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鬱と簡単に言える世の中

うつ病というのが、世間で知らない人はいないくらい認知されるようになった。それに伴いうつ病が甘えや根性がないと言う人も減ってきている。

「抑うつ」や「躁うつ」など目にする機会も多い。精神病というと聞こえが悪い感じがするが、高所恐怖症や閉所恐怖症みたいなものも言ってしまえば精神病とまではいかないが、性格の偏重みたいなものの一種ではある。

一般的に認知され始めたということは、単純に考えればそれだけ鬱や精神疾患になる人が身近で増えてきたということだろう。

よく真面目な人が鬱になるとか、自殺してしまうなどと言われるが、個人的には誰でもなると思うし、世間でも誰でもなるんだなという知識は広まっていると思う。

どういう人がなる、という推察よりも、普通に精神的な負担が軽い人が鬱になるわけはないので、家庭の負担でも仕事の負担でも将来の負担でも何かしらが重荷になって精神的な負担になっているということだろう。

それならば、どういう人間がなりやすいなどではなく、環境要因での不安因子を潰していくべきだと思う。

私は満員電車に乗ると心臓がバクバクしてお腹が痛くなって、どうしようもなくなるが、別に毎回そうなるというわけでもない。

なったらどうしようとなってなる日もあるし、椅子に座っていると大丈夫なときもある。椅子に座ったから大丈夫だと安心していると急になるときもあるし、なったけどすぐに収まる日もある。

結局、汗をかいたり、お腹が痛くなったりするのを自分でコントロールできないように、そうなりやすい条件を自分で外していくしか方法がない。

それが面倒くさくなって自分はもう電車に乗りたくなくなったが、多分普通に遊びに行くときだと電車は乗れると思う。そういう事を言うと普通の一般的には「甘え」に聞こえるかもしれない。もう死ぬ一歩手前くらいまで働いて限界になったら休めよ。みたいな感じもあると思う。

だが、朝のスーツで満員電車に無言で直立しているオッサンに囲まれている環境だと、動悸がして気持ち悪くなってお腹がいたくなるのだから、それ以外の説明がしようがない。

自分より症状が酷い人もいるだろうし、入院したり薬を飲まないとどうしようもない人もいると思う。精神科で薬をもらって、そこまでしても家族のために働いている人も前の勤務先にいた。

○○恐怖症とか過敏性腸症候群みたいなものだと、なんか病気というよりはライトな体質のような見られ方ではあるが、人によって程度があるし、実際に経験してみないとわからない辛さというのもある。

パニック障害を公表する芸能人やアイドルがいたり、ADHDや自閉スペクトラムなどの認知度も高まっている。

過敏性腸症候群くらいなんとかしたら治るだろうと思いがちではあるが、パニック障害になる人の多くは過敏性腸症候群を抱えていたり、うつ病になる人の多くがパニック障害を併発していたり、病気というものはそう単純なものではない。

もちろん認知度が高まっていることは理解が深まって良いのかもしれないが、抜本的な改革が出来ているのかと言うと、それは微妙である。

認知度が広がっても、病気の人が減るほうが世界としては安心で過ごしやすい世界になるだろう。だが、現実にはそこまで進んでいるかはわからない。確かにストレスチェックや企業のメンタルヘルスの検診などの導入は増えている。

それによって助けられた人も多いだろう。社会復帰できる人も多い。もはや精神疾患は会社の中にあって当たり前のものになりつつある。

仕事というのは鬱にならないようにコントロールしながらこなすものになりつつある。もちろんそこまでして働かないといけない状況が多くの人にはある。

毎日、仕事に行くのが楽しいのに精神を病む人は聞いたことがないが、よほど稀なケースだと思う。大体はしんどい思いをして精神疾患を患うことになる。

だが、結局の所何が精神疾患の原因になるのかというと、個人差もあるだろうし、一概にこれが原因です。と断定できるものではない。

よく芸能人が自殺した時に、「仕事が順風満帆だったのに」とか「何か人間関係に悩んでいたのでは?」などと勝手な憶測をするコメンテーターやマスコミが多いが、結局の所本人さえもその原因について理解していない場合もある。

なんとなく充実感がないとか、いつまでもこんな人生の繰り返しだと耐えられないとか、運命の人だと思っていた恋愛感情を持つ相手に振られたとか、それでも自殺する人は実際いるわけで、本格的な精神疾患とは別としても、冷静な判断力を欠く状況は現代社会には生まれやすい。

一説によると、SNSや長時間コンピューターと向き合っていると、精神疾患の発症率が上がるとも言われているが、もし本当だとしたら、現代社会で精神を病む人が増えている理由もわかる。

現代社会のあり方が間違っているなどと言っても仕方がない。世界全員の総意ではないにしろ、世界が今の姿になって嬉しいと思っている人は多いと思う。生まれる環境が自分で選べないように、そんなことに文句を言っていても仕方がない。

遠方にいる人とも簡単に無料で連絡を取れるのは当たり前になったし、自分が知りたくもない情報をインターネットに繋げばすぐにどんどん入ってくる。

テクノロジーの技術というのは年々過去の天才から引き継がれて発展していくが、そのような理論を積み重ねて現代のテクノロジーがある。数え切れないほどの天才が生み出す一生分の知能の上辺をすくって、それを扱う現代の人間というのはその進化に対応しているんだろうか。と時々考える。

人間が急にスター・ウォーズのようなエイリアンに形が変わったわけでもないし、脳みそは気持ち大きくなっているのかもしれないが、正直人による部分もあるだろう。

何を持って人間が優秀などと測れないが、少なくとも精神疾患になる人が優秀じゃない、ひ弱な人間ということはないと思う。

自分のことを擁護するわけじゃないし、自分は確実にメンタルが弱い以前に自分自身の甘えで現状に満足できない状況に陥っていると思うが、必死に働いているのに成果が出なかったりすれば、心が病むのは当然とも思える。

ポジティブな人間が自己啓発本を書いて、ポジティブに考えれば人生うまく行く!みたいな本をネガティブな人が読んだからといって、その日から性格が変わるわけではない。

意識や物事の考え方が多少変わるかもしれないし、それによって行動が変わるかもしれないが、マラソンを早く走れる方法の本を読んでも、身体が一緒に成長するわけではない。

ある位置場面の一部を切り取って改善することは出来るかもしれないが、自分のことだけに悩んでいるわけでもない。

親の認知症の介護であったり、小児がんの子供の面倒を見ている人に「くよくよすんなよ、ポジティブに考えようぜ!」などと言ってるやつは頭おかしい。結果的にはポジティブに考えざるを得ない状況に人間というのは追い込まれるのだと思う。じゃないと潰れて死んでしまう。

だが、それは自分の内面から自発的に出るものではなく、的確なアドバイスを貰ったり、助けてくれる人が現れたりして、状況の改善の見込みが見えることによるポジティブだと思う。

本当かウソか知らないが、ホンマでっかTVで心理学者の植野先生が、過去に生まれたばかりの赤ちゃんに全くコミュニケーションを取らずに、十分な栄養だけを与えていたらどうなるかという実験が行われた際に、赤ちゃんは2年以内に全員死亡したと言っていた。

単純な身体的な健康以上に、コミュニケーションなどの精神的な発育は重要と言えるかもしれない。大人になってもこれは同じじゃないだろうか。

人間の働き方において、もっと人は進化出来る気がする。テクノロジーの進化で新たな病気が増えてしまうというのも、なんだか残念な気もするし、単純に近視の人口も世界中で圧倒的に増えているらしい。

不安を抱えずに、多くの人が生きていけるような社会になることが優先されて欲しい。








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