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散歩の様態とメロディライン 2022年3月6日週次投稿

週のはじめの記述のストレッチ、週次投稿でございます。
今週は気候の変化に伴って気づいたことをいくつかと、先週からはじめてみた些細な習慣について書いて、書きながら何か思いついたらそれも、という感じで。



昨日今日はまた少し肌寒くなりましたが、先週は朝の時点で暖かい日が多く、それが毎日の習慣にしている散歩にも少なからず影響を与えているように感じていました。

端的に書いてしまうなら、散歩がうまくいかない。
散歩がうまくいかないって何だよ、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、あるのです、うまくいった散歩というものが。

わかりますよね。あれです。
と、書くのが大変そうなことはすぐに避けようとしてしまう私ですが、何とか書いてみます。

ではスタート地点。
散歩がうまくいく、というのはもちろんその散歩が楽しいと感じることです。
同時に、では何故そこにうまくいく、というある種の恣意と偶然の混ざり合いの自覚がでてくるかというのも話のポイントになるかもしれません。それは書いていく内に考える必要がでてきたら考えましょう。何しろめんどそうです。

さて、まずは散歩の有り様の外見の定義を思いつく範囲でざっとしてみます。

まず散歩といえば歩くことですね。
歩くわけなのでその私の体と、その体で歩くことを許容する環境があります。

私の体、という言葉でそのときの服装、靴、スマホやコードレスイヤホンなんてものも全部含んでいることにしちゃいましょう。
身体の機能を拡張するものも含めて全部私の体ってことで。

環境。これも面倒ですね。適当に書き出します。
天気、歩ける路面、私たちをどこかへ運んでいくところの道、通れない空間としての事物、環境音、イヤホンを通じて空気を振動させる音。店。店は深いなー。目に見えないけど法的な実在。他にもあれこれ。
頭の中で文句をいいながら内容を足し引きしてくださいませ。

感覚の話は頑張ってしようとしませんよ。
体と環境の間の橋渡しで、相互に行き来もあります。以上。

こんなところで外見の定義はできたことになりますかね。

いやいやそれ以外にも、歩きながら事物や眺めをみて頭に想起したものや、それによってまた想起されたもの、それと無関係に想起されたもの、というような意識の中に表れたでこぼこ、思い出やイヤホンから聴こえてくる音、少し歩くのを止めようかと思わせる足の痛みや疲労なんかも外見の定義にいれちゃいましょう。
それっ。

そうだ、上と似たようなものかもしれませんが、忘れちゃいけないものがありますね。
散歩コースみたいな習慣と言われるものや、いま自分がどこにいるのか感みたいなものと自分の家への方向の感覚。時間感覚もここに含められるかな。こういう具体性をもった抽象的なものも外見の定義でいいだろう。
えいっ。

全然足りないかもしれませんが、こんなところで。
とにかく散歩をしているということは、とてつもなく多い要素で構成されていて、その外見の定義に入れてしまったものだけで、ちっちゃい世界ができあがりそう。大変なことです。

じゃあ、外見の定義じゃない散歩って何なんだよ、というのが記事のはじめに書いた散歩がうまくいく云々の話で、ここからがようやく本題。

私たちは散歩をしているときに、体と環境との関わりの中で色んなものを見つけたり、聴いたり、思い出したり、思いついたり、道を選択したり、しなかったりしているというのが上で書いた外見の定義というものなのですが、そこでふれていないのが、その過程での印象の継起です。

では試しにピアノでドレミをするみたいに、印象を継起させてみましょう。

右耳にイヤホンをつけて、外に出て、天気がいい。
玄関から出た時点では前の家の高さで陽が顔にあたらず、うす青暗い。
路地から通りにでて、風が自分の体に強く吹き付ける。
同時に陽の光が通りをまんべんなく満たしていて路面を白く感じる。
最近ブラシをかけていない白いスニーカーもこの陽にあたると汚れが見えづらい。週末にきれいにしたい。
いまは8時少し過ぎだから、今日は歩く時間が長めにとれそうだ。
でも9時くらいには家についていないと。
1時間くらいなら梅林を通り過ぎるコースにしよう。


下手な演奏ですね。すいません。
こんな具合に、印象それ自体は前の印象から派生したものだったり、同時だったり、そうではなく外の眺めや具体的な事物でカットがきりかわるように、バッサリ切り替わったりもしながら継起していきます。

継起する印象をいくつか雑に箇条書きにしただけで、何かしら気持ちに動きがあるのが感じ取れるでしょうか。

この継起のメロディラインを楽しめるか。
それが散歩がうまくいくかどうか、ということのひとつのあり方でしょう。

暖かくなってきたことで環境の要素に大きく変化があったり、そもそも自分がそのメロディを気分ではない、と思ったり。
このあたりは好きなアーティストの演奏をいつでも楽しめるわけではないということでイメージがしやすいかもしれません。



ところで、はじめに書いた最近散歩がうまくいかない、に戻ります。

気候の変化で自分が冬に構築していた散歩の楽しみ方は破綻したのでしょう。

影響が大きかった要素を特定することは難しいのですが、春霞の影響で見渡しに透明感がなくなったことで、見渡しのいいところにいけば何とかなる感がなくなったような気がしています。

自分の気分もあるでしょう。こればかりは仕方がない。
気分あっての散歩だと切り替えて、新しい散歩を模索しないと。

ポジティブな要素として思いつくのは、冬の間は体があたためるまで立ち止まって何かを眺めるということがしづらいので、散歩の序盤はどんどん歩くのがメインになるわけですが、春はそうでなく、序盤から立ち止まって何かを眺めるのに抵抗がない、ということでしょうか。

あとは春霞の影響で見渡しに期待しないなら、路地を多めに選んでいく、というのもありかもしれません。(ただ同じ路地を通ることを習慣にすると面白さが日々減衰していく傾向があるのでわりとデリケートです。)

こういうことを考えながら色々試すことができるのも散歩の楽しさ。

と、当初の予定を消化できずに今週の週次投稿はお終い。

ではでは


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