見出し画像

『張山光希は頭が悪い』第22話:多勢に無勢

第1話(末尾に全28話分のリンクあり)
(文字数:約4600文字)


第22話 多勢に無勢

 会場になっているお堂に戻ると、渡り廊下から繫がる入り口は僧侶たちの背中でふさがって見えたから、廻廊を正面に向かうと大引き戸は、広く開け放たれたままだった。
 だけど、もうすぐ光希も含めた僧侶たちが、舞台に上がれる最大規模の五十人でお唱えするという話で、会場には引き戸の端までぎっしりと、観客が正座なりイス席なりに座り込んでいて、多分この中には御詠歌部の部員たちに、俺の両親に姉に、茉莉花に光希のお父さんもいるんだろうけど、探して見つけたところで寄り付ける状態じゃないなって一目で分かったから、廻廊にはかえって人が少ないし、引き戸近くの真ん中は避けて右端当たりに座り込んで、そこから観る事にした。
「まだ高校生、ですってよ?」
「まぁあ。若いのにぃ感心ねぇ」
 引き戸の内側の端にいるらしいおばちゃん二人の声が、わりと大きくて独特のうねりもあって、聞くつもりも無いのに耳に入ってしまう。
「若い子が、いつどうやって御詠歌なんかに出会うのかしらぁ」
「若いんだからぁ、もっと楽しい事見つけてやればいいのにねぇ」
 しかも光希か俺の事が話されてるみたいで、誉めてるんだか見下したいんだか分からない微妙なトーンで、悪いけど、言われている内容はその通りだとも思うけど、ちょっとイラッとする。
「お待たせ致しました。次の曲目は……」
 マイクを通して司会役の僧侶の声が聞こえてきたけど、おばさんたちの私語越しでそんなにはっきりとは聞き取れない。それでもどうにか音を拾うように耳を澄ませていたら、
「……高校御詠歌部の部員たちによる、『龍華りゅうげ』です」
 と聞こえてきて驚いて声を上げそうになった。飲み込むのは得意だから、飲み込めたけど。

 ずらずらと、舞台に上がり続ける僧侶たちは三列くらいに分かれて、奥の方に正座して、手に持っていた鈴鉦を自分たちの正面に置いたあたりで、うちの高校の制服姿のまま輪袈裟は掛けずに、部員たちが上がって来る。二年生の六名と、最後に着物に輪袈裟を掛けた光希が上がった。
「みつきちゃーん!」
 黄色い声が飛んだけど朝に比べたら所々のまばらで、光希がにっこり微笑んで手を振り返しても、
「厳粛な、大会ですのでどうぞ、お静かに」
 ちょっと笑みを乗せた声で、司会役の僧侶がそう言っただけで、静まってくれた。
「あら輪袈裟は掛けないの。あの子たち」
「いやだ。掛けなきゃダメなのにぃ。知らないのかしらぁ」
 と俺の近くのおばちゃん二人がしゃべってて、悪いけどうぜえ。その一人の俺が言うのも何だけど、今時の高校生のせいぜい十六とか十七才が、こんな場所にまで来て舞台に上がってる事自体が、奇跡的なんだよ。
 制服の部員たちと光希も、僧侶たちからは間を空けて横一列に正座して、一人だけ鈴鉦を手にした光希が所作通りに置き並べて、
 合掌してから部員たちに向かって小さく「はい」って言った。
 それを合図に光希もみんなも、その後ろに並んでいる僧侶たちも、お辞儀を揃える。頭を下げた時だけ両手を開く変わったお辞儀、の正式名称や意味なんかは俺は、知らないままだけど。

   唱え奉る……

 歌のタイトル部分が奥の僧侶たちの方から聞こえて、部員たちは光希も含めて待機、なんだけど、本来歌い出しと鈴鉦の鳴らし始めは、頭人とうにん、と呼ばれるただ一人、になるところを、光希はタイトル部分から小杖を手に取って、部員たちも五七五七七の最初の五音から声を出した。
 ありがたや、のただ五音だけど、御詠歌の音符は和讃よりも複雑で、一音一音がものすごく長く引き延ばされる。

