最遅本命発表~日本ダービー編~

『鍋焼きうどんで失明した』

冒頭から何のこっちゃと思わせる書き出しとなってしまい恐縮だが、ギャグマンガでも中々見ない負傷要因はあと「数センチ」で現実のものとなっていた。

俺の右目の数センチ上、眉毛のあたりには残る火傷の跡がある。

時を遡ること、およそ30年。穢れを知らない乳飲み子だった俺に突如として鍋焼きうどんは襲い掛かった。

バチボコに煮えたぎる鍋焼きうどんを食卓に運ぶ途中、躓いた母親が盛大に鍋を放り投げ、鍋の中から飛び出した汁が天使のように可愛らしい赤ん坊だった俺に直撃したのだ。

不幸中の幸いか、額に火傷を負うだけで済んだのだが、あと数センチ当たり所が悪く眼球に直撃していれば失明の危険性もあったらしい。

物心ついてから親にこの話を聞かされた時、俺は自分が「持ってる男」だと思った。

宙を舞う鍋焼きうどんがあとたったの数センチズレていたら自分の人生は大きく変わっていたはず。その数センチを凌げる自分は天に愛されているのだろうと、確信したことをよく覚えている。

しかし、やがて心の底から実感することになる。

自分は持ってる男でも何でもなく、時に人生にはどうしようもない不条理と不平等が理不尽に襲い掛かるのだということを。

これから綴ってくのは俺の半生であり、競馬予想note史上最大に無意味な余談であり、同時にダービーの本命馬を選出するには欠かすことのできない物語である。

何のご縁か、このnoteをご覧頂いている競馬ファンへ告ぐ。

もしも予想の参考にするつもりでこのnoteを読んでいるのなら、今すぐこのnoteを閉じてルフィン競馬学校に通え。

多分そっちの方が参考になるし、仲間も増える。

ただ、競馬予想の精度だとか、回収率だとか、有料予想VS無料予想の議論だとか、本物の予想家だとか、そういうくだらない議論に飽き飽きしちまってる気持ちが心のどっかにあるんなら、読んでいって欲しい。

いかにも合理的な知性に惑わされて失くしちまったロマンだとか、競馬を楽しいと思う気持ちだとか、ただ純粋に好きな馬を応援する行いの尊さを、今こそ思い出そう。


なんかこんな美談チックな導入部分を設けつつ、お金を愛してやまない俺はいよいよ『最遅本命発表』の有料化、それも一本9800円の価格設定を考えたが、5ちゃんねるで叩かれたりしたらすぐに恐怖で泣き叫んでしまう自信があるので止めた。

そこで「ミスター事なかれ主義」であり「世界お茶濁し選手権王者」である俺はこのnoteに100円の値段を付けた。

とはいえ内容は全編無料でお送りする。

有料部分に書いてあるのは、「俺の好きなおでんの具」だ。

おそらくこの世界で最も不要な情報である。


もしもこのnoteが、競馬を愛するあなたの心を少しでも動かすことができたなら。

もしもこのnoteが、無色透明だったあなたの数分間に少しでも色を塗ることができたなら。


どうぞその時は俺の好きなおでんの具を見ていってくれ。

頂いたサポートは漏れなく私利私欲を満たす為に使うことを約束しよう。

いずれにしたって、ここまで長い前置きを経てまだ読んでくれている時点であんたはきっと俺の魂の兄弟だし、多分ソウルメイトだし、ルフィン競馬学校の生徒よりも熱い絆で繋がってるはずだ。

では、前置きはここまでにして本題に戻ることにしよう。

かくして、危うく鍋焼きうどんによって世界から光を失う危機を乗り越え、すくすく成長した俺はやがてサッカーに熱中する健やかな好青年となっていた。

今じゃ酒とギャンブルに溺れる俺からは想像もつかないが、本当にそういう時代があったんだ、信じてくれ。

とはいえ人としての根っこは変わっていない。昔も今もこれだと熱中したものはとことん突き詰める人間である俺にとって、思春期の情熱全てを費やしたのがサッカーだった、ただそれだけだ。

複雑な家庭環境で育ち、小さい頃から親に褒められることもなければ、賑やかに遊べるような友達も俺にはいなかった。

そんな俺にとって、唯一自分という存在が認められている実感を得ることができたのが、サッカーの試合でゴールを決める瞬間だった。

あの瞬間だけは、厳しい両親が笑ってくれたし、仲間達が自分の元に駆け寄り満面の笑みで祝福をしてくれた。

サッカー以外に得意なことなんて、ウッチャンナンチャン炎のチャレンジャーで大ブームを呼び起こした電撃イライラ棒ぐらいだった俺にとって、いつしかサッカーは自分の趣味や生き甲斐を超えて「存在意義」になっていたのかもしれない。

