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中井貴一×糸井重里 「やさしく つよく おもしろく」のエッセンスが詰まっている対談を、再び観る。

NHK Eテレで放送しているSWITCHインタビュー。組み合わせの妙がおもしろく、毎週楽しみにしている数少ないテレビ番組のひとつだ。

その中でも「これだけは絶対に観ないと後悔する!」とばかりに速攻で録画予約したのが俳優・中井貴一とコピーライター・糸井重里のクロスインタビュー。放送は、かれこれ3年ほど前になるだろうか。ファンはもちろん、芸能人に人気のある中井貴一と、尊敬する言葉の魔術師・糸井重里が対談しておもしろくならないわけがない。

案の定おもしろすぎた上に、金言ばかりが飛び出す神回だったため、折にふれて見返すようにしている。心に刻んでおいたほうがいい話はしっかりメモしておいたので、あらためてそのエッセンスを noteでもまとめておこうと思う。

もちろん話は100%確実に起こせているわけではないので、あしからずご了承いただきたい。

きっかけは「おもしろいこと」から

中井:糸井さんの会社って、社員との垣根が低いですよね。社員の方が皆糸井さんのことを好きに見えた。僕はサラリーマンの経験はないんですが、糸井さんの会社の社員はすごく仕事をおもしろがってやっている。そこは羨ましく思いますね。

糸井:自由の問題なんじゃないかな。楽しいオフィスをつくって、さぁ楽しめ!と言っているわけじゃないんです。例えば切り株がひとつあったとして、そこに座ろうがちゃぶ台にしようが、「俺が決めた」というのは楽しい。そうやっているときはみんな生き生きしているんです。

「これはちゃぶ台だから座っちゃダメ」と言われたとき、もしすでに腰をおろしていたら辛い気持ちになりますよね。辛くなったりすることが無い方が、その人らしく生きられる。

会社をやる上で特に決めてやっていることじゃないけれど、こういうのはあったら嫌だなってのはあります。「上司がいて、社員はそれにおびえているような会社」があったら嫌ですね。

ドラマを書くような脚本家が「会社なんてこんなもんだ」なんて思って書いているんじゃないですかね。だけど社長の言うことを皆がすんなり聞いてくれるわけじゃない。

中井:そっくり返っている人ばかりじゃないですからね。僕のスポンサーになってる人に、そんな人はいないです。

糸井さんって、自分を何者だと思いますか?埋蔵金を探していた時期が糸井さんだっていうイメージがあって。日本政府も糸井さんが探している埋蔵金を勘定に入れているんだって、ずっと思っていた時期が(笑)。どこのプロジェクトで穴を掘ってんだろうと。

糸井:それは貢献しました。世の中をおもしろくしましたね。でも、あぁいうことはやりたいと思ってやったわけじゃないんです。「おもしろそうですよ」と誘いがあったときに引き受けたりしていたんです。あんまりおもしろくない奴は途中でやめちゃうけれど、最初、ここまでは確かってのは出てこなかったんですよ。

のっけからこんなにおもしろい話をしはじめて驚く。

以前、自分に過去の記憶や思い出が少ないのは「自分で決めたこと」が少なかったからではないかという記事をnoteに書いたが、糸井さんのおっしゃる「俺が決めた」というのは楽しいという言葉をまさに体感したがゆえに書いたようなところがある。「そうそう!そうなんだよ!」と快哉を叫びそうになった。

この「自分で決める」ということが自由にできなかった結果、上司におびえるような会社ができあがるんじゃないかなと思うところがある。恐怖政治を行なう会社は、大抵の場合、社員に自治権がないから。糸井重里事務所がまさにこの真逆をいっていることがよくわかる。

「おもしろいこと」を仕事にしたいというと、非難されることが多い。それって、「仕事はつまらないもの」「つらい思いをして取り組むもの」というメディアがつくった当たり前に洗脳されているからなんじゃないだろうか。

待っていても「おもしろいこと」なんて降ってこないんだから、それが欲しいのなら自分から求めないといけない。ここで思考停止している人は本当に多いと思うし、自分もそうならないように気をつけたい。

督促状が詩的な文章で届いたらイヤだ!

