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「リーダーに必要な資質、それは”ナショナリズム” それとも…」

YACHTING

97年7月号

  

 

 

 

 「よりによって南波さんが…」-そう書くと、ほかの人だったらよかったのか、とアゲ足を取られるか。南波誠さんの事故は、本誌のほかのページで特集されているはずなので、ここでは詳しくは触れません。でも、ヨット関係者の大半はそんな気持ちじゃないのでしょうか。
 過去2回のニッポンのアメリカス・カップへのチャレンジで、とくに前回はスキッパーとして大きな貢献をした南波さんを失ったことのダメージは、計り知れないと聞きます。次回2000年のチャレンジに関しては、オーストラリア人のピーター・ギルモア

をスキッパー/ヘルムスマンに決めた以外は白紙、これから、クルーのオーディションやリクルートを開始するそうですが、当然、南波さんも、なんらかの役割で参画、いや、リーダーシップを発揮するのは間違いのなかったところでしょう。
 リーダーシップといえば、彼が落水した4月23日は、ペルーの日本大使公邸人質事件で、強行突入が実施された日でした。実は、早朝に呼び出された私はそのまま数日間、ペルーの事件にかかわっていたため、しばらく南波さんの事故のニュースに気がつかなかった。それはともかく、ペルーの特殊部隊は、周到に準備された作戦により、テロリスト全員を射殺して、一気に事件を解決。ペルー国家のスキッパーたるフジモリ大統領の発揮したリーダーシップの強烈さが、橋龍アンパン首相、池田コノヤロウ外相、そして、青木特命全権酔いどれ大使ら、わが国リーダーたちと比較されて喧伝されたものです。
 また、この事件はあらためて「国家とはなにか」を問いかけてもきました。で、まあ、今回は、リーダーシップやナショナリズムについて斜めに読んでみよう(いや、周辺をなぞってみよう)というのをお知らせするのが、この長~い前段でした。やれやれ。
 

 

 海をめぐる今回のテーマがらみでは、石原慎太郎と尖閣諸島のニュースがありました(まったく関係ないけど、この人、昭和44年の夕刊フジの創刊号の1面を飾った)。
 わが国政府は国際的に、「尖閣諸島はわが国固有の領土だ」と宣言しているわけだから、実際に魚釣島に上陸した西村某代議士の行動が、少なくとも自国政府から非難されることはないと思うんだけど、じゃあ、竹島はどうなんだ、北方領土へ同じように上陸できるのか、となると、「魚釣島への接近は、波が高くて危険だった」というのとは別の意味で命がけ。たぶん、鉛の弾が飛んでくるんじゃないかなあ。ナショナリストもたいへんだ。 報われないところへ、わざわざ好んで行く人もおるまい、と思うなかれ。
 先日、高部正樹という32歳の青年の話を聞く機会がありました。『戦争志願』『戦争ボランティア』の著者で、《航空自衛隊パイロットをへて、アフガンゲリラ、カレン独立軍、クロアチア兵として最前線に立った日本人》です。いわば、傭兵。
 外国人部隊に所属していたクロアチア軍での話を聞くと、うへえ、と思ってしまった。まず報酬。小説や映画の傭兵といえば、一獲千金の高い報酬ねらいで描かれているけれど、彼の場合はなんと、日本円にして1カ月2万5000円から3万円ぽっち。私のこの原稿料より安いんですよね。
 それで死んだら、特別な見舞い金でも出るのかと思えば、それも一切なし。
 「入隊時に緊急連絡先というのを書くんですよ。緊急とは死ぬことですが、親でも友人宛でもいくつ書いてもいいんですけど。それで死ぬと、あらかじめ文章が印刷された紙が基地には山のように積んであって、3カ所だけがが空白になっている。そこに、氏名と日時、地名をタイプすると、戦死連絡のできあがり。戦闘状況の説明もなく、あるのは、日時と○×付近で戦死という記述だけ。それを郵送して、おしまい」
 ……。