家の中にも学校の中にも上手く居場所を見つけることができなかった自分にとって、あのフィールドの中だけが本当の自分でいられる居場所だったのだから。


気付けば自分の中に当たり前に存在していた、「プロ選手になる」という将来の目標。

目標というよりも、それは自分にとっての至上命題だったと言っても過言ではなかった。

毎日学校に行く前に近所の公園でボールを蹴って、部活を終えた後は家の周りをランニングして、子供ながらに思いつく限りのサッカーが上手くなる為の努力を尽くした。

「プロになりたい」というよりも「プロになるしかない」と思っていた自分にとって、あの日の努力は決して苦ではなかった。

順調に成長できている自負はあったが、一つだけ懸念点があった。

それは、当時の俺が暮らしていた田舎町にはプロの目に止まるような強豪校が存在せず、本気でプロを目指すなら地元のプロチームのユースとしてセレクションを通過する必要があった。

もちろん、望めば誰でも通過できる関門ではなく、地域の中学校からわずかな可能性に懸けてセレクションを受けにくる奴らとの争いに打ち勝った者だけがユースとして認められる。


正に、人生の分岐点に立った瞬間だった。

セレクションを通過してプロへの道を歩むのか、あるいは普通の高校に進学してプロの道を諦めるのか。

具体的にセレクションの日程が決まってからは、それまで以上にとにかく泥まみれになって練習に励んだ。

その大一番が、ある意味では自分の人生の価値を決めることになるとわかっていたから。

数少ない友達の誘いも、好きだった女の子との夏祭りも、全部全部諦めてとにかく練習だけに全てを費やした。

後悔だけはしたくなかったから、自分にできることは全てやり尽くした自信があった。


そして、迎えたセレクション当日。

予想通り、ユースへの道は集った人数の中から3割程度の人数しか合格者が出ない狭き門だった。

緊張感と高揚感の入り混じる不思議な心境の中で、ついにテストはセレクションは幕を明ける。

体力テスト、基礎的な技術テスト。

血反吐を吐くほど走り込んではボールを蹴り続けた甲斐もあり、テストをこなしていく過程で手応えはあった。

しかし、何より肝心なのは実戦形式の紅白戦であることもわかっていた。

ついに始まった紅白戦、最大のライバルは自分と同じポジションのフォワードの選手だ。

が、皮肉にも試合は相手チームのフォワードの鮮やかなミドルシュートによる先制点で幕を明けた。

奴は藤原という名の、暑い夏にも関わらずベッカムスタイルの長袖でプレイする気に食わない男だったことをよく覚えている。

セレクションの当落を争う最大のライバルの活躍に焦りはしたものの、死に物狂いの練習の成果は紅白戦終了1分前に花開いた。

味方のシュートのこぼれ球が、自分の左足めがけて転がってきた。

苦手だった逆足のシュート、気が遠くなるぐらいに練習した逆足のシュート。

もはや迷いはなく、振り抜いた左足から放たれたシュートは豪快にゴールネットを揺らした。

瞬間、鳴り響く試合終了のホイッスル。自分が持てる限りの力を出し尽くした自負はあった。


紅白戦終了後、いよいよ運命を決するセレクション通過者の発表。

一人ずつ読み上げられていく名前、待てども待てども読み上げられない自分の名。

焦りと不安が一気に胸の奥からこみ上げる中、ついに読み上げられる最後の通過者の名。

ポジション順に発表される通過者、最後に発表されるのはフォワードであることはわかっていた。

残る可能性は、互いに一点を取り合った者同士。

俺か、藤原か。可能性は二者択一。

…読み上げられたのは、藤原の名前だった。

現実を受け止め切れず、それ以降は何も考えることもできずに帰路についた。

腹立たしいことに藤原は気の良い奴で、別れ際にはメルアドなんかを交換したりしたものだが、誰とも話なんてする気にならない心境のまま俺は田舎町へと舞い戻った。


何が悪かった?

何が足りなかった?

何をすれば良かった?


