リアコさんのための小夜曲(Serenade)
タイトルから文章を書くことはめったにないけれど、めずらしくタイトルが先に決まった。そして、構成を考えながらインドカレーを食べに行ってしまったので、こんな時間になってしまった。(※1)
今回もちょっぴりセンシティヴな言葉が出てくるので、良い子はここでページをとじることをおすすめします。
【下記をご理解の上お読みいただけたら幸いです】
・虚構に恋するひと(わたし含め)のことを「リアコさん」と表現していますが、これは便宜上であり、その存在を否定したり馬鹿にしたりするものではありません。
・わたしが女性、セクシュアリティ:ヘテロであり、他の情報がないので、今日はその視点限定で文章を書いています。
・恋愛対象である彼らのセクシュアリティについても考察なしで進めることをご理解ください。
・あくまでも私見です。文章内の行動パターンなどは、分類のためであり、善悪を申し立て、断罪する目的のものではありません。
・異論は謹んで承ります。ばっちこい。
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「リアコさんの気持ちがまったくわからない」というツイートを拝見して、これを書いている。
そう、わたしもわからなかった。・・・今年の7月までは。
恋愛に淡泊な上に、自分を変えることがどうしてもできない、そしてバリバリに現実的な性格がゆえに、ここしばらく一人で過ごしているわたしは、アイドルに恋する人の気持ちなんて、シーモンキーほども理解できなかった。今までの人生で、アイドルのファンもやったことがなかったので、彼女たちはその愛らしい姿を見てキャーキャー言って楽しんでいるだけだとずっと思っていた。
話すことも、触れることも、寝ることもできない男って必要?大丈夫?アイドルってかわいい犬猫動画と同じじゃないの?と真剣に思っていた(ひどい)。
でも、彼らを好きになって、SNSに専用アカウントを作ってファンダム沼に足を踏み入れたわたしの考えは、180度変わった。
彼らの魅力ったら・・・これでは本気で恋をしてしまうのも無理はない、と。
誰かが誰かに恋している、自らの報われない愛に苦しんでいる姿を見ることなんて、学生時代はともかく、おとなになったらそうそうない。
でも、女性は「共感を主体として社会を構成する生き物」だから。
日々タイムラインに流れる愛の言葉を眺めているうちに、なんとなく、彼女たちの気持ちが理解できてきた。
本気なのか、SNS上での演出かはわからないけれど、わたしに見える範囲で「リアコさんのあれこれ」について考えてみた。
まず、「好き」の種類は大まかに下記に集約されると仮定する。
1.彼らの声、音楽、ダンスが好き(生物学的顕性)(芸術性)
2.彼らの容姿が好き(生物学的顕性)
3.彼らの性格、行動が好き(生物学的顕性)(社会学的な複合性)
4.彼らの思考、主張、社会での立ち位置が好き(社会学的な複合性)
5.メンバーのうち、特定の誰かが好き
6.メンバーのうち、特定の複数人数の組み合わせが好き(いわゆる「オルペン」含む)
この6項目のうち、2と5はリアコさんになるための必須項目だ。
そして、それに加えて、彼女が生物学的(遺伝的)、そして社会的に心惹かれるその他の要素を複合理由として、リアコさんは形成されると考えている。本能・・・というか脳がそれを好ましいと感じたとき、女性は理屈抜きでその対象に恋をすることができる。
(これは男性より女性のほうが、生物学的に複雑な要素で遺伝子交換をする相手を選択しているからではないかと、わたしは考えている。)
そして、リアコさんになった人はSNS上で下記のような行動に出る。
(拗らせ、と表現される。これ以上ふさわしい言葉はないと思っている。)
A :ただひたすらに好き好き結婚したい(※2)と言い続ける
B:自分の想いが届かないとわかっていて、それでも愛を綴る
C:セクシュアルな要素に特化した発言をはじめる
D:虚妄、妄想をはじめる
E:何も言えなくなる
Aは想いの方向が「自分→推し」への一方通行。あまり害がない。
BはAに似てはいるが、「自分→推し」「自分→自分」「自分→SNS上の読者」と複合的な要素を含んでいることが多い。
個人的にこのBが一番「リアコさん」要素が強いと思っている。その内容は、美しく、文学性が高く、読んでいて本当に切ない。言葉を操る能力、知的レベルの高さを感じさせる人が多い。(※3)
