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盗聴ハリ治療院

いつものように、雑居ビルの埃っぽいエレベーターを降りて扉を開けると、いつものようにカランコロンという鈴の音が響き渡った。でもいつもと違ったのは、「治療室1」から喘ぎ声のようなものが聞こえてきたことです……。

一から説明します。私は、小学生の時から筋金入りの頭痛持ちで、「全く頭が痛くない、快適!」という日なんて、人生に何日あっただろうか、というていたらく。よって、化粧ポーチにはいつも必ず鎮痛剤が入っているし、頭の中は何となく常に靄がかかった感じ。もしこの靄が常に晴れているのなら、私はもっともっと大きなことが成し遂げられる!そう思って、病院やら整体やらに行ってみても、これぞという原因や治療法はなく、「いわゆる頭痛持ちですね」という診断が下り、ここまで生きてきた。というわけで、定期的にハリ治療にも通っているのです。

友人の紹介で通っているこの治療院は、細長くて古い雑居ビルの上の方の階にあって、50過ぎくらいの男の先生が一人で切り盛りしている。受付のお姉さんさえいない完全なおひとり様経営の為、先生は前の患者の治療をしている最中に、次の患者が扉を開けた印であるカランコロンという鈴の音を聞くと、治療室1から顔を出して、「ちょっと待っててね」と律儀に挨拶をしてから、治療室1に戻って行く。(ちなみに、治療室2もあるのだが、使っているのを見たことがない。っていうか、治療室2、明らかに不要。)

治療室1のすぐ横にある待合室で座っている間、治療中の先生と患者の会話は丸聞こえ。よって私はいつも、雑誌ラックから「クロワッサン」を取り出し、麹がどうの、ヨガがどうのなんていう記事を読んでいるフリをしながら、会話を盗聴している。でも、なかなか面白い会話は聞かれない為、「盗聴ハリ治療院」は書くネタがないな、とやさぐれていたら、この前、ちゃんとネタが降ってきた。私はほくそ笑みながら、「クロワッサン」を静かに棚に戻しました。

ところで私は、イベントの司会の女性とか、NHKの歌のお姉さんなんかが出しがちな、「甲高くてよく通り、この上なく澄み切っている声」というのが苦手なんです。明るくて前向きでうるっさいという感じ。その日、私の前にいた患者は、まさしくそんな澄み切った甲高い声で、とにかく先生に甘えまくり、自分の体の不調の全てを先生に解決してもらおうとしていた、そして軽く喘いでいた。

その女性、とにかくずっと喋っているので、実は元気なんじゃね?という疑惑を感じるのだが、彼女の自己申告によれば、体中の部位という部位が痛いらしい。「腰がね、腰の右の方がね、全然血が通ってないんじゃないかって程、カチコチなのぉ、どうしたらい~い?」「じゃあ、まずは腰を中心にやりましょう」「は~い。あ、あ~ん」この治療院は、「刺しているのが分からないくらい、痛くないハリ」ということで売っているので、ハリを刺した瞬間に喘ぎ声を上げるというのは、絶対におかしいのだ。その上、私というオーディエンスがいるのが分かっていて、何故にそんなクリアな声で喘ぎ声を上げる?という驚きで、私は可笑しくてたまらなかった。

「先生、ふくらはぎもなんだけどぉ、実は背中も痛くて痛くて。もうどうしたらいいのぉ?」「背中ってこの辺り?内臓の疲れからもしれないね。暴飲暴食してない?」「やだぁ、だってフリーでこういう仕事(やっぱりイベントの司会か?)してると、そういう飲み会に顔出さないと、次から仕事もらえなくなるんじゃないかとか、そういうのってあるじゃな~い?だから、そんな、暴飲暴食だなんて先生、言わないでぇー、あ~ん」「私、もしかして、仕事し過ぎとかぁ?ねえ、どう思うの、先生ぇ?」「まあ、これだけ体が固まってますからね、ちょっとセーブ出来るなら、した方がいいかもね」「えぇー?セーブってぇ?セーブってどれくらい?」「だから、自分が疲れない程度にね」

「私、もしかして頑張り過ぎてるのぉ?頑張り屋さんてことぉ?」「頑張り屋さんなんだろうね」「やだー、やっぱりそうなのかなぁ?あ~ん」「ここの首の後ろも固まってるからね」「えぇ!ーーー!(天地がひっくり返りそうなボリューム)私、首の後ろ、そんなに固いの?え?え?それって大丈夫な感じぃ?死んじゃったりしない?」「大丈夫大丈夫、ちゃんと緩めておきますからね」「あ、あ~ん!」どうやら彼女は、明日、大きな仕事を控えているようだ。「先生ぇ、明日の仕事が上手く行きますように、お喉ちゃんにおまじないして頂戴」「あ、喉はね、ハリは刺さない方がいいんだ」「えぇ?そんなぁ?じゃあ、お喉ちゃんにおまじないかけてくだしゃい」「はいはい……」その後、10秒くらいの沈黙。「あ~ん」……。

先生がこの患者を好きじゃないこと、というか呆れているのは、会話の感じから十分想像がついたけど、最後の10秒の沈黙……からの喘ぎ声。先生は一体、彼女の「お喉ちゃん」にどんなおまじないをかけたのだろう?ということが猛烈に気になった。ハリは刺せないと言ったのだから、ハリを刺した「あ~ん」ではないわけなので。(そもそも、ハリ刺したか刺さないか分からないのだけど)

「はい、今日は終わりね!」という明るい先生の締めの言葉と共に、恍惚とした表情で治療室1から出てきた彼女は、声の印象とは裏腹に、肝斑が浮きまくっているオバチャンだった。そして次の患者である私を見ると、急に怖い顔になって睨み付けてきた。もしかして「お前さえいなければ、もっと先生を拘束出来たのに」という恨みなのか、「喘ぎ声、聞きやがったな?」という恨みなのか。次の患者としてベッドに横たわってみたものの、私はボソボソと「今日も首と頭が痛いです……」と言うばかりで「お首ちゃんにおまじないかけてくだしゃい」とは言えませんでした……。気持ち悪過ぎるよ、「お喉ちゃん」て。

とはいえ、とはいえ、どんなに変わった人にも、体の痛みはあるんだな、ということの再確認にはなったわけである。そういえば、会社でも、天敵と言われるくらい仲の悪いオジサン同士でも、腰痛の話題で意気投合して、よい整形外科を紹介し合ったりしているもんな。
「俺もお前も、痛いんだ。中年だもの」ーーこの確認て、結構人と人とを近づけると思う。

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