考えても考えても答えの見つからない堂々巡り。

こうしてあっけなくも、プロへの道は絶たれ、俺は何の目的も見つけられないまま地元の高校へと進学を果たした。

惰性でサッカー部に入部したものの、雀の涙ほどのモチベーションも見つけられない日々を過ごしていた俺の元に、ある日藤原からメールが届いた。

『この前のセレクションだけどさ、俺はお前の方が良いプレーをしていたと思っててさ、コーチに聞いたんだよ。何が合格の決め手だったのか、ってさ。そうしたらさ、コーチも言ってたよ。実力の評価にはほぼ差がなくて、最後の決め手は身長だけだったってさ。
だから自分の実力に自信持って、気落ちせずサッカー続けてくれよ!そんでまた会おう!』

励ましのつもりでくれたメールだったということは、俺にもわかってた。

だけど、その事実を知った時に俺の中でハッキリと何かが音を立てて折れた気がした。

当時の俺の身長は172センチ、藤原は175センチ。

こんな、たったの数センチの差でプロへの道を掴んだ藤原。

こんな、たったの数センチの差で人生の行き場所を失くした俺。


せめて嘘でもいいから、実力で負けたと言って欲しかった。

何もかも放り出して、持てる全てを尽くした努力の日々は、たった数センチの身長という努力ではどうにもできない要素で水の泡になったのだ。

幼い頃、数センチの差で鍋焼きうどんによる失明を回避した俺の将来に待っていたのは、たった数センチの差がもたらす人生史上最大の絶望だったということだ。


…かくして、数センチの絶望の果てにあるのが今の俺の人生だ。

だけど、実はあの数センチの絶望にはもう少しだけ続きがある。

いよいよ本命馬発表の前に、あと少しだけ聞いて欲しい。

深すぎる絶望の果てに、何の目的もなく流されるまま入学した高校、惰性で入部したサッカー部。

あれから一年後、俺はそこで一つの人生を変える出会いを経験することになる。

一つ下の学年の女子が、サッカー部のマネージャーとして入部してきたのだ。

不思議なくらいに俺のことを理解してくれた彼女に、セレクション以降誰にも心を開けなかった俺はいつしか心を許していた。

以降のエピソードはまた機会があれば語らせて頂きたいと思うが、結果から言えば俺は彼女と結ばれ、新しい命を授かり、一つの家庭を築くことになったのだ。

フィールドの中にしか自分の生きる場所はないと思っていた男にはいつしか、家族の待つ家という確かな居場所ができた。


今になって、時々考えることがある。

今の自分にとって絶対に失くしたくない人生の希望、つまるところ「幸福」というものはあの時セレクションに受かっていたら手に入っていたものなのだろうか。

間違いなく、彼女との出会いは果たされることのない生涯を歩んでいたことだろう。


人生をどん底に突き落とした、たった数センチの「絶望」。

その絶望の果てに待っていたのは、今まで人生で一度も手にしたことのない「希望」だった。


過去に起きた出来事の「結果」を変えることはできない。

それは、この世界に生きる誰もに等しく与えられた絶対的な定めである。

でも、今をどう生きるのか、それ次第で過去の出来事の「意味」を変えることはできるのだと俺は思っている。

人生史上最大の絶望を与えてくれた出来事が、たった一つの出逢いを通じて、今の自分の幸せを作り上げてくれたかけがえのない出来事に変わったように。

誇らしく人に聞かせるような人生ではないけれど、そんな人生を歩んできた自分だからなのだろう。

来たる5月29日。

東京競馬場にて行われる日本ダービーの本命馬はすぐに決まった。


時を遡ること、ちょうど一年前。

いつかの俺が経験したように、たった数センチの絶望を味わった若武者を見て、俺は心が震えた。

あの日、本当に数センチの差で彼が手中に収めかけていた栄光は絶望に変わってしまった。

彼はあれから、何度自分の騎乗を悔やんだことだろうか。


-もっとああすれば良かった。

-もっとこうすれば良かった。


果てしない堂々巡りを、いつかの自分とは比べ物にならないレベルで彼が繰り返したことは想像に難くない。

しかし、何度彼が願おうともあの日をやり直すことはできない。

彼にできるのは、一年の時を経て再び迎える日本ダービーにおいてあの日の忘れ物を取り戻すことだけだ。


ダービーの借りは、ダービーでしか返せない。

きっと彼自身が、誰より強くそう信じているはずだ。


いよいよ、本記事の結論を発表しよう。

昨年のダービーでは一番人気のエフフォーリアに騎乗し、たった数センチの差でシャフリヤールの猛追に屈した彼を、俺はもう一度信じる。


彼の名は、横山武史。


7000頭を超える若駒達の頂点を決める年に一度の競馬の祭典、日本ダービー。

本命は、キラーアビリティとさせて頂く。

頑張れキラーアビリティ、頑張れ横山武史。

君の心には今もまだ、一生消えることのない数センチの「傷跡」が残っていることだろう。


でも、大丈夫。

このレースに勝利した暁には、その「傷跡」は君を強くしてくれた一生色褪せることのない「勲章」に変わってくれるはずなのだから。

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