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誰の内面なんだろう 2022年4月24日週次投稿

今週のはじまりは火曜日から。 
週のはじめの記述のストレッチ、週次投稿でございます。
先週末にあったことを日記してみて、あとは思いついたことがあればという感じで。



先週末は久々の友人とあって、都内を何となく(あてもなく?)散歩。
散歩している間に、このあたりは住み良さそう、だとか、あのマンションの屋上には山岡士郎が住んでいそう、みたいなことを話していた。
そのうちにかその前か、美味しんぼのアニメがYoutubeで少し無料公開されているという話になって、登場人物の栗田さんのモノローグが面白いという話に、確かにと笑う。

例えば栗田さんは、お金持ちの人物の会食にもてなされて「なあんだ、私たちを呼び出したのは、この(純金の)鍋を自慢したかったからなのね。典型的な成金根性。」とモノローグしたりする。栗田さんの当初の属性である新入社員的感覚から口に出すのが少しでも憚られることは何でもモノローグにされるわけだけど、そもそもそんな風に考えてるのか、というのがやけに目立つ。

栗田さんは1話目から山岡士郎にモノローグで毒づいていて、その後も話によって対象(やり玉)をかえながら、形式だけが維持される。
(あらためてYoutubeのコメント欄を見ていると、この栗田さんのモノローグは伝統芸的なところがあるみたいで、大喜利的にコメント者のオリジナルのモノローグが書かれているのがいくつか目についた。)

これは誰の内面なんだろう、とさえ思う。
栗田さんは話の冒頭の状況説明的なモノローグもしているわけだけど、これは同じ声ではあるものの(栗田さんではない)第3者的な語りと捉えるのは流石に無理があるだろうか。
そうすればその第3者的な語りの声は栗田さんの声優の声と同じではあるものの、栗田さんの顔がアップになっていようと、それに被せていると考えることも、、できないか。「私」って言ってるもの。

とにかく誰がどうモノローグをするのか、というのは漫画やアニメでの自分的な見どころのひとつで、そういう意味でも面白かった。

そうしているうちに一旦目処にしていた駅について、またそこからしばらく歩ける駅を目処に歩き出し、また駅についてそこで解散ということになった。楽しい散歩だった。



いいかげん散歩の固有性についての続きの投稿をしようと思うものの、頭の中だけで内容の整理はできても、それを書くのが面白いかどうか覚束ない。
いつもの投稿では事前にその内容を書くのが面白いかどうかなんてほとんど気にしてないのだから、つまらなくなりそうな予感なのか、単純によほど面倒なのかもしれない。

キーワードは期待と迂回、習慣あたりになると思う。
習慣的な散歩の扱いをどうすればいいかのイメージが自分の中でまとまっておらず、それも書くときの抵抗になっているかもしれない。
というのも、たまの楽しみで散歩をするのと、習慣としてある意味で惰性的に散歩をするのでは、頭の中のプロセスにとって意味あいが結構違っていると思っている。だからこれをうまく腑分けしてあげないと、どちらの立場で散歩をしている人も違和感を感じることになってしまうのではないか、という気がしている。



休日はこれまた久々の友人一家の新居に遊びにいって、昼過ぎから晩まで酒を飲んだ。ビールや日本酒、焼酎、サワー、テキーラで散々になって、酔っ払った帰りのバスでは上の子に寄っかかって嫌がられていたらしい。家についてからは帰り道の記憶が曖昧なことを笑っていた。
GW中にその友だち一家と屋外に遊びに行く約束をしてその後も連絡をとっているので、余ほどな無礼は働いていないだろうとは思うものの心許ないと今日の朝の散歩では考えていた。

今日の朝の散歩で思い出したことがひとつ。
いつも歩いているわけではない道を歩いていて犬のウンチが何度か目についた。年明けぐらいから続けているいくつかの箇所のストレッチの効果がでているのか、最近は散歩しているときの視界が以前より地面から離れている。身体の塩梅で視界がずいぶん変わるものだとそれを楽しんでいるけど、犬のウンチのことを考えると不安にもなる。

少しずつでも自分なりに考えをすすめて行きたいと思っています。 サポートしていただいたら他の方をサポートすると思います。