 ところで、日本人がクロアチアの旗のために命(本人によると「戦闘技術」)を売るというのは、どういう性根からか。彼が、なんで戦場に向かうのかというと、一言でくくってしまえば、そこに「やりがい」を見つけたということになるのでしょう。ただし、それはおそらく「職人」としてのやりがいです。ちなみに、アフガンとカレンでは無報酬のボランティアだった。
 とはいえ、やりがいの売り先は、どこでもいいというワケでもないらしい。現在の傭兵市場では、中南米やアフリカの某国から破格の報酬の募集もあるそうで、それは、麻薬関係の組織や地元の大金持ちの「私兵」。彼は、これらに手を出す気はない。けれど、日本の旗だけにこだわっているのでもないのです。

 


  まったく、やりがいとそれに見合う報酬を両立させるのは、永遠の課題です。
 あの星飛雄馬だって、自分が野球人形じゃないことを証明するために、球団に対して年俸契約でゴネて見せたことがあったしなあ。たしか、同じ理由で、看護婦さんと恋愛してたころじゃなかったっけ。でも、その実、星飛雄馬はGの旗にこだわっていた。その意味で、ミニ・ナショナリストだった。その点では清原も同類。野茂は明らかに「職人」タイプで、伊良部はどっちなんだか、いまだ微妙ですね。
 ええと、そろそろヨットにからめた話に戻します。たぶん…。
 日の丸に技術を売った傭兵ピーター・ギルモアです。金銭的にも報われているに違いない、このオーストラリア人が職人であるのはうたがいないとして、問題にしたいのは、受け入れる側の日本のナショナリズムです。
 海のF1とも言われるア杯ですが、これは、ハードウエアのハイテク度やシンジケートの運営システムを比較してのもの。F1は、ドライバーの個人人気をのぞけば、ほぼ完璧なナショナリズム・フリーのチーム運営になっています。だから、本誌2月号のヨッティング・クラブで《オリンピックと、アメリカスカップどっちがえらい?》ってやっていた、この比較の方が適切でしょう。なんせ、日本のチーム名が「ニッポン」ですからねえ、ナショナリズムぷんぷんです。
 サッカーのW杯挑戦と比較するのもいいかも。
 わが日本代表は現在、オランダ人、ブラジル人の傭兵指揮官をクビにして、日本人を監督に据えた。これに反対したのは日本人の強化委員長で、賛成したのはブラジル帰化日本人のラモスでした。うう、ややこしい。
 このたとえは、アフターガードをキウイが占拠した初のニッポンチャレンジで、「どうしてこれが日本艇なんだ」と外国人から言われたことをホーフツとさせます。一般の日本人もそう思っていました。私も、友人から「なぜ」と聞かれて、「ルールでは大丈夫なんだ」と答えた覚えがあります。
 「大丈夫」なんてディフェンシブな表現に、裏返しのナショナリズムのくびきを感じるのですが、正面ナショナリズムから言えば、「なんでまた、外国人なんだ?」

 


  にしても、皮肉にも、ギルモア決定とあい前後するような前回スキッパーの死が悔やまれる。南波さんには、日本人としては久々に無責任ではないリーダー像を見ていたような気がするだけに、なおさらです。なんでも、日本ヨットマッチレース選手会の会長に推されたばかりだったそうじゃないですか。
 彼を再び、挑戦艇のスキッパーにすべきだとも、日本人が日本艇のスキッパーであるべきだとも思いません。ただ、その役回りをこなせる日本人がいないのが悲しい…。
 断っておきますが、ギルモア本人が非難される理由は一点たりともないと思っています。
 ま、スキッパーといっても名前だけなら私もそうです。おまけに、ティラーさえ、しばしばクルーまかせです。微風のランニングでは、バウデッキに寝そべり、足首にジブシートを巻き付けて、「人間ポール」となっているんですから。おっと、あまり顰蹙を買う実態は隠しておかなくっちゃ。

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