるとても暖かな時間です。

震災が起きた時に僕は通学していた卒業式の予行練習の最中でした。突如として起きた災害によって、卒業式など目もくれなくなるほど生きるだけでも精一杯な状況に追い込まれてしまいました。

それでも、避難所と化していた体育館で、中学校の先生達や体育館に避難している方々など、たくさん協力のもと出来る訳がないと思っていた卒業式を行うことが出来たのです。

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あの時に、目もくれる余裕すらなかった卒業式をやることができてよかったなと思いました。そして、ここまで育ててくれた亡くなった両親、そして姉と兄や親戚に大きな感謝をしていることを非常に痛感したことを覚えています。

だからこそ、一生に一度のそれぞれのタイミングで訪れる卒業式という時間を大切にして欲しいと強く思っています。

言葉とアートで彩る小さな卒業式を家族と一緒に

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このプロジェクトは、表面にはヘラルボニーが契約を結ぶ知的障害のあるアーティストが描いたアート作品を。裏面には、空欄の卒業証書がプリントされた「マイホーム卒業証書」を届ける企画です。

行動が制限され、必然的に自宅にいる時間が増えてきているこの状況だからこそ、いつだって言えるはずの感謝の気持ちを書き連ね、世界に一つだけの卒業証書を親から子供へ、子供から親へ渡したり、渡しあったりすることが出来れば、小さくとも言葉とアートで卒業式のような暖かい時間を家族同士で作ることができるのではないかと考えたのです。

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僕自身両親から保育所の卒業の時にもらった、両親からの手紙を今でも大切にしていて、たまに見返しては力をもらっていたりします。家族からの言葉は、何ものにも変えられない価値がある。そう思っています。

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僕たちは微力だけど無力じゃない

僕の好きな漫画に、広告代理店をモデルにした「左ききのエレン」という漫画があります。あるストーリーで主人公が言ったセリフに「俺だって自分の身の回りの事で精一杯で…それすらギリで、俺の仕事は全然世界を救わない。それでもみっちゃん俺たちは無力じゃない。微力だけど無力じゃない。」という大好きなセリフがあります。

僕は天才でもなければなんなら凡人です。日々仕事をしていく中で、自分の無力さを感じる瞬間なんてたくさんあります。それでもきっと「微力だけど無力じゃない」と信じて日々頑張っています。

震災時にきっと社会と向き合いながら行動を続ける最高にかっこいい大人達の背中を見る事がなければこのプロジェクトをやっていなかったかもしれません。

それでも、行動が制限され、必然的に自宅にいる時間が増えてきているこの状況だからこそ、家族との時間を大切に、感謝をしているけれどいつもは照れ臭くて言えない「ありがとう」という言葉を小さな卒業式という形で伝えて欲しいと願って、微力ながらですがこのプロジェクトを企画しています。

最後に

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「卒業式」が迎えられないかもしれないたくさんの子供たちとそのご両親にこの企画を届けていきたいです。プロジェクトに共感していただけた方は、SNSで #家族卒業式  で是非投稿をして頂けると幸いです。

家族からの言葉は、何ものにも変えられない価値があると信じています。一人でも多くの家族の間で「ありがとう」が行き交うことを願って。

株式会社ヘラルボニー 丹野晋太郎

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