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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 23.カメハメハ3世は11歳でハワイ王国の王になりました

カメハメハ3世は在位期間が一番長い王です

ハワイには、カメハメハ王家の遺産を引き継いで創設された学校(カメハメハスクール)博物館(ビショップミュージアムがあります。カメハメハスクールは、ハワイアンの血を引く子どもたちのために造られた私立学校で、ハワイ王国の歴史を伝える本を出していたりします。人物を切り口に作られていて、わたくしはその中で、カメハメハ3世の本が一番好きです。なぜなら、一番内容が濃いから。内容が濃いのも当然で、カメハメハ3世は、ハワイ王国8人の王の中で、一番在位期間が長いです。

※この本は英語です。わたくしは英語が苦手なので、訳してもらったりしながら必死になって読みました(涙)

カメハメハ3世というと、この本の表紙に載せられている写真が有名です。が、彼は1813年8月生まれで、位についたのは1825年6月。なんと11歳です。2カ月後に12歳になっているので、小学6年生の年です。カメハメハ1世が統一したばかりのハワイ諸島を、小学6年生が守れるわけがありません。これまた、カアフマヌカメハメハ1世の奥さんの1人)が、摂政をし続けることになります。

※カメハメハ3世は、カメハメハ2世の弟です。お母さんはケオプオラニ

それにしても、カアフマヌは心配でしょうがなかったと思います。カメハメハ2世が王位についたのは21歳でしたが、カメハメハ3世はまだ11歳。そして、カアフマヌはすでに57歳でした。

ちなみに、前回書きましたが、カメハメハ2世夫妻がイギリスで亡くなったのは、現代なら命に関わることが少ない麻疹(はしか)にかかったからでした。欧米人が増えることで、同じようなことがハワイ王国でも起こっています。免疫が無いハワイアンは今なら考えられないことですが、風邪で亡くなってしまったりしたわけです。ハワイアンの人口はすごい勢いで減っていました。

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カメハメハ3世が王位についたのは1825年6月です。1778年にキャプテンクックが現れた時は約30万人いたハワイアンは、カメハメハ3世が王になった頃には約半分になっていました。

※この数字、わたくしが2006年頃にいろんな資料を見て記事にしたものです。どこから引っ張ってきたか、探したんですけど、見つかりませんでした。間違ってないと思うんすけど、違ってたら修正しますので、教えてください。

そして、1832年6月、カアフマヌが息を引き取ります。ハワイアンにしては長齢の65歳でした。カメハメハ3世がもうすぐ19歳になる頃でした。

カメハメハ3世は妹とラブラブでした

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カメハメハ3世がまだ若かったため、カアフマヌは摂政を引き継いで亡くなっています。が、カメハメハ3世はそれまでいろいろ思うところがあったのか、カアフマヌが引き継いだ摂政を解任しています。そして、

・宣教師たちが禁止した古いハワイの習慣を復活させた

なんと、昔のハワイへ戻ろうとしたのです。この時、宣教師たちから禁止されたフラも復活させています。1番の驚きは、妹のナヒエナエナと付き合っていることを公言したこと。キリスト教では考えられないことです。近親相姦ですからね。宣教師たちは大騒ぎしますが、ハワイアンの世界ではよくあることやったので、みんなは騒ぎません。

宣教師たちが残した文章では、「カメハメハ3世が堕落した」ということになっていますが、周りも騒いでいないのですから、ハワイアンたちがちゃんとキリスト教に入信していたかどうか怪しい感じですね。

わたくしが以前読んだ資料には、ナヒエナエナはカメハメハ3世と結婚した、と書いてあったんですが、宣教師たちに反対され、最終的に結婚は許されなかったようです。2人は愛し合っていましたが、ナヒエナエナは、アリイクラスの息子と結婚しました。

上の2枚の絵は、カメハメハ2世が亡くなった時に、葬儀に参列した兄妹(左/兄/カメハメハ3世、右/妹/ナヒエナエナ)を描いたもの。イギリスの画家によって描かれています。この時から2人はすでに愛し合っていたかどうか、ちょっと分かんないですけど、なんだかグッと感じるものがあったりして。

1834年、ハワイに新聞が登場します

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カメハメハ王家は大変なことになっていましたが、ハワイにやってきた宣教師たちは、いろんなことを始めていました。これは、マウイ島ラハイナで1834年に発行された、ハワイで初めての新聞です。宣教師たちはアメリカの新聞技術を学生たちに教えた、と記録されています。

どうしてマウイ島ラハイナなのか。ラハイナは、カメハメハ1世が住み始めた1802年からハワイ王国の首都として機能していました。アメリカの宣教師たちだけでなく、欧米からやってきた人々も住みついていました。船に乗って異国までやってくる人々は、夢を求める人が多かったようです。

どうして新聞に動物が描かれているのか。なんだかよう分からん感じですが、いろいろ読むと、この新聞?には、

・動物たちの絵
・キリスト教の教え
・ハワイの憲法について

が書かれていたそうです。動物は人々の興味を引くための存在かと思われます。

ちなみに、この時の新聞や印刷機械は、マウイ島ラハイナで見ることができます。現在のラハイナはすっかり観光地になっていて、1859年に建てられた裁判所、オールド・ラハイナ・コートハウスには、当時のいろんなものが展示されています。

※現存している裁判所は、1925年に再建されたものみたいです。

1835年、カウアイ島コロアで、サトウキビプランテーションが動き始めました

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1835年に、カウアイ島コロアでサトウキビプランテーションがスタートしています。

サトウキビプランテーションとは、広い農地に大量にサトウキビを栽培し、砂糖を大量生産する農業というか産業というか。経営しているのは、宣教師たちや、欧米の実業家です。この畑は、量産が目的なのでとてつもなく広く、すごい数の農民が働きます。

現在、ハワイには日系人やアジア系の人々がいっぱい住んでいますが、そのルーツは、このプランテーションの移民労働者です。免疫の無いハワイアンが些細な病気で命を落とすため、経営サイドは、世界から契約移民労働者を連れてくることにしたのです。

が、この時はまだ日本やアジアからの移民はいません。移民がやってくるのはずっと後のことです。

さてさて、ナヒエナエナとカメハメハ3世の愛の話に戻します。資料によると、1835年にカメハメハ3世は更生した、と書かれています。再びキリスト教になり、フラが禁止される世の中に戻ったのです。カメハメハ3世が、古いハワイの風土に戻そうとしたのは、妹ナヒエナエナと一緒になるためやったのかもしれません。

が、せつない話はまだ続きます。ナヒエナエナはアリイ階級の男と結婚して、21歳で出産しています。その時、カメハメハ3世は、その子に王位を継がせると言ったそうです。なんだか切ない。が、その子は数時間も経たないうちに亡くなってしまいます。うう、切ないを通り越して悲しい。が、悲しい話はそれだけで終わりませんでした。出産後、ずーっと寝たきりやったナヒエナエナも、3カ月半で亡くなってしまいました。

カメハメハ3世が22歳の時のことです。

。。。。つづく

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