忖度チルドレンができるまで

皆様こんにちぶっコロナ~!

暇なので、何かと話題の「忖度」について考えることにした。
忖度社会にうんざりしつつも、己もばっちり染まっていたことに気づいたので、自らの忖度歴を振り返ってみた。

最初の忖度記憶。
通っていた幼稚園で、私の誕生日会が開かれた。先生からお決まりの、
「大きくなったら何になりたいの?」
を尋ねられ、
「お花屋さん」と答えた。

今も昔も、花屋になりたいと鼻くそ程にも思ったことはない。
どう答えれば大人が喜ぶかを考えた結果である。案の定、先生は大層喜んだ。

すでにこの時点で立派な忖度チルドレンであった。こんなにも幼いのに、I want を語れない生き物。

義務教育が始まると、学年、行事という要素が忖度を加速させた。
例えば、運動会のリハーサルで小学6年生が読み上げた原稿。

「みんなで協力したリレー、頑張りました。6年間で一番楽しい運動会でした!」

???
なぜリハーサルの段階で感想文が出来上がっているの?
まだ始まってもいない運動会が6年間で一番楽しいと確定してるってどういうこと?
予知能力かな?
リハーサルだよねこれ?

私は子供心にゾッとした。

「6年生でこれが最後の運動会」だから、
「最後の運動会は絶対に今までで一番楽しくなければならない」から、、、?

大人から期待されているであろう言葉をきっちり用意してきました、という文章にくらくらした。

なぜ感想文とは、楽しかった、で終わらなければならないのか。
なぜ開会する前から閉会の言葉が一言一句決まってるのか。
なぜ「これが最後」フィルターがかかると、有終の美パッケージが実装されてしまうのか。

運動会全然楽しくなかったっていう閉会の言葉があってもいいのに、なぜ許されないのか。
小学生の私は嫌悪感を抱きつつも、言語化出来ずにいた。

「やる前から楽しいことが確定しているらしい運動会」、のくせに全然楽しくなかった。

中学校に入ると、突如現れた上下関係という政治により学校のめんどくささが27倍くらい増した。
それまで、「子供」というでかい括りでまとめられていたのが、先輩と後輩に分けられた。
先輩と話すときは、言葉遣いを変えなければいけないらしい。
私の親より先輩の親の方がちょっと早くセックスしただけなのに、なぜだろう。
わからないけど、とりあえず私は敬語デビューした。

やがて私は「忖度組織」に適応し始めた。
ことあるごとに書かされる作文で、無双だったのだ。
こう書けば賞がもらえるという方程式に従って書くだけだから簡単だった。

「どうすれば大人が喜ぶかゲーム」が楽しくなっていた。
こうやれば相手がこう反応するだろう、という予測を立て、そして相手が思い通りの反応をする。気持ちよかった。
他人を手の平で転がしている感じ、自分の予知が当たる万能感。

大人は子供から「子供らしい」理想的な回答を得、子供本人も気持ち良くなっている、ある意味ウィンウィンである。

順調に忖度チルドレンが仕上がっていた。

しかし徐々にそれではつまらなくなってきた。
「教科書的なことよりも、尖ったことを言うのがカッコ良いと思うシーズン」が到来した。
ちゃんと中学生にして中二病を罹患したのだ。さすが俺の脳ミソ、TPOをわきまえている。

すると、みるみる大人から評価されなくなった。それまで入れ食い状態でそのへんの賞を総なめしていた私は、入賞しない自分が受け入れがたく、しかしもう忖度チルドレンには戻りたくなくて苦しんだ。
この頃書いた文章は、忖度か本音でいくかの方針がブレブレだったため、半端な出来だった。

その中学校では3年生を送る会という催しがあり、在校生代表が3年生を送る言葉を読む。
大して交流もない先輩達へ、
お世話になりました、先輩方の立派な背中を追いかけ云々、だのを述べるのである。
私はすでにこういった「お約束」に辟易していたが、こんなものかと諦めてもいた。

翌年、ある教師から、3年生を送る会で送る言葉を読んでほしい、と頼まれた。
「私は嘘はつけません。それでも良いですか」
と言ってみた所、それで良いと言われたので快諾した。
今にして思えば、先生は私が忖度しないことを承知した上で私を選んでくれた気がする。

当日私は、
先輩方に対して思い入れは別にないけど、義務教育終わるしお互い強く生きてこうぜ、みたいなことを全校生徒の前で読み上げた。
先輩に何の感情も無いので原稿用紙を埋めるのに苦労したが、死んでも卒業生をヨイショはしねぇ、という気概のみで書いた。

3年生にお世話になった記憶が無さすぎてつまらない文章だったが、その時確かに私は、自由だった。

正直な気持ちを書いていいんだよ、それによってあなたに何の不利益も与えさせない、と約束された環境でモノを言えたこと、初めてだったかもしれない。

いつか、どこかで、誰かから、
「自分のやりたいことよりも周りが満足するようなことをやれ」
と明確に言われたわけじゃない。
でも日常の至る所、あらゆる場面に「それ」が押し寄せてくるのだ。

どうすれば親にかまってもらえるか、
先生が望む回答は何か、どう振る舞えば内申点に繋がるか、
上司の機嫌をどうとるか…
幼い頃から、自分の命運を握る大人に気に入られることが生存戦略だったから、なかなか抜け出せない。他のやり方を教わっていないのだ。

国語のテストで、この時の登場人物の気持ちは?という問題が出る日本。
その人の気持ちはその人にしかわからないのに、あなたはどう思うの?と本人に聞かず先回りして答えを用意することを、叩き込まれる。

子供の頃、
あなたはどう思う?あなたの意見が聞きたい、と大人から聞かれた記憶がない。
この場に相応しいかどうか、
「みんな」が喜ぶかどうかが判断基準だから、
私は、何がしたくて、どう在りたいか、表明する言葉をずっと持っていなかった。

私は長らく、理不尽に耐えることに慣れさせるのが学校教育だと思っていたが、
今は奴隷を育てるための教育と考えている。
現状に不満があっても、どうせ無駄と諦めて、慣れ、麻痺していく。
為政者に都合のよい国民を育てるための教育。

体制に不信感を抱いても、抵抗しても変わらないと悟れば「変える」よりも「その中でうまくやる」へシフトするのは当然だ。
構造を変えないと変わらない。

従順で、相手の望みを先回りして叶えようとする人間が悪だとは思わない。
本人が幸せならいいけど、そうじゃないならやめよう。どうしたらやめられるか考えてみよう。

私は苦しかったからやめようとしている。
自分がやりたいこと、やってほしいと期待されてること、やりたくないけどやらなきゃいけないこと…
それは自分のwantなのか他人のwantなのか、
自他の輪郭を曖昧にせず、分けてみるとすっきりするかもしれない。
あなたの言葉を奪われないで。

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