新人講師ラジェシ、合わないクラス

4月2日。火曜から木曜は午後の授業もあるので新しいメンバーにも会うかもしれない。気合を入れなければならない。

午前の授業が終わると昼休憩が1時間ある、僕はこの手の隙間時間が根っからの苦手だった。高校で馴染めないクラスの休み時間や、入ったばかりのバイト先の休憩時間。とにかく誰と話して良いかも分からず、かといって1人でいるのを誰かに見られたくないという気持ちもあり、それならもう授業とか仕事とか決まった何かを与えてほしいと思う。語学学校の休憩パターンは主に三つある。一つ、午前の授業の教室にそのまま残り持ってきた弁当やらサンドウィッチを食べる。二つ、受付横の休憩スペースで団欒する。三つ、外にご飯を食べに行く。僕は一つ目を好んだが、クラスのほとんどが休憩室に行ったので1人取り残されたくない僕は後を追った。

この時の心情は今思い出しても胸がきゅうとなる。友達と呼べる人もおらず、言語は英語だ。早く気のおけない友人を1人でも作ることが何よりも求められていることは分かっていた。

休憩室に行くと見たことのない生徒がたくさんいた。おそらく上級クラスだろう。発音がスムーズでネイティブとまではいかないが長い文章を用いて食い違うことなく会話ができている時点で僕よりが上だということは分かる。僕は文章を考えるのに時間がかかり彼らのようにすらすらと英語は出てこない。

アブスに会ったのはそこが初めてだった。アブス(本名アブドラハム)はサウジアラビア出身の身長190センチ越えの男性で、このアバディーンでのほとんどを共に過ごすことになる友人だ。休憩室に入ると赤ワイン色の安そうなジップパーカーに廃れたジーパン、中には白い長袖Tシャツを着た感じの良さそうな青年が目に入ったので、自然に話すことになった。サリと同じサウジアラビアからなので事前に彼から話を聞いていたのだろう、僕が新人で日本から来たことは知っているようだった。

アブスとはその日は当たり障りのない会話を交わしただけだった。

午後の授業が始まる五分前に受付が鈴を鳴らし授業に戻る合図をした。午後からの授業は会話主体のコースになっており、クラスも三つに分けれる。僕は一番下のクラスに配当されたらしく不安を抱きながら指定された教室に向かった。

ドアを開けるとそこには見慣れない風景が広がっていた。まず目に入ったのは正面に座っているハリウッドセレブのような金髪の白人だった。彼女は英語は話せないのだろうか?僕はこの時白人=ヨーロッパかアメリカ、英語が母国語でなくても大体の基礎はあるという捉え方をしていた。彼女はブラジル出身ということが後で分かった。ブラジル人=黒髪に大きな目、肌は茶色で眉毛が濃いというイメージがあったが、海外に来てみるとみんながみんな必ずしもその国民のイメージ通りではないということが分かってくる。日本でも生まれつき肌が白い人や地毛が明るい人がいるように。

彼女の横に座っていたのはいかにも高慢そうなアリアナ・グランデに似た女性だった。授業開始ギリギリまでずっとスマホを触っており、その陰険さから第一印象が良いタイプではなかった。アリアナとブラジルの女性は仲が良さそうに見えた。

教室の半分は黒人によって支配されていた。ドアを開けた時から(開ける前から)彼らが騒ぐ声が聞こえており、その正体はザックやジョージではない、そして明らかに2人よりも騒がしそうな複数の黒人達だった。僕が座る席は必然的に決まっていた。半分の女性と、半分の黒人の間にある小さなスペースでホワイトボードの正面に当たる席だ。

授業時間になると背の高いイギリス人が入ってきた。チェックシャツに長い脚を際立たせるボトムス、黒縁メガネに短髪、口下に澄み渡るように生えた髭。この授業の担当だろう。これほど近くで若いイギリス人を見たのは初めてだったので感動した。

「エブリィワン、プリーズ」

彼がそう言って授業を始めようとしてもクラス全体はまだ休憩時間の団欒を続けていた。甲高い笑い声をあげる黒人を見て頼むから黙ってくれと心の中で思った。

「ヘイ、リッスン!」

講師は最初僕らを温かい表情で見守っていたが、苛立ちを隠しきれなくなったのだろう。彼らしからぬ声を上げ、黒人たちはやっとそちらを向いた。

「あぁ、えっと、僕はこのクラスを担当するラジェシというものなんだけど」

つづりをホワイトボードに書き、ぼそぼそと自己紹介をした。27歳ともいった。僕は彼に同情の念を抱いた。彼はきっと新人の講師で、僕が新卒採用の波に遅れを取らないように彼ものっぺりとした動機でこの職を選んだのだろう。彼から非英語話者に英語を教えたいという情熱は伝わってこなかった。

このクラスの生徒はやかましくはあるが、授業に対しての積極性は尊敬できるものだった。ラジェシが質問して誰も回答しないような状況はまずない。誰も彼もが発言し講師からするとこれ以上やりやすい環境はないだろう。ここは一番下のクラスだが中には十分話せる人もいた。特に黒人の体の大きい後ろで髪をくくった女性は黒人たちの通訳のような役割を果たしていた。

ブロンドのブラジル人やアリアナと話す機会もあった。僕は外見でなめられないように彼らの目を余裕を持った視線で会話をした。たしかに話してみると簡単な単語こそ出てくるが一語一語の間に間隔があった。

初の午後の授業を終えて感じたのは、午前のクラスの居心地の良さだった。午前で同じだったサリやヴィン、レオは皆一つ上のクラスだった。確固とした友人はまだいないが、少なくとも彼らには安らぎのようなものを感じていた。
ラジェシにクラスをあげて欲しいと抗議しようと思ったが考えた末やめた。ラジェシにあなたの授業がつまらなかったと誤解されると思ったからだ。それに文法や単語に対して僕の基礎知識はこのクラスの中では上位だということはラジェシもなんとなく(黒人たちと比べると)感じ取ったはずだ。講師陣の意向で明日からクラスが変わるかもしれない。

こうして2日目の授業が終わった。今からプライマークに行く。今日こそシーツと毛布に挟まれ、新品のパジャマに包まれて寝るのだ。