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中学生の頃の自分にヒントがある

ジンバブエに来る少し前に、こんな本を読んだ。感想はこちら

この帯にある言葉が読み終えた後もずっと気になっていた。

著者は中学生の頃、面白い塾の先生から「青年海外協力隊」のことを知った。
ルーツを考える上で、中学生の頃の自分にヒントがあると私は思った。
さて、自分はどうだろう?
中学生の頃の夢、叶えてあげてる?
ずっと考えていた。

***

なんとなくぼんやりしていたのだけど、懐かしいものを見つけた!
中学生の頃に私が作ったポスターが、雑誌(教育関係)に載ったことがあってとても嬉しかったこと。
学校の廊下にも張り出されて、何度も眺めたこと。

当時のことが一気に思い出された。

*普通なら、美術の授業でするところが国語の授業で作ったこと。

*面白い授業をする面白い先生がいたこと
「唇」という漢字の説明をする時、先生は、「GLAYのTAKUROが”口唇”ってタイトルに造語をつけちゃったからみんな勘違いしているけど本当は”唇”なんですよ」という、ティーンの心をわしづかみするネタを混ぜてくれる博識な人だった。この先生に自分の作品を選んで貰えたことも嬉しかった!

*国語の授業だから、題材、特にキャッチコピーをしっかり考えるところからやったような気がする。

*周りの子はその頃流行ってた下品な漫画「浦安」を選んだりしていたな。

私は、当時邦楽に加えて、友達の影響で洋楽も聴き始めて、「外人は英語だけで歌を作るのに、なんで日本人は母国語である日本語だけで歌を作らないんだろう?」と疑問を感じていた。
洋楽は洋楽でかっこよかったし、
日本語の強さがストレートに際立つような音楽に惹かれていた。
デビュー当時のゆずは、とんがっていてとても好きだったし、ブルーハーツのリンダリンダを兄のコンポから初めて聞かせてもらった時は鳥肌が立った。だから単純に「三重県津市(つし)」というシンプルな響きが気になったんじゃないかなと思う。

それで、
それが日本で一番、世界で一番目立つように、アイドル雑誌とかからあらゆる人種の顔を切り抜き、すごい勢いで貼り付けた。(著作権、これどうなるんだろうか。)楽しかった。これが私が当時考えつく精一杯の表現だったのだと思う。

そしてこれは、今思えば、転機でもあった。
小学校から中学までずっと、夏休みの宿題のポスター(自由研究も)は全て父が主導権を握っていた。特にやる気もなかったので、
いつも私は父の言われるがままに、下書きをなぞり、指定された色を塗っていた。父は図工教師だったので、父の言われた通りにやると必ず賞に入った。

これは、国語の授業課題だったため、父は介入しなかった。
これが私の、父の呪縛から逃れた、
初めての自由な表現だったのだと思うのだ。
このポスター見ると、そんな風に晴れ晴れした気持ちになる。
その1年後には、私は美術への道を志すことになった。

***

そして18年後の私。
15歳の頃の私、あなたは18年後こんなポスターが作れるようになっているよ。高校生の頃にハマる料理写真の撮影も、上手になったよ。周りの人にも、そしてプロの人にもちゃんと認められているよ。

本質は変わっていない。
だから大丈夫。自分の選択に間違いは無いのだと思う。

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Tinotenda!(ジンバブエの現地語で「ありがとう」)
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アフリカのジンバブエでグラフィックデザインの先生(2019-2021)。 ジンバブエ断続的停電、断水の日々。

コメント2件

いい話だ~!「中学生、呪縛、国語、美術」私にとって響く要素が多過ぎて涙が出てしまいました。最近、こういう話に弱くて弱くて(ズル ←鼻水
わーありがとうございます!
呪縛、解放に気づくのに18年かかってしまったけど、書いてよかった!
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