糸井:以前、詩人の会っていうイベントにゲストで参加したとき、ふと「この人たちから税金の督促状が来たらイヤだな」と思ったんですよ。味も素っ気もない文章のおかげで成立しているもの世の中にはあるんだなって。決まり文句中の決まり文句で書いてあるから払おうと思うんだろうな。

中井:それは、督促状が詩的な文章で来たらイヤだということ?

糸井:つまんなく書かないといけない場所があるんですよ、多分。

中井:韻を踏んでいる督促状がイヤなんでしょ(笑)。

糸井:それとか、読んでいる内にいい気持ちになってきて、「人間愛を感じる」督促状が来たらイヤだな。イヤだけど守りましょうというルールが書いてあるので、その場合はつまんない文章がいいんでしょうね。つまんないものはつまんないよね。

中井貴一さんが大爆笑していた印象的なシーン。

詩人の会と聞いてそんなことを夢想する糸井さんのイマジネーションに舌を巻く。確かに督促状が詩的な文章できたらイヤだなぁ。TPOじゃないが、その場にふさわしい文章っていうのがきっとあるんだろう。決まり文句で成立している場所もあるし、それを無理にバッシングする必要もない。

言語感覚の鋭い糸井さんならではの感性だなと思う。

夢を持つことが大事なのではなく、本気になるのが大事

糸井:僕は、夢は小さいほどいいと思っているんです。本気になれるから。夢を持つことが大事なんじゃなく、本気になるのが大事。

みんなは夢というものを設計図だと思い込んでいるんですよ。空を飛びたいな〜と思ったときに飛行機の設計図は書けない。それよりも「なんで俺、空を飛びたいと思ったの?」と自分に問いかけられるかどうかが大事なんです。

「本気か?」と自分に問いかけたときに、「あぁ、ウソだった…」と気づけるとホントにおもしろくなる。今自分がいる位置での問いかけの方が、自分ができることもイメージできることも増やしてくれる気がします。

夢を持つことや夢を語ることが、あまりポジティブに受け入れられなくなっている現代について、糸井さんが答えたシーン。

「夢は小さく持つ」というのは自分も意識している。「火星に行く」という夢があったとして、一足飛びにそこへたどり着くことはできない。その夢を叶えるために、いくつもの小さな夢をこなしていかないといけないので。だから「本気」になれるかどうかのほうが大事になってくる。

そのために自分に問いかける。「お前はその夢に本気なのか?」と。

大事なのは自分に問いかけること。糸井さんのように優れた自問自答ができるとは限らないが、折にふれて自分に問うようにしたい。

「こんなことが何の役に立つんだろう?」ということほど大事

中井:映画「柘榴坂の仇討」は時代劇がダメだと言われる時代に武士道を描いた映画です。喜劇でもなければチャンバラもない。当たるか当たらないかで言えば、お断りする方がいいのかもしれない。でも、そう思った自分が役者として恥ずかしいなと。

糸井:長く続けていれば、当たらない映画に続けて出ることで仕事がゼロになることも理解はされているのに。

中井:強迫観念としてすごくありますね。数字に追われないためにこの仕事を始めたのに、常に追われるようになってしまっているんです。

糸井:スクラムを組むときには「そんなのぶっ飛ばしていこうぜ!」と言いながら、いざ終わると「やっぱり数字が…」となる。

中井:一番怖いのはやめてしまうことですね。つくる努力をしなくなること。これまで受け継いできたものがゼロになってしまう。

今後また時代劇ブームが来たからといって、再興していくのは不可能だと思います。ダメな時期にこそやり続けることが大事ですね。自分がやるのも、それが自分のためというよりは、次につなげていきたいという想いからなんです。

煙管の仕草とか、誰かがそのことを伝えていかないと絶えてしまう。「こんなことが何の役に立つんだろう?」ということほど大事。そんなことを考えている人たちを、本当に大事にしていかないといけないと思います。

言い方は違えど、中井さんも糸井さんと同じようなことを考えていることが、このシーンから読み取れる。

本気になれることをやめてしまう、これほど怖いものはない。サスティナビリティ(持続可能性)という言葉が持て囃されたのは数年前だが、いかにこの概念が大事か、今一度しっかりと考えておきたい。

