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人物造形のヒント④ どんな人かわかるように書く

はぁ? 当たり前じゃん。って思った人。

甘い。甘いんですよ。ひとのお話を読んでいて、感情移入できなくて困った時を思い出してください。現実味がない。共感できない。深みがない。実感がわかない。腑に落ちない。場面がはっきり思い浮かばない。台詞が刺さってこない。いなさそう。建前ばっかり。混乱する。他人事って感じ。興味が湧かない。etc.etc. そして、どうしてそんな状態になったのかを、よくよく思い返してみてください。いいですか、それは、その人がどんな人だかさっぱりわからなかったからです…!

んー…けど、色々考えてあって、描写も結構上手だったよ。性格わかるエピソードも入れてあったし、ストーリー性もまあまあ。どんな人かって言われたら答えられるくらいにはちゃんと、書き込んであったと思う。確かになんか足りないっては思ったけど、ソリが合わないだけか、発想力とか独自性とかそういう、そもそものアレじゃね?

いいえ。ソリが合わなくたって、よく書けてれば感情移入できない事態にはなりません、「いいえ」です。文学にそもそものアレがあるとしたら洞察力とか解決力です、「いいえ」です。

もともと、読み甲斐のために、物語設計・人物設計自体の発明性は必ずしも必要ありません。名作傑作を謳われる作品を見渡してください、特殊なら面白いでしょうか。または、思考実験として、色んな人に、あらすじと登場人物を完全に指定して書いてもらってもいい、ね、結果が玉石混淆になるのは目に見えてます。国も時代も違う人が書いた、国も時代も違う物語なのに、没頭して手が止まらないことは?

ピンとくるとかこないとかはね、内容ではない、書きかたの問題なんですね。しかも大抵の場合の大問題は、人物の書きかたが浅くてブレブレだという問題だったりするんです。

ブレのほうは今回あんまり関係ないかな。いちおう、気になるから先に片付けましょう。

単純すぎて通り過ぎているかもしれません、ブレの根本原因は、物理です。同じ人が何かしていたら、かならずその人の行動なのでしょうか。それは…現実ではそうでしょう。しかしここは、物語の世界です。つまり、それが本当に同一人物の性質であり、行動であると保証するものは、現実世界のその経験則だけ。書き手はひとりの人物に、その人物らしくないことをどんどんさせられます。書き手が努力を怠ると、人物たちはすぐにも空中崩壊し、ピンとこない人たちに…。物語の世界では、動作主を揃えるだけで複数の人格が簡単に同一人物になれますし、まるで実際そうであるかのように見えてしまう。が、人間はそんなに簡単に、しかもガチャガチャに統合されることはないんです。一・貫・性! 統・合・性! ここはかならず意識してください。

もちろんです、ちょっと外してみると読み手はドキっとしてくれますが、それはほかで一貫性と統合性が保たれているからこその、どちらかというと小技です。やりすぎないよう、気を付けましょう。

ふぅ。人物造形中の書き手には色々な山谷が待ち構えてますね…えっと、はい、一貫性の面はクリアできて…戻ります。さて。見る限り減点は、ない。

減点はない。ひと通り揃ってる気がする。けど浅い。登場人物に「何か」が足りない…。

ゆるゆると本題に入っていきましょう。まずは、「その人がどんな人かがさっぱりわからない」状態と、その弊害について考えましょうか。

どんな人かはわかってる…? 32歳男性、アパレル系非正規雇用の男性で? 妻の実家住まい、新婚旅行を前にして妊娠が判明したうえ切迫早産? 泣く泣く5割のキャンセル代を二人の預金から出した…初産でテンパる妻と初めてお金のことで喧嘩…これだけじゃ、大変ですね以外に感想出てこないな。仲直りして終わるのかな、それだけが心配。どうも…いけませんね、それらしい外見や生い立ちも入れてみましょう。ちょっとした会話や、小さな事件も。それでもですよ、この人がどんな人かは残念ながら、わからないかもしれません…。

うーん。ね。こんなに詳しいのにね。

問題がほんのり見えてきたところで、実習を入れてみましょうか。冒頭で俎上にあげた、「ほかの誰かが書いた、問題はないが面白くもない小説」へお戻りになり、「その人がどんな人か」が描かれている箇所にマーカーを引いてみてください(できれば実際にやってみてください!)。国語の試験中の趣きで機械的にやるほうがいいかも。技法・手段は問いません。主観でも自己客観化でも他己分析でも、エピソードでも会話でも情景でもいい。どうでしょう。

その人がどんな人か、目に浮かぶようですか? 

自分が見ていないときにも、その人はその人らしく生きてそうですか? 

隣人、友人、知人、家族、恋人だったら…と想像が膨らみますか?

こんなふうになりたい、またはこんなふうにはなりたくないと思う部分がありますか? 

こんな考えかたあるんだ、こんな感じかたあるんだ、こんな人いるんだ、と思ってから、いやまあ、小説なんだけどさ、と我に返るあの喜びが、ありますか?

