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会社に長く勤める事は良いことか

日本では一般的に会社に長く勤めることを良しとしている。

この考え方はかなり世界基準とは離れている考え方らしい。

もちろん日本の終身雇用と年功序列が生み出した賜物だろうが、終身雇用と年功序列が無くなった現代でも、長く勤めたほうがいいのだろうか。

日本の採用方法は採用してから教育に力をいれるので、その教育費を回収できるのが3年後あたりで、3年目以降が損益分岐点になるようなことが言われているが、実際の所は仕事にもよるし教育方法にもよると思う。

海外だとジョブ型雇用と言われて、大学で専門性を磨いてそのまま同じ専門として企業で働くとのことだが、実際どれくらいの専門性で認められて、どれくらいの縛りなのか、イマイチよくわからないところでもある。

ただ教育に時間が掛かる以上、日本の場合は長く勤めるほうが企業にとってはメリットが大きいと思われる。

中国の場合、長く勤めるというイメージよりは、仕事を憶えた人はステップアップの為に他の会社へ2~3年で転職するというプランが一般的らしい。

逆に長く務める人は、まだその仕事を憶えられてない無能なのか、向上心がない人間だと思われるとの事らしい。

日本だと長く勤めるという人は基本的にベテランと言われて、尊敬される傾向にある。

もちろんそれは素晴らしいことだし、技術が高まるかどうかは仕事にもよるだろうが、最近の仕事の内容が昔とは変わってきているのは明らかだと思う。

人間が出来る仕事より、機械ができる仕事のほうがどんどん増えてきている。

機械を24時間で動かしたほうが安くて失敗がないのに、人間をわざわざ雇って教育するという作業はかなり無駄になる。

それならば、人間はもう働かないほうが良い気もしてくる。

いろいろな考え方はあると思うが、やはりバイトでも一番仕事を憶えて成長しているなぁと思う期間というのは、最初の3ヶ月とか半年くらいまでではある。

あとはもう慣れてしまって、流れ作業のように滞りなく運営できるように働くだけではある。

多分、この3ヶ月~半年が企業の言う教育コストで、半年以降が企業側における損益分岐点から利益という事になるのだと思う。

当然ながら、問題なく通常運転してほしい企業側としては、半年以降のパフォーマンスをずっと維持したいというわけだろう。

もちろん産業スパイのように、職場を転々とするのも、実際に実力が身についているのかは微妙なところだが、少なくともいろいろな人に出会って、同業種でも異なる改善点などを見つけられるとは思う。

それでは、長く勤めることの良い点とは何だろうか。

漠然と長期間で働く経験的な意味合いより、長く勤めないとある程度の結果が出ない業界というのはあると思う。

例えば農業のような、1つの学びや成果が出るまでの時間が圧倒的に長い仕事であれば、必然的に長く勤める必要がある。

農業であれば、夏に虫がつかないよう農薬を撒かないといけない。

しかし、雨が続いたり、台風が来たりで状況によって、方法を変えたり工夫しなければいけない。

そうなると、去年の経験とはまた違った経験を今年することになる。

だいたい何かのバイトが1日で開店から閉店までのルーティンがあるとすれば、農業の場合、1年に1回実になって出荷することを考えると、ルーティンの長さの違いというのは明らかだとは思う。

そうだとすると、単純に一般の会社員であってもルーティンの期間が長い企業であれば、学ぶことも多いし、長く勤めるべきだと思う。

ただ、そこに加わる労働力として、単発の部分的な労働力になってしまうと、単純労働でルーティンの期間が短くなってしまう可能性がある。

そう考えると、長く勤めることで利点があるのは、作業工程を全体的に見渡せるような、ある程度上の立場の人間ということになる。

年功序列の悪い点としては、若くして優秀であったとしても、上の立場になれないこともある。そして今の日本企業は頭でっかちで、上が詰まっている状況になっている。

経験と一括りに言ってしまうのも薄っぺらい考えなのだが、総理大臣の経験は総理大臣になってみないと積むことは出来ない。

やってみないことには、向いてるか向いてないかもわからないのである。だとしたら、早めに経験した方が良いと思う。

一般的には日本の終身雇用や年功序列というシステムは言うほど悪くないとは思う。

ただ、現状の日本の人口バランス的には、そのメリットが機能していないということである。

バブルの時に人を採用しすぎて、その後に急激に採用を減らしたせいで、バブルの時に入社した50代あたりの人達は、もう出世できる枠もないし同期が多いだけの社員という立ち位置になっている。

