【じゅりあとじぶん研究室150】孝行

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じぶん研究室室長じゅりあde乙。

四国に上陸して7日目。

通夜、告別式は家族だけだったんでひっそり静かに終わりました。

溝淵の本家の人が葬儀屋に努めてて、お義母の面倒も見てくれて超ありがたかった。

お義母さんは、私達が逢ったとき、既に棺桶に寝てて、お化粧も済んで、眠ってるような穏やかな顔してた。妙に納得してしまった。ナニに納得だ??

実感が湧いてくるのって、これからかな。。。

残されたほうはそうだと思うけど、手続きの多さに圧倒される。銀行、役所、施設、病院の支払いや書類関係で行ったり来たり。お義母さんへの最期の孝行だよね。あ、まだ、四十九日が残ってた。。

施設に荷物取りに行って、挨拶とお礼をしたら、スタッフの1人が泣いてた。お嬢育ちの義母の品の良さと落ち着きは、入居当初は格別だったらしい(笑)ボケてだんだんと暴力的になってきたから、驚いたΣ( ̄□ ̄|||)って言ってたけど。いつも息子さんの帰りを待ってましたよって言ってた。

本家のお嫁さんと、夜の晩酌しながら、親戚特有の話題になって(笑)義母の思い出話も当然出て、ゲラゲラ笑った。その時にも1人息子の話題が出た。葬儀の時にも、親戚のおばはんが言ってた。

世間のことを知らない義母にとっては、息子は支えだったと思う。愚連隊だった息子がさ(笑)、立派に育って、金稼いで、そりゃ、自慢の1人息子と思う。どんな仕事してるか、詳しくわからなかったみたいだけど。。。義父は意外にも亭主関白だったらしいから、息子が良き理解者の立場だったのよね。ぱぴこは、重い、、、というけどさ。

あたしが言うのもなんだけど、

彼女、義母、いさぎいいなってオモタ。

様子がおかしいって、知り合いから連絡もらって施設入って病院入って、亡くなるまで1年半ちょい。

弱ってから早かった。

うちの実家のばーちゃんもそうだった。介護する期間が短かったから、実家の母は、ばーちゃんのことをしきりに娘孝行な人だーって言ってた。

なんか、、、似てる。

彼女は何かを察したのかな?って。

ぱぴこが起業した直後っちゃ、直後だったし。これは息子孝行というのか?

「お義父さんがもういいって言ってるし、わたしもいいかなって思うの」

ってゆったりした口調で。

亡くなったって知らせを受けた日にあたしが感じた彼女に対する感覚は、空気がふわっと軽くて、うふふって笑。これが彼女から受けた感覚。

夢に出てきたんじゃないんだよね。内側の意識に呼びかけられたって感覚。

今はもう話かけられない。


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