たぶん…たぶんですよ…総じて、ゴニョゴニョ書かれてはいるものの、ぱっとしないはず。なーんか…ね…? 確認できたら今度は、今度こそ、書き手の目線になって(人が書いたつまらない小説なんて何度も読みたくないとは思いますが、書き手には反面教師の宝庫なんです、ファイト!)もう一度眺めてみてください。

曲がりなりにも登場「人物」である以上、その人がどんな人かの、土台はありますよね…その人らしさがわかるためには、なにが不必要で、なにが必要だったんでしょうか?



やっと、準備が整いましたよ。もうそのぱっとしない小説はどこかに押しやって(ありがとうございました、というか、すみません…)おきましょう。

「どんな人か」。ここからいきます。

はい。物語というのは、さっきブレのとこでチラッと出てきましたが、ごく単純に、虚構です。現実世界と必ずしも同じでなくてもいいし、何度かお話してきてます、ここがもどかしくも面白いところなのですが、現実と同じように書いたからといって、実世界のようになるわけでもない。

例えば500年、最愛の人の唯一の宝物を探し続けたアンドロイドの話に、なんの「現実」味があるでしょう? しかしながら、このプロットが多種多様な登場人物を生み、また随所で感動的な場面を提供するだろうことは、容易に想像できますよね。物語上の現実味というのは、実現性の高さを必ずしも意味しない

読み手は、誰かが出てくると、当然ながらまず、考えます。

どんな人?

これが現実の日常会話ならそれこそ、ひととおり小説の設定になるようなことを言えば、それでよしとされますね。ついでに最後に「まあ、会えばわかるよ」とかね、付け加えておけばよろしい。しかし、小説では…?

さきほど準備作業で引いたマーカーの感触を思い出してください。

物語で読み手が内心で発する「この人、どんな人?」と、日常生活における「どんな人?」とは、質問の意図も求められる答えの性質も、全く異なるんですね。そこを捉えずに日常生活的な文脈でどんな人かを書き連ねても、無駄に話が長くなるだけ。こうなると書くにも読むにも苦痛を伴うんですよ、ぜひとも、避けたいところです…(ちなみに私はほら、悩み多き書き手なので、特に初稿ではハマりがちです…ぱぱっと書くと、噂話みたいな描写ばっかり出しちゃって、うぅ…)。

なんかなげーなぁ…でも流れ的に、切れねーなぁ…わかりますよ、あるあるですし、私はそれを切れと言ってるんじゃないです。そこは今回、とりあえずそのままでいいです。いま私は過剰について話しているのではないのですよ、不足について話しているのです。

もちろん小説にはね、説明的なところだって欠かせません。件のアンドロイドだって、今はR2D2みたいに見えるけど中身は発売当時非常な注目を集めた美しい両性型セクサロイドだったとか…どんどん新型に乗り換えてるけど、バージョンアップ対応してない思い出深い機能がぽろぽろ落ちてちゃってるうえ、前回の移行でエラーがあってやや認知症気味だとか…小技を効かせて、読み手の好奇心に答えたり、同時代的テーマを提示したりすることは、欠くべからざるエンターテイメント要素です。でもね。こんなふうにお読みになってきてどうです、気づきませんか、そう、物語にはなんとでもなる部分と、どうにもならない部分があるんです。今回問題にしているのはそして、この後者、どうにもならない部分のほうなんです。

なるほど、このアンドロイドの外見や機能はあとからなんとかなりそうです。のに、これ、プロットは掘れる感じありますよね。物語でどんな人かを決めているのは、どうやら外面的な何かや形状的な何かではないようです。じゃあ…?

そう。性格なんです。私は頭出しにちょっぴりチートなことをしました。「500年、最愛の人の唯一の宝物を探し続け」るためには、比較的推測の容易な特定の性格が必要なはずなのですね。これが前の例のMr.大変ですね君との書きぶりの違い。たった一行のしかも形容詞句しかなくてもできるんです、性格の提示がないと、どんな人かわからないんです。このアンドロイドには少なくとも性格があるので、プロットを掘りこむことができるわけなのですね。

あっ、はいはいはい! 性格をさ、地の文や台詞やエピソードでちゃんと入れる〜。正解?

どうかなー…大変ですね君を思い出してください。まあ正解は正解ですけどね、だって小説なんだから、それ以外に表現する場所ないじゃん(「わかるように書く」まで来ました!)。

はい。性格を示すのに最適な様式はありませんが、適切かつ必要な流れはあります。それが「わかるように書く」のコツ、判断と行動です。

判断と、行動。

それも、結果として状況が変化するような判断や行動がいいですね。…話が抽象的でしょうか。アンドロイドに登場してもらいましょうね。アンドロイドアンドロイドアンドロイド、呼ぶのがまどろこしいですね…『ペルシア人の手紙』に寄せて、リカという名前にしようかな。

前述のとおり、リカの外見や来歴はプロット後に決めてもいい。ここでは問題にしません。勝手ながら私のほうで仮に、リカにそれらしいポジティブな性格を載せますね。純朴、健気、ひたむき、冷静、絶対に忘れない。(これはのちのち人物設計の記事で拾いたいのですが、もっともらしさのために、)対応するネガティブな要素も載せときましょうか。朴訥、独りよがり、周りが見えない、冷徹、「忘れる」状態はないが「知らない」状態になる。