   あーあーあーあーぁあ
   りーいぃいーいー
   があーあーあー
   たーあーあーあぁあ
   やーあーあーぁあー

「やだ。あの子たち間違えてる」
「高校生だものねぇ」
 いや、わざとだろ! っておばちゃん二人に腹の奥底でツッコんだ。前に俺も楽譜見せてもらったけど、頭人一人の歌い出しが「ありがたや」の「ありが」だけって、率直な感覚として意味が分からない。
 楽譜に隅々までこだわらなくて済む状況だったら、全員で揃えた方が良いに決まっている。

   高野たかのの山の 岩陰に

 リズムも和讃よりは複雑で、「岩陰に」では一音ごとに、鈴と鉦を交互に鳴らしている。

   大師は未だ
   おーおぉおー
   わーあーあーあーぁあ
   しーいーいぃいー
   まーあぁあー
   すーうぅうーうー
   なーあぁあーあぁあ
   るーうー

 よく楽譜見ずに唱え切れるまで覚え込んだなって、俺は普通に感心した。こんな複雑怪奇な音の上がり下がりにねじれ曲がり、俺だったら覚える気にも、心を込める気にもなれない。
 しかもこれが本来の御詠歌の中では、基本の第一番だって言うんだから。

「続きまして、出場者はそのままで、『同行二人』」
 俺はこっちを光希から、曲目として聞かされていた。すると六人の部員たちは立ち上がり、舞台に向かって右端に移動してまた、座った。光希だけが同じ位置に正座のまま、後ろの僧侶たちがザッと、一斉に立ち上がる。
 数珠を手に合掌してこの曲では、光希が頭人を務める事が分かった。

   唱え奉る高祖弘法大師 同行二人の 御詠歌に……

 カン、と最初の鉦が鳴る。

   あーなぁうーれぇしーいぃいーいー

 光希の声が一人分響いて、伸び切ったところで、

 ザン、

 と五十人分の鉦が重なって、ゾッとしたほど重たく響いた。

   行くも 帰るも 留まるも

 鈴も、鉦も、声も、音の伸びに上がり下がりも、声に付く飾りも五十人分が、きっちりと重なって、

   我は 大師と 二人連れなり

 光希の声が、響かない。完全に埋もれている。と言うより埋もれさせている。ここに「個人」なんか、必要無いから。右端で口をつぐんだままただ座っている六人すら、オブジェみたいに見えて気にならない。
 立っている僧侶の全員が、鈴を手にした腕を回し、小杖は鈴の軸に、垂直に当ててあえて鳴らさない、という全く同じ動きをした。
 前に光希から見せてもらった楽譜では、残りの歌詞は「南無遍照尊」が二回だけ。だけど、ただそれだけが気が遠くなるほど複雑で、

   なーあーぁああーあむぅへーえーぇえーええんー
   じょーおーおぉーおーぉおおーぉおーおーおーおー

 いや。分からない分からない。縦書きの楽譜には慣れている俺でも。「照」のただ一音を、どんだけ伸ばしまくるんだって。

   そーおーぉおーおおんーんんんーんーんんんーんんー

 また同じ、腕の回し方に小杖の振り方をして、声は伸ばされ続けて言葉は意味を失っていって、
 ああ。何だこれ、「舞」だって。
 僧侶たち、僧侶向けの本来の御詠歌の時点ですでに、「舞」の要素も加えていて、伸ばして回して揺らしたり波打たせるような飾りを付けて、声そのものが、舞っているんだって思ったら、
 何だ。俺がわざわざここに来て、俺一人だけの身で舞う必要も無かったんだなって。

   そーおーおーおぉんーんー

 空しくなったとか、すねたとかじゃなくて、単純に確信を持っただけだ。この場所では、山頂では御詠歌と鈴鉦と、声に言葉が中心にあって、骨身での舞は、添え物に過ぎない。
 山の上では生き神様が、言葉を使わないから、肉を通さない「声」を伝えるため聞き取るために、舞は必須の技能だけれど、人の中では、
 比べる土台が間違っていた。

