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32歳の感受性

今日は32歳最後の日。なんとなく誕生日の前日は、一人で1年を振り返る日になっている。

何か成長できたかな?
自分や周囲はどう変化しただろう?
そんなことを考えて、きちんと1年をまとめてみたくなる。

そんな今日、9月28日は、半休をもらって免許の更新に行ってきた。私はペーパードライバーのゴールド。すぐ終わるのはわかっているけれど、面倒で先延ばしにしていた。

けだるい午後の優良者講習。あくびをがまんしつつDVDを見ていると、交通事故で息子さんを亡くしたお母さんのインタビューが流れる。ふと気がつくと、私の目から涙がこぼれ落ちそうになっている。
画面はもう切り替わっていて、淡々とすすんでいく。置いてきぼりの私は、悲しくて、悲しくて、眠たそうなふりして目をこすっていた。

このとき、「感受性が、戻ってきた。正しい感受性が。」と思った。悲しいことは悲しくて、嬉しいことは嬉しくて、いいときでもわるいときでも涙が出る。それが私の正しい感受性だ、と。
ずっと心に刻みつけていた、茨木のり子の詩を反芻する。

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
茨木のり子『自分の感受性くらい』

私の32歳は、感受性を、自分自身を、守るためにあったのだと思いたい。
すばらしい1年だった。大好きなこの詩を抱きしめて、また1つ、歳をとる。

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