ものごとは、長続けようと意識しなければ絶えてしまう。「これが一体何の役に立つんだろう」と思うようなことでも、それが受け継がれないことで絶える何かがあるのであれば、がんばって続けている人を大事にしていかなければならない。伝統も、受け渡す人がいなければ。

涙もろくなるのは「経験値が上がったから」

中井:涙もろくなると「年取ったからかな」なんてよく言いますけど、「経験値が上がったからかな」と言うべきなんじゃないかな。

糸井:ああ、想像力が増えたということですよね。

中井:いろんなものごとの気持ちがわかるようになったことが涙もろくなる理由なんじゃないかと。

年を経るとは、受け取るものが増えるということ。少しずつ感受性が磨かれ、感性もより豊かになっていく。もちろん失っていくものもあるだろうけれど、確実に人生の経験値は増えていく。

人が映画で涙を流す理由はふたつある。登場人物の表情や仕草に同調して涙を流すことと、登場人物の心を想像して涙が流れだすこと。

これは別にどちらが優れているということではない。ただ、より経験値を増やした人は後者で涙を流すことが増えていく。結果的に涙を流す機会が増えてくるということなんだろうか。

だから涙もろくなることは、別に恥ずかしいことじゃない。涙もろい自分は、少し救われた気がした。

やさしく つよく おもしろく

糸井:ある人が、「60歳を過ぎてモテたときは、それは同情なんだ」と言っていました。これは名言だと思うんです。今の中井さんでしたら側に26歳の人がいても同情じゃなく、「好き」なんですよ。でも60歳になると「同情」なんです。

で、僕は60歳になったけどピンとこなかった。65歳になったときに「あ、60代になった」と気づいたんですよ。これっていつもそうなんですけど、1970年台は75年にくる。80年台は85年にくるんです。ちょうど真ん中に差し掛かってからようやく「この年代はさぁ」と語れるようになるんですよ。つまり5年間の蓄積があって初めて10年間を語れるんです。

中井さんは53歳だから、まだ50代をわかっていないのかもしれません。

中井:なるほど。糸井さんは60代になって伝えていく姿勢に入ったじゃないですか。一体何を伝えていきたいのでしょう?

糸井:なんだか言葉としてとても恥ずかしいんですが、やさしくありたいということでしょうか。「愛」と同じくらい恥ずかしいんですが。

いろんな方に問いかけてみて思ったんですが、やっぱり優しくされると嬉しいものなんですよね。でも「やさしく」と言ったところで、その力がないと困るんですよね。だから「やさしく」には「つよく」が要ると思うんです。優しくするだけの力が無かったら、共倒れになっちゃいますから。「実行力としてのつよさ」は必要になってきますね。言った以上はやるってことです。

そして、その景色がずっと同じだったらつまらないですよね。そこで次に「おもしろく」。

うちの会社では、ぼくが死んだ後で生徒手帳のようなものが配られて、ページを開くと「やさしく つよく おもしろく」と書いてある。そういう会社であればいいのかなと思っています。

ぼくがいなくなったら、やさしくないこともあると思うんです。そういうときにこの手帳を開いてほしいなと。順番もこの並びが大事だと思っています。

「やさしく つよく おもしろく」。ほぼ日手帳に書かれている「Only is not Lonely」並に大事な言葉になりそう。

人と接するときはもちろん、新しいプロジェクトを始めるときなんかにも自分に問いかけたい。「お前のそれ、おもしろそうだけど本当に優しくできんの?」と。

糸井さんは自分がいなくなった後の会社や世の中のことをしっかりと考えている。自分が得た経験値を、きっちり世の中に受け継がせていくことで還元しようとしているのだろうか。きっと、それを言葉にしたのが「やさしく つよく おもしろく」。自分を戒めるためにも、強く念じていきたい。

エッセンスを抜き出しただけなので、全容を知るためにも、できればこの動画をフルで見てほしい。でも、この少ないテクストには、おふたりが今まで培ってこられたエッセンスがふんだんに詰まっていると思う。(2018年のいま、この動画を観る手段があるのかわからないけれど…)

Photo by JACKELIN SLACK on Unsplash

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