 部員たちと光希が立ち上がって、会場はあたたかな拍手に包まれた。
「いやぁ。可愛かったわねぇ」
「あのくらいでちょうど良いわよねぇ。まだ高校生だものぉ」
 俺も引き戸の内側に合わせて、拍手を送って、内側で収まるのに合わせてやめて、溜め息をついてから立ち上がったところで、
「御自分を徒花あだばなのように思われたかな?」
 真後ろから声が聞こえて振り返ると、廻廊の欄干にもたれかかって、あぐら座りのおじいさんが一人いて、どこかで見た覚えはすごくあるけど、どこで見た、誰だったかが思い出せない。
 何かすごく嫌な思い出と結び付いていて、イライラして「ジジイ」とか口走ったような、ってところから「あ」って一気に引き出された。
「去年の最優秀賞の……!」
「おお」
 立ち上がったおじいさんは着物と言うより、ヨレヨレの元の紺も色褪せた作務衣で、若干の加齢臭が漂っていたけどこのくらいは、うちにもおじいちゃんがいるから慣れている。
「覚えていてもらえたとは光栄です。昨年と今年の功労者に」
 目を糸のように細める、と言うよりシワの内側に埋もれさせて、おじいさんは笑顔でいるらしい。
「功労者……、って言うか俺はただ、光希……、歌い手にくっ付いてあと、珍しかっただけで」
「その通り!」
 手に握っていた杖の、持ち手側の先を俺に突きつけて来た。
「珍しいからこそ花は愛でられ、尊ばれる。故に同じ事を同じように、成し得る仲間など不要」
 何だいきなり、って言うか、こういった口調で話してくる、すごく身近な誰かを思い出して、
「もちろん実は結ばないかも分かりませんが、そもそも己を徒花と、思いながら咲く花は存在しない。ただ人の側が決めた区分であって……」
「晃おじさん?」
 ってつい口にしたら、
「んなっ?」
 ってこの地域独特の、心から驚いた感じの声が返ってきて、違った、と分かったら恥ずかしくなった。変装が得意だとか、光希が見たけどきっと自分以外には分からないとか、聞いてきたからだけど、シワが重なってひだみたいになった肌とか腰の曲がり具合とか明らかに老人で、いくらなんでも別人だろう。
「すみません。ちょっと知ってる人の話し方に、似てたっていうか……」
「同じような話をしてくれた方が、他にもおられたかな。まぁよろしい。似通った文言になるかも分かりませんが、繰り返しておきましょう」
 杖の先を廻廊の床に突いた時に、持ち手側の飾りがシャランと鳴った。
「貴方を否定する声は、私には聞こえておりません。ただ貴方の耳に届いているだけです」
 もう一度、シャランと鳴って俺の頭の中は、シンとかえって静かになって、
「貴方を誉め讃える声もまた、私には聞こえておりません。ただ貴方の耳に届いているだけです」
「……?」
 せっかく聞かせてくれている内容は、頭にあまり入らないまま、しばらくの間少しだけ首を傾けていた。
「小石川!」
 背中側から声がして振り向くと、廻廊を渡り廊下の方から飯田と中橋が、歩み寄って来ていて、
「化粧落としてるから気付かなかったよ」
「いつの間にか着替えてもいるしな」
 おじいさんには「どうも」と頭を下げて、頷かれるのを確認してから、二人の方に向かって行った。
「誰あのじいさん」
「去年の最優秀賞者」
「え。すげぇ!」
「ってかこの大会でどうやってそれ決めてんだ?」
 話しながら廻廊を三人で、本部の方へ向かう。
「何話してたの」
「なんか……、誉められたような叱られたような……、よく分からなくて微妙」
「大概誉められてんだよそれ」
「分かんないけどそう思っとこうぜ」
 結局その時のおじいさんの言葉は、シャラン、って鳴る音も一緒に、それからも人生の要所要所で繰り返し、思い出すものになった。


 | 

何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!