ゲームの達人
毎日往復2時間の通学をしながら、過酷なスケジュールをこなし、かつそれぞれの授業に対して予習と復習もしなければならない。
それをこなすためには、土日も含めて毎日3~4時間の勉強が必要。どう考えても無理があります。
いや、正確に言えば、1つだけ方法がありました。
プライベートの時間は全て削って、学校の勉強に打ち込むのです。遊びの時間は全くなし。そうすれば、少年の能力から言って余裕で授業についていき、テストで高得点を取ることも可能だったでしょう。両親も学校の先生も、それを望んでいるはず。
でも、それは不可能でした。なぜなら、「小学6年生の時に交わした契約」があったからです。契約の内容はこう。
「中学生になったら、思う存分遊ぶ。大好きなゲームを手にし、ゲームざんまいの日々を過ごす。代わりに今だけ無理をする」
思う存分ゲームをやらなければ、契約不履行となってしまいます。どのような反動があるかわかりません。
あるいは、近所の中学に通っていれば、そういうことも可能だったでしょう。仮にゲーム機を買ってもらえずとも、小学校の時と同じように学校の勉強やテストは適当にかわし、放課後や休みの日は友人たちと楽しく過ごす。そういう人生もあったはずなのです。
でも、県内でも有数の私立中学に進んだ時点で、その道は閉ざされていました。
①「親の思惑通り、プライベートを一切削り、勉強に没頭する」
②「親の意思は完全に無視し、ゲームざんまいの生活を送る」
このどちらかを選ばなければなりません。少年は選択を迫られていました。
結局、少年はどちらの道も選びませんでした。代わりに中間的な選択肢を選びます。つまり、可能な限りゲームをしながら最低限の勉強をこなす。そういう道です。
ゲーム!
そう!この物語において最も重要なキーワードの1つ。
ここで少年に与えられた最初の能力の正体を明かすことにいたしましょう。
「小学校の時、周りの子供たちよりも飛び抜けて勉強ができ、テストでよい点数を取ることができた能力」とは一体何だったのか?
それは、「ゲームをクリアする能力」だったのです!
*
時をさかのぼること数年…
それは、少年が小学校に上がる前のことでした。親戚の家に遊びに行った彼は、いとこの男の子が最新のゲーム機を持っていることを発見しました。ちょっとだけプレイさせてもらったそれは、夢のように楽しい体験でした。
少年は家に帰ってから「アレと同じモノを買って欲しい!」と懇願しましたが、父親と母親の答えは一致していました。
「あんなものは頭が悪くなる。アレは、子供の頭を悪くしてしまう悪魔の機械だ。お前にはふさわしくない」
(このコトは、後年、登場人物全員に大きな衝撃を与えることになるのですが、それはまだ先のお話。とりあえず、今は目の前の物語を進めることにいたしましょう)
その後も、似たようなコトが何度も起こりました。
近所の子供たちは、その時代その時代で、みんな最新のゲーム機を買ってもらい楽しそうに遊びます。そのたびに少年は両親に懇願するのですが、いつも答えは決まっていました。
「あんなモノは頭が悪くなるだけだ。絶対にやってはいけない!」
これでわかりましたね?
なぜ、少年があんなにも無理をして受験戦争に参加したのか?少年にとって受験などどうでもよかったし、どこの中学に通うとか、将来どんな大人になるかさえ全く興味はありませんでした。
ただ、おうちで思う存分ゲームがプレイしたかっただけなのです。
能力というのは、人の想いの強さに応じて、その威力を増していきます。また、想いが強ければ強い程、能力が発現する可能性は高まり、ハッキリとしたした姿を形作っていくことになるのです。
端的に言って少年の願いは「ゲームをプレイする」こと。そして「そのゲームをクリアする」こと。
画面の中でその願いをかなえられなかった彼は、現実の世界でその夢を実現することになるのでした。
*
この時点(中学1年生)では、少年自身、自分の能力を把握してはいませんでした。ただの「ゲーム好きの子供」くらいにしか考えていなかったのです。
でも、それは「自分が興味を持った対象をゲームと認識し、驚異的なスピードで次から次へとクリアしていってしまう」という能力。
使い方しだいで「どのような目的であれ達成してしまう」「いかなる能力も獲得してしまう」恐るべき能力だったのです!
後年、彼は自身の能力に名前をつけます。
「好きこそ物の上手なれ(マスター・オブ・ザ・ゲーム)」
マスター・オブ・ザ・ゲーム…つまり「ゲームの達人」と。
noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。