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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 28.カメハメハ4世はハワイ王国を復活させようとします

1854年、カメハメハ3世は40歳で亡くなりました

カメハメハ3世が亡くなったのは1854年の年末でした。飲み過ぎによる脳卒中だと記録されています。突然倒れて亡くなられているので、1854年中もいろいろ動いています。

記録を見ると、ハワイ王国をアメリカに組み込もうとする動きはこの頃から始まっていたようです。アメリカからやってきた人々が、アメリカ本国に対してハワイを組み込むことを相談しています。人の国をなんだと思ってるんでしょうか。これに対し、カメハメハ3世は最初はいろいろ抵抗しますが、最後は同意してアメリカに組み込まれる動きをしていた、と記録されています。ちなみに、日本に黒船がやってきたのが1853年6月。黒船もアメリカの船です。

アメリカはヨーロッパの侵略国家とは違う、と紹介されてることがありますが、どうなんでしょう。アメリカがイギリスから独立したのは1776年ですが、ヨーロッパからの移民は100年以上前から行われていました。なので、彼らアメリカ人は、自分たちはヨーロッパの国々とは違う!新しい世界を築くんだ!と言ってたみたいですが、やってたことは、あんまり変わらない気もします。

この頃より少し前のアメリカで起きたこと▼

1830年 ジャクソン大統領は「インディアンは白人と共存し得ない。野蛮人で劣等民族のインディアンはすべて滅ぼされるべきである」と演説し、インディアン移住法なるものを可決
1845年 テキサス併合
1848年 旧メキシコ領カリフォルニアで金鉱脈が見つかってゴールドラッシュ。インディアンは略殺されていく

ちゃんと比べたわけじゃないですが、アメリカ人たちがやってたことは、スペインやポルトガルが南米を侵略しまくってた時代みたいです。ハワイ王国も支配されたようになっていきますが、そこまでひどい感じではありません。そうならなかったのは、カメハメハ3世が若いのにいろいろ頑張ってたからやと思います。ただ、ハワイ王国をアメリカに併合させる話を進めていた、と記録されているので、最後はやっぱり利用されてしまっていたのかもしれません。

アメリカが大嫌いなカメハメハ4世は、アメリカ人をなんとかしようとします

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カメハメハ3世の後を継いで、カメハメハ4世になったのは、アレキサンダー・リホリホ(以降カメハメハ4世と書かせていただきます)です。カメハメハ3世が亡くなってすぐに王になった、と書いてあったりしますが、就任されたのは1855年1月みたいです。20歳でした。

1855年、王位継承の就任演説をハワイ語で行なっています。ハワイの人々に、自分たちはハワイアンであることを思い返させる内容やったそうです。そして最後に英語でもスピーチをしています。

「ハワイアンに友好的な外国人は歓迎する。が、ハワイアンを使って儲けたりしようとする人たちは歓迎しない」

おおお!

カメハメハ4世は、世界特使旅行(第26話)の経験からアメリカが大嫌いになっていました。アメリカからやってきてる人たちに、これが言いたくて英語にしたんですね。が、カメハメハ4世は、ハワイ王国がサトウキビプランテーションから大きな利益を得ていることは分かっています。アメリカ人を追い出すことはしていません。アメリカとの関係は保ちつつも、アメリカへの併合をやめさせています。

当時のハワイ王国政府には、アメリカ系議員、イギリス系議員がたくさん入り込んでいましたが、カメハメハ4世はこれも変えようとします。

何を考えていたのかを一番感じるのは、教育改革です。就任して1年後、宣教師や欧米人が作り上げた教育大臣を廃止し、新しい教育委員会を立ち上げています。そして、この教育委員会を仕切るのは、カメハメハ4世の兄であるロット(後のカメハメハ5世)でした。教育とは国の未来を育てるもの。そんな重要なものを、アメリカ人に仕切らせておくわけにはいかないと考えたんでしょうね。

カメハメハ4世はどういう人やったのか、もう一度

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第26話にも書きましたが、カメハメハ4世は、カメハメハ1世の孫ですが、カメハメハ3世の息子ではなく、甥っ子になります。カメハメハ1世はキリスト教ではなかったので、たくさんの奥さんがいらっしゃいました。カメハメハ2世と3世は、カメハメハ1世とケオプオラニの子どもですが、カメハメハ4世とロト(後のカメハメハ5世)は違います。ちょっとややこしいので分かりやすく?書いてみます。

カメハメハ1世+ケオプオラニ
  息子・カメハメハ2世
  息子・カメハメハ3世

カメハメハ1世+カラクア(別の奥さん)
  娘・キナウ
   孫・カメハメハ4世
   孫・カメハメハ5世

カメハメハ1世はたくさんの奥さんがいましたが、子どもはそんなに多くはありませんでした。本当は、カメハメハ2世か3世の子どもが後を継ぐべきなんでしょうが、2人とも子どもはいませんでした。というわけで、カメハメハ4世が選ばれたわけです。

※この家系図では、カメハメハ2世は奥さんはひとりになってますが、2世もキリスト教には入信していなかったので、実際は複数いらっしゃったようです。若くして亡くなってしまったため、省略されているのかもしれません。

さらに脱線して、カメハメハ4世の絵の話

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唐突ですが、ちょっと脱線してカメハメハ4世の絵について書かせていただきます。カメハメハ4世の時代になると、写真の数が一気に増えています。で、たくさん見ることができるんですけど、いろいろ見ているとあることに気がつきます。

・カメハメハ4世の髪は左わけ
・カメハメハ5世の髪は右わけ

だということです。ちなみに、左分けとは、左目の上で分けている髪型のこと。

が!

一番有名な、というかよく使われているカメハメハ4世の絵(1の絵)は右わけです。え?カメハメハ4世は時々髪の毛の分け方を変えていたのか?

どうでもええことなのに、めっちゃ悩んで、調べまくってしまいました。ある時、気がつきました。右わけの4世と左わけの4世は、サッシュ(肩からかけている装飾用の帯)の向きが違うのです!

あれ?

そして、もっと探した結果、たどり着きました。

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なんと反転写真がありました。どっちが反転なのか分からなかったのですが、サッシュは右肩にかけるものなので、右肩写真が本物やと思います。つまり、よく使われているカメハメハ4世の絵(7つの写真を並べた中で1と記してあるもの)は、反転写真を描いたものなのです。どうして、こんな反転写真なんてものがあるのか?

っていうか、色がつけてある夫婦の写真(7つの写真を並べた中で4と記してあるもの)も実在しない合成写真であることが分かりました。一緒に写っているのは、カメハメハ4世の奥さんのクイーン・エマですが、そこに写っているのは、カメハメハ4世が亡くなってからずいぶん後のクイーン・エマなのです。どうして、こんな合成写真なんてものがあるのか?

ここからは、わたくしの推理です。反転写真や合成写真を作った理由は、奥さんと仲良い姿を見せるためでは? どうしてそう思ったのかについては次回。


。。。。つづく


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