見出し画像

「絵と言葉の一研究」(寄藤文平)を読む

デザイナーとしての仕事を通して出てきた違和感や疑問に、深い思考によって向き合う本だ。冒頭は、「もともとは、デザイナーをやめようかと考えて、この本を作り始めた」とある。

力の抜けたイラストや例え話が多く登場するので親しみやすくなっているが、問題に対して頭を使ってとことん考え抜いて答えを出している点、かなりストイックな本だと思った。自分が納得するまで考え抜く姿勢に勇気付けられた。

著者は自分のやっている仕事を、絵と言葉が作り出す距離に注目して捉え直している。「絵と言葉が作り出す奇妙な響きのようなものを扱う仕事」だと。絵と言葉の距離とは例えば、「リンゴ」という文字の隣にリンゴの絵を描くとして、そのリンゴを齧られたリンゴにした時に生まれるようなもののことである。ただそのままリンゴを描くだけでは距離は生まれず、響きも出ない。この絵と言葉の距離が生み出す響きについては、こうして言葉で説明するより、本書に描かれたいくつかのイラストを実際に見ていただければよくわかる。テルミンという不思議な楽器に例えたりしていておもしろい。ただ漠然と「デザイン」と考えるのではなく、こうしたイメージに変換することで、本質が浮かび上がってくるのは、見事という他ない。

 誰かと話すとき、相手の音声と表情を切り離して考える人はいない。「大丈夫です」のひと言でも、その表情が暗ければなにかあったのかと思い、明るければホッとして、明るすぎると逆に心配になったりする。
 表情という絵と、音声という言葉は、生活の中では最初から分かちがたく結びついている。
 おそらく、僕がやっていることは、そのようなふつうのコミュニケーションを、紙の上に再現しようとする試みなのだろう。音声を文字に置き換え、表情を絵に置き換えてもとどおりに結び直そうとしている。
 絵と言葉を使ってできることは、ふだんの生活でできること。ただそれだけの話だと思う。僕は、絵と言葉を組み合わせて何か画期的なことをするより、ふつうのことを紙の上に再現できたらオッケーだと考えている。

よく「デザインはコミュニケーション」だというが、あまり自分に馴染まなかったこの言葉との通路が開けたような気がした。

興味深い話がいくつも出てくるので、メモを兼ねて列挙してみる。

・「データとインフォメーションの違い」の話
・デザインの問題から経済の問題に視点を変え、単に求められるまま「ヨリフジさんのタッチ」で描くのではなく、自分の絵が「人の役に立つ」とはどういうことかを考える話
・「自分が醜いと感じるものでも、それが存在する理由があるはずで、そこからスタートすることが科学的な態度である」という気付き
・「デザインは見る人の中にたくさんの視点(自分チャンネル)を作り出す方法であり、それは本当にいいことだろうか」という疑問

しかし全てを紹介する余裕はないので、一つ、特に好きだった話を少しだけ。

それは「絵を使ってわかりやすく伝えたい」という依頼がとても多い中で抱く、著者の悩みについての話だ。
著者は小学生時代の算数の授業の体験から、絵を使ったからといってわかりやすくならない、むしろ使い方によっては理解を妨げると思っている。そして、自分の仕事に否定的な眼差しを向ける。

(略)複雑な話に楽しげな絵を添えて、なにがわかりやすくなるというのだろうか。
 たとえ話を考えることで、確かに「わかりやすい感じ」にはなるけれども、それはモノクロコピーで水平線を無理やりあぶりだしているのと同じではないか。
 僕のやってきた仕事は、あるときは小学校の先生の1本の線のようなものであり、あるときは写真をモノクロコピーするようなことであり、どんなに絵を使って面白おかしく物語を付与しても、それが「わかりやすい」ことにつながっているとは思えなかった。
「絵で物事はわかりやすくならない」
 絵の仕事をすればするほど、それは確信になっていった。でも、「絵を使ってわかりやすく伝えたい」という依頼は、途切れることがない。僕はイライラして、そういう仕事を断るようになった。

この悩みに、著者は「脳研究の先生」との対談をきっかけにヒントを絵て、自分なりの答えを導き出す。思考を積み重ねることで答えに到達するその過程が素晴らしいと思った。詳細が気になる方はぜひ本を読んでいただきたい。

私がこの話が好きなのは、自分の仕事を否定する地点から、「思考によって」新しい考え方を獲得して再出発しているところに、勇気付けられるからだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?