Cは、発信/受信者ともに、出産経験の有無、実生活での性行為の頻度、SNS理解度、フェティシズム、品性、教育、恋愛的嗜好、共感性羞恥によってかなり受け止め方が異なる。
Dについては、投影するものが自分自身である場合、その「自分」が社会的にどの位置に属しているかという点でかなりの差が出てくるので、一概には語れない。また、読んでいて嫌悪感を感じるものと、素直に味わえるものがあり、その線引きはわたしの中でもまだ整理できていない。考えられる要素としてあげられるのは「文学性の高さ」「表現力の高さ」ではないかと推測している。C以上にSNS理解度が関連している。(※4)
そして、意外とEの人は多いのではないかな、と思う。心の中の想いを技術的に言語化できないという理由だけではなく、教育や自尊心、推しへの尊敬の念が強すぎて「好き」というアウトプットにブレーキをかけているパターンだ。(ちなみにわたしは典型的なE。)
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長々と書いてきたけれども、ここからはわたしのモノローグです。
(いや、長くはない。本気で心理学、社会学、生物学的にこれを語ろうとおもったら、これの20倍は書かないといけない。)
かくいうわたしも、リアコと純粋なファンの境界線上を日々ふらふらと彷徨っている。(※5)
・・・好きにならずにいられない。あんなに素敵なんだもの。
実世界で自分が今おかれている状況、自分の真実の姿に関係なく、あれほどまでに愛を、自分たちの考えを話してくれて、魅力的なパフォーマンスを見せてくれるんだもの。
世の男性たちが今まで「言わなくてもわかるだろ?」で済ませてきたところは、彼らが全部埋めてくれる。
美しい姿、努力している姿、苦しんでいる姿、楽しんでいる姿。
そして、受け止めきれないほどの彼らからの愛の言葉たち。
家族や恋人がいてもいなくても、様々な理由で心が満たされない人々の「愛の欠損部分」を彼らがフレキシブルに、その姿と言葉でひたひたと満たしてくれる。
先日、友人との話題の中で「経済的に自立できていたら、実世界での性行為以外のほとんどの愛は、彼らの存在によって満たすことができる。」という結論に至ったほどだ。(ちょっと極端な物言いだとはおもうけれど、まあ、実際そう。)
これは虚構であり、これが彼らの仕事であり、本当の姿のすべてではないこと、そして奇跡が起こった場合をのぞいて叶うことのない恋であることを、わたしたちだって本当はわかってる。現実だって、ちゃんと見えている。
わかっているけれど、それでも、それらを全部わかったうえで、わたしたちは彼らに恋をする。
リアコさんは決して、単なる現実逃避ではない。
これは脳で感じることができる生き物の特権であり、これまで女性を言葉と行動で満足させることを怠ってきた男性たちへの反逆でもある。(※6)
もしも、リアコさんを笑う男性がいたら、こう言いたい。
「リアコで上等。わたしたちは今、あなたではない人に、とても素敵な恋をしている。選ばれなかった遺伝子は黙っていなさい」と。
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※1
目的のインドカレー屋は休みだった。別のカフェでカレーパン食べた。そんなにカレーが食いたいのかと自問自答したが、食べたかった。カレー。
※2
とはいえ、推しと結婚したいかどうかのきりんさんのアンケートで、僅差で推し以外が優勢なのも非常に興味深い。
※3
私が知る範囲内ですが、Bに該当する方は、比較的若年層で、生物として美しく魅力的な方がとても多いです。生物学的にものすごく納得できる事実です。(美しさの定義はここではしません。ルッキズムについてもまた別の機会に。ミサンドリーとも少し関係がある気がしているけれど、確信できるデータはない。)
※4
CとDについてはまた別の機会に語ってみたい。デリケートゾーンすぎる。
ちなみにわたしは推しを性の対象としてみていない。くちづけしたいとも、寝てみたいとも思わない・・・いまのところは、ね。
※5
最近、苦しいほどの想いは、自分自身の創作への昇華とフィードバックという形で処理している。女性としてちょっとだけさみしいけど、わたしにはこれしかできないから。
※6
リアコさんを制する者は恋愛を制するよ。これは真実。
【追記】
フィジカルな関係を持たない恋愛は、非常に甘美だ。虚構の恋愛は永遠にその苦しみと甘美を味わっていられる。実際の恋愛も、はじまるまでから、フィジカルな関係を持つまでが最高に楽しい。