このリカがある人に会います。リカの探し物のヒントを持っているけれど、リカに教える気がない人です。なぜなら、教えたらリカが行ってしまうから。リカはそれに気づいて、「教えてくれると思ったから待っていた。教える気がないなら、もう行かなくては」と言う。「ある人」は、自分がリカにとって「何者でもない」ことを確信する。

判断、行動。判断、行動。判断、行動。通常の形態の小説では、出来事が重視されるように見えます。確かに目につきます。が、主題はそこではない。出来事は、書き手に発想力を問いますが、実は、読み手にとってはそれほど重要ではないんですね。物語における偶然が書き手によって支配されていることを、読み手は重々承知しています。出来事が起こる。読み手はこれには寛容で、ここはあまり批判されません。

読み手の心のスイッチが入るのはそこから先。出来事が起こるとまず、読み手は背景や状況を鑑みて、誰がどう動くかを予想します…リカは、自分の考えを伝えました。事態が動くような考えです。「ある人」はヒントを教えるでしょう、リカは、行ってしまうでしょう。読み手の人物評価が始まります。

このとき読み手の手を引き、心を惹くのは? リカがどんなむごい(しかしリカには普通の)ことを言うのか…「ある人」がそんな残酷なリカに対して、どんな愛情を示すのか…あるいは、リカは難易度F的な大技を決めて、こっちの心を揺さぶりにくるかもしれないですよね、いずれにせよ、まさに彼らの性格ゆえにある独自的行動が選ばれる、そんな秘密の瞬間を、読み手の視線は追い求めます。

第②回でお話ししたことの敷衍になりますが、読み手の親近感は「この人ならどうするか」がわかればわかるほど高くなり、高まるからこそ読み手はその予想が(ほどよく)裏切られることを期待します。ある程度は予測はつくけど何が出てくるかわからないという、この状態を作り出せるとですね、読み手のドキドキがMAX! すごく集中してくれる。で、明らかになると、読み手はほっとすると同時に、それをもとにリカの性格を修正するわけですね。そして、惜しい!もう一回、視線をリカの行手に向かわせます。リカがどんな人かという自分の理解を試す、次の出来事が待っているからです。

ズルでしょう。これは最初に性格総括してるからこんなに分かりやすいんだし。

書き手のためにね。でも、確かにそれも大事な観点ですね。実際問題として、リカの性格は読み手の理解に委ねられていますから、私の示した総括的な性格語彙群は、いわば目標値であって、読み手にはこれを自力で見つけてもらう必要がある(書き手って、苦しいですね…)。まあ…ただのアテです、できればどうか、気楽に考えて…。

気楽に考えるといえばちなみに、このエピソードは物語の冒頭にあってもいいです。なぜって? このエピソードでリカの性格がかなり掴めるからです。なぜか? はい、ここでリカが判断し、行動しているからです。行動だけ書いてもいまいち性格って見えないんですよね、行動というのは働きかけの部分なので、感受性の領域が落ちてしまう。判断を入れ込むことで、その人が世界とどう接しているかが分かります。

判断、行動。判断、行動。判断、行動。この連なりが、読み手の心にリカという人物(人というより物なはずですが)像を形作ります。書き手はリカの判断と行動が状況を変える場面に注目し、慎重にエピソードを選ぶべきです。そういう場面を選ぶことで、リカの性格だけでなく存在感も読み手に知らせることができる。読み手はリカの気持ち(ないはずですが)や行動にドキドキするようになります。なぜなら、刷り込みではありますが、リカが判断して行動すると状況が思わぬ方向に動くと予想できるようになるからです。読み手は…やった!…没頭しはじめる。

書き手は…描写を諦めることもあるでしょう、台詞を切ることもあるでしょう、書きたかった人を出せないこともあるでしょう、しかし、リカの性格に沿ってリカに判断させ行動させるシーン以外は、できるだけ切っていきましょう。その配慮は、やがて、報われます…この物語の結末、例えばリカは探し物を絶対に見つけられないことを知る、だってそれはリカの愛情だったから、などの展開が生じた時に、きちんとリカの性格が書けていればですね、みんな、この健気だけれども心を理解しない旧式アンドロイドと共に旅をし、気分的には隣に寄り添って、時には傷つき時には救われながら様々な心の経験を重ねてきています、読み手をして「…。リカ…」という気持ちに浸らしめるわけです。

書けていなければ…?

いえ、私の口からは、言えません…。


毎回タイトルと同じこともう一回言ってるだけ? そんなことないよ! ここまで読んできたからこそわかる、今日のポイント:
どんな人かわかるように書く。


次回までの宿題:
自分の経験という枠から抜け出して登場人物を描くことはできるでしょうか? 自分には理解できない人を登場させることは、可能ですか。可能だとしたら、どうすれば、「自分には想像がつかない」という無力な状態から抜け出して、説得力とともにその人物を描けるでしょうか。 →答えがある宿題ではありません。これは「きっかけ」という、私なりの感謝の表現形(のつもり)です。ひらめきがあったらぜひ、教えてください!

今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。