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お世話になった懐かしい人と会った時の気持ち

自分で言うのもあれだが、私はそれなりに義理堅い人間であると思う。

今日、数年前に働いていた職場で定年退職されるお世話になった方に会いに行った。

久しぶりに東京まではるばる行ったが、緊急事態宣言が明けて私が思っている以上にみんなレストランとかカフェとかで会食しているし、さすがにマスクしているが、満員電車も余裕で乗ってるし、キャリーバッグを引っ張って旅行している人もたくさんいた。

もちろん法律で禁止されてない以上、やっても全然構わないのだが自分が一年近くセルフ自粛していたのが、マジでバカバカしいことしてたな。と東京をひとりでふらふら散歩しながら考えていた。

それでも、帰り道では数年前に会社に行っていた時の帰りの電車よりは空いているようだった。

1年フル尺で自粛して、外出はほぼ深夜のコンビニかスーパーにしか行ってなかったので、肌が真っ白になって過去の同僚からだいぶ心配されたが、相変わらず働いているメンバーは仲良くやってそうだった。

人出が足りて無いようで、戻ってくる?と言われたが、正直戻ってもそれはそれで問題ないと思うが、楽しく働けても自分の人生の夢はかなわないと思う。そもそもそれを理由に辞めたので、また同じことのループになってしまう。

自分の人生にとって楽しく働くのは重要なことである。それはたとえ収入が低くても生きていければいいと思う。

ただ、仕事で成長がないというのは辛い。自分の出来ることだけでずっと同じ範囲で仕事をしているような事を続けていても、技術に幅があればいいもののいずれ行き詰まるのは目に見えている。簡単に言えば、自分が自信をもってこれが私の仕事です。と言えるものではない感覚だった。

お金がなくても、もしこの技術を身に着けたらお金をたくさん稼げる可能性がある。というような見通しが立つのであれば、それで続けていても良いと思う。過去の職場はそうじゃなかった。

自分の市場価値を高めるのはいろいろな要素が必要になると思う。実力も運もタイミングも人間関係の全てが繋がれば、売れる可能性は高まる。

自分が満足できる生活が送れるのが人生の理想であると思う。そういう原点を見つめ直す意味でも過去の人に会うのは自分なりに大切にしている。

後悔することは人間誰しもあると思う。これやったら後悔するかもしれないな。とわかりきっていることでも、やはり未来になって後悔してしまうのである。

過去の人と再開することで、当時の自分がどういう感情だったとか、どういうモチベーションがあったとか、どういう失敗をしてどう乗り越えようとしたかとか、回想することになる。

その懐かしい気持ちになることで、なんか今の自分に活かされると思うし、それによってモチベーションが上がる。もちろん大切な人と会って話して、信頼できる人間関係を構築していくのは大切だと思う。

定年退職される方への感謝の気持ちやお祝いの気持ちはもちろんあるし、人生の先輩として良くしてもらって嬉しい記憶がある。こんな人が世の中にたくさんいれば飢えて死ぬ人とか、戦争とか全て無いんだろうな。と思ったりもする。

そういう人に何かしら目に見える形で「立派になったな。」と思ってもらえるような人間にならないとな。と自分で思い直すきっかけを懐かしい人と会うことで貰いに来れた。

自分はいい歳してまだまだ未熟で、自分のこともロクに自分で出来ない残念な人間から成長した姿を見てもらいたいな。と思ったりする。

何よりこういう滅多に無いイベント的な日を経験することによって、人間の意識というのは大きく変わる。

ひとまず考えたことは、自分はかなり自由に時間を使えるライフスタイルなのに、全然自由に働けていなかったな。ということを反省した。それは物理的に東京に来て、通行人のいろんな様子を見て、いろんな人いるな。と漠然と認識できた。

ずっと家で自粛しながら働けるのは良い点でありながらも、別にどこでも働けるという利点を活かしきれていなかった。

せっかく東京まで出て、好きだった散歩コースにあるお店ががっつり潰れていたり、違う店になっていたり、わずか数年でこれほど変化する街というのも珍しい気もする。それだけ時代は変わっているのに、自分はその変化についていけてない感じがする。

地方に目が行っていて基本の東京の成長を見逃していたような気もするが、やはり東京は東京で面白い街ではある。日本の首都でまさに日本の中心という感じである。長く住もうとは思わないが、オリンピックが出来るほどの経済規模を有している都市は世界にそう多くない。

とりあえず月一回くらいは旅行に出て、新しいものを吸収出来たら良いなと思う。何かしらのイベントは東京でまず開催されるので、そういうのに出席してもいいし、林業体験など地方にまで飛んで、数日のバイト代を稼いでも良いと思う。

なんか自分の狭い枠の中に閉じこもっていたなぁと感じたが、そういう感情を打開するのはやはり人との対話であり人間関係である。

自分が成長するというのは、自分の中になかったものを取り入れたり、手に入れるということなので、それは自分の外にいる人達から刺激を受けた方が得やすい。

もちろんコロナ禍でわざわざ遠出して慌ただしく動くのも違うと思うが、コロナの感染者がいないところでコロナに感染することはないので、いい感じの場所の見つけながら、林業でも農業でも今の時期しかできないことをやっていきたい。

多くの人がコロナによって行動を制限されたり、定時で出社しなければならないという拘束があるにもかかわらず、自分はその制約から逃れている利点を使いきれてなかったとは思う。

もちろん、遊び呆けるほどお金に余裕はないが、どうしようもないほど立ち行かなくなるというものでもない。

幸い株価も上がっているし、いつまで継続するかわからないが新しい案件も取れたので、4月という新年度らしい気分を迎えられた気がする。

オリンピック延期とかコロナのどん底のような気分からは、私の人生も少しずつ改善している。

守るものがない人生なのに保守的になって一番若い体が動く今この時間を捨てているというのもオカシな話で、やはり今しかできないことを遂行していくという優先順位は守ったほうが良いと思う。

誰も人生の先は見えないので、今を一生懸命生きてなんとか未来へ繋げていくしか無い。

定年退職された私の上司というか、直属ではないが毎回気を遣ってくれる気のいいおばちゃんは、60過ぎて再雇用で65歳まで働いた。単純に大卒から計算すれば40年近くその会社に勤めていたということになる。

そもそも40年間も会社が生き残っていたということが普通にすごい事だろうし、それに貢献したというのもすごい。もちろん日本なので男女の賃金差とか出世できないとか、不満は溢れていただろうが、そういう人生を選択して生きてきたおばさんは清々しい表情だった。

40年どころか開始5秒くらいでドロップアウトした自分としては、おばさんのような清々しい表情で退職することは叶わない夢となってしまったが、これから何かしら充実できるものを見つけていきたい。

欧米のように自分のキャリアに特化すれば、ポンポン転職して、いい環境で金金金で済むのかもしれない。

でも、欧米では会社の人と飲み会をすることはほとんどないだろうし、知らん人が入ってきて、仲良くなったと思ったらクビになったり、知らん人が入ってきたり、入れ替わりも激しいと思う。

日本ならではの雇用環境が生み出した人間関係はまさに家族型経営と呼ばれるように、人間関係を密にしてくれる。

もちろん会社に縛られる地獄や、意味わからん老害が直属の上司になれば死あるのみだが、ラッキーな人にあたった時の人間性の成長は計り知れないものになると思う。ある意味それが日本経済や日本企業の強みではある。

この先、どんな人間関係を築いて、どんな仕事を始めるかわからないが、人に感謝できたり、この気持を忘れないようにしたい。




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