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視野、負荷、力み 2022年6月5日週次投稿

書くのが面倒なときのつっかえ棒、週次投稿です。
特に書きたいことは思いつかないので、ここ最近で頭を過ったことのメモをしてみます。



うまく書ける気はしないですが、少し姿勢のことを書いてみようと思います。仕事とか、生きる上で、とかの比喩に関わることではなく、体の姿勢です。

姿勢のことを考えるようになったキッカケは、今年の年明けぐらいからはじめたスクワットだったでしょうか。
なるべく楽をして体重を維持しようとするときに効率の良さそうなスクワットをはじめてから、自分のスクワットのフォームをキッチンの黒い冷蔵庫に横向きにうつして確認してみると、どうも満足いくようなフォームにならない。元々そう運動のできる方でもありません。

気になったのは腰を落とすときの深さでした。骨盤を前傾させて、ある程度まで腰を落としてくるとバランスを崩してしまう。ストレッチは以前から興味をもっていたので後腿辺りを集中して柔らかくするためのストレッチをはじめました。

しばらく続けているうちに漸く前屈で手のひらがつくようになって、その過程で元々の目的だったスクワットのフォーム以外にも普段の生活での自分の感覚に少し変化がでていることに気づいていました。

ひとつめは、歩いているときの視野です。
歩いているときの視野が上向きになったことで、見えている範囲の割合は路面から体の向きの正対側に若干うつっています。
体の向きの正対側の視野はいわゆる眺めで、歩行中の感覚としては若干静的になったような印象です(どんだけ下向いて歩いてたんだ、という話ですが、、)。そのせいなのか、首や腰のひねりで視野に違いをつくろうとする仕草が無意識のうちに増えているかもしれません。

そこから敷衍して、散歩していて道を曲がるということが改めて意識されるようになりました。道を曲がることで視野に与えられる眺めに違いをつくるー画面が切り替わることは、当たり前にやっていたことではあったものの何かしら興味を唆られるところがあります。路面の傾斜についてもこの観点から考えられるかもしれません。


ふたつめは、体のどこに負荷がかかっているかの意識です。
直立していたり、座っていたり姿勢が固定されているときに、体のどの箇所に重さがかかっているのか、力がはいっているのかということを考えることが増えたような気がします。

意図せず力がはいっていること、特定の部位に重さがかかっていることを素朴に不思議に思っています。
左足を上にして足を組みたくなるのは何でなのか。
何でロダンの考える人はあんな格好をしているのか。
体育の時間の休めのポーズ(直立して右足?だけ少し斜めにズラすんでしたっけ)って何だったのか。

思考すること、ぼんやりすることと並行して重心や負荷のかかる部位がうつりかわっていく。行為におよそ関係ないと思われる箇所が力んでいる。
特定の箇所に負荷がかかっている状態が、意識においては思考することと取り違えられることさえあるかもしれない、と捻くれた考えが浮かびもします。

歪みを正すのもわるくありませんが、真ん中からズレたところに積極的なものがないか探してみるのは、何というか自分の日常感覚と重なるところがある気がします。

自分の感じとしては、これまでで一番ユルい投稿になりました。
では。

少しずつでも自分なりに考えをすすめて行きたいと思っています。 サポートしていただいたら他の方をサポートすると思います。