そこで早期退職を多くの企業が実施しているわけだが、結局その人達が長く会社勤めをしたことで得られた経験や能力というのは、何なのだろうか。

もちろん年代に限らず、人によって優秀か無能かはあるだろうが、様々な配置転換などを経て、年功序列によって得られるリーダー的な経験も得られて、退職金ガッポリで辞めるならいいが、それが無いまま退職してしまうと、市場価値としては決して高くはないだろう。

給料というのは企業が勝手に決めるため、実力と給料というのは必ずしも比例しないが、実力がある方が高い給料を得やすいと言える。

需要と供給のバランスもあるので、ある特定の仕事が出来る人がその地域にいなければ、その能力を持つ人の給料は高くなりやすい。

結局の所、長く勤めることで得られるのは、経験と実力ということを考えると、その経験と実力を社会の需要とマッチさせる必要がある。

企業で長く勤めていると、自分と社会のマッチングというよりは、企業内でも必要なポジションを求められる傾向が強まるだろう。

だとすると、それは必ずしも企業外でのマッチングと同じものとは言い切れない。

その企業ではその人のその仕事は必要とされていても、企業の外に出れば需要は無い可能性もある。

むしろその方がよくあるというか、企業内の需要が外とマッチするということは、なかなか無いと思う。

そうなれば、自分の価値を外の社会と合わせていく作業というのは、必然的に人生の中で発生してくる。

突き詰めていくと、人生の中で誰でもこのマッチング作業を、必ずしなければならないようになる。

小説を書いても、好き勝手な小説を書くよりは、現代社会の心情を表現したほうが需要にマッチするだろうし、野菜をたくさん作っても消費者が欲しい野菜を売らなければ廃棄になってしまう。

会社員だろうが、自営業だろうが、社長でも平社員でも必ず人が求めていることをやらないと、人間というのは価値を見出だせないのかもしれない。

その行動に対する自分の心情は、人によって好き嫌いあるかもしれないが、とりあえず需要に自分がハマりに行くか、自分という存在で新たな需要を社会に作り出すか、どちらかが必要になる。

それができなければ、会社の中で言われたことをずっと長くやるだけの価値以上にはならず、外でも需要を生み出すことは難しい。

簡単に言ってしまえば、一人から必要とされる人間なのか、大勢から必要とされる人間なのかの違いかもしれない。

会社に言われたことをやっていて、自分に価値がある場合というのは、その企業のサービス自体が社会から強く求められている時と言える。

自分の仕事を企業が仲介して社会の需要を満たしている為、働きがいもあるし、給料もあがるだろう。

だが、残念ながら今はそういう時代ではなくなってしまった。

石の上に三年もいたら、気がついたら海底に沈んでいる可能性もある。それくらい周りの環境の変化が激しくなっている。

おそらく優秀な人というのは、働く期間で人生や社会の状況を考えていない。

学んで、実力を得たら、それを社会の需要へ向けてマッチさせるという作業を繰り返しているのだと思う。

解決できなければ、できるまで粘り強くやるだろうし、解決できれば短期でも次のステップへ進む。

寺田倉庫の社長は、会社の制度にしているわけではないが、社員は大体3年で卒業して欲しいとの旨を、前にカンブリア宮殿で言っていた気がする。

3年くらい働いて、ある程度学んだら、自分の好きなことを見つけて新しいことを始めてほしいとのことらしい。私もその意見にすごく賛成であるし、そもそも何も考えずに就職=カネと思っている人が多すぎるんじゃないだろうか。

人生はそんな陳腐なものではないだろうし、別にバイトでも正社員でも人生楽しく過ごせればそれでいいと私は思う。ただ、不当に給料が低かったり、有給の使い方まで指摘してくるくせに、長く働いて欲しいと要求するのは、頭がイカれてませんか?ということだと思う。

金を払えば責任は生まれる。ただ、1円でも支払ったら人間の人生を全てコントロールできるわけではない。100円には100円の労働力で、年収1000万なら1000万の労働力となる。

多分、これからの時代は業種にもよるだろうが、あえて長いルーティンの仕事をやりたがる人が増えるか、短期的に多くの企業を渡り歩いて、異業種の経験をまとめて形にするような人達が増えるかもしれない。





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