本当のこと。5才からの記憶。

自分が初めて性的虐待を受けた場所、
そこは託児所だった。

父と母が離婚し、養父と母が暮らすのに仕事の事情で、あちこちの託児所に連れて行かれた。
最後に行った託児所の玄関で、母親から「どこが良い?」と聞かれた。
養父にまだ慣れていなかったのと、初めて行った託児所がどういう場所なのか分からなかった自分は、何て答えるのが良いか分からなかったが、母親が早く家に帰りたがっていたから「ここが良い」と言った。

自分が選んだその託児所は、家族経営のような環境で、自分たち子供が「お母さん先生」「お父さん先生」「お兄ちゃん先生」と呼ぶ人がいた。
「お母さん先生」が幼稚園教諭の資格を持っていて「お父さん先生」は別の仕事をしながら、時間があるときに自分たち子供の相手をしてくれていた。
「お兄ちゃん先生」は先生達の息子で、20代半ばのフリーターだった。

託児所に預けられてから数週間は、みんなと同じように扱われていた。小学校上がる前だったから、ひらがなや足し算の勉強をするように言われていた。
養父も母も文字や算数を教えてくれなかったからだ。
自分は前にも書いた通り、天真爛漫な、少し発達障害でもあったんじゃないか?というくらい、落ち着きも無く自由な子供だった。楽しいことしかしたくないし、文字の勉強も算数も楽しくなかった。
真面目に勉強をしない自分に怒った「お父さん先生」が、怒鳴り頭を叩いた。
ヒステリックに怒る母に慣れていたからか、怒鳴られ叩かれてもヘラヘラと笑っていた。そしたら、お父さん先生が自分を担いで倉庫…
倉庫とは、託児所の一階に扉が2つあり、扉は別々だが中は繋がっている部屋で、小さな窓が一つ付いていたが、光は入らず荷物に覆われていて、倉庫のように使われていたところだ。
お父さん先生に、怒られた子供は倉庫に入れられそうになると「ごめんなさい!」と泣き叫んでいた。だから、倉庫に閉じ込められることは子供にとって物凄く怖いことで、1番の罰のようだった。
自分は倉庫に閉じ込められるのが嫌で、大声で泣いたのを覚えている。

「お母さん先生」は全く怒らない人で、いつも穏やかだった。子供たちの為に、クッキーを焼いたり、おやつを作ってくれたし、絵本を読み聞かせしてくれたり、散歩する時は植物の種類や虫を教えてくれたり、親のように世の中の常識を教えてくれた。
ご飯も美味しかったし、お母さん先生が本当のお母さんだったら良いのになぁ…と何度思ったか分からない。

お母さん先生も家庭を持っているから、家事をする時は2階に上がっていた。
その間、お父さん先生や「お兄ちゃん先生」が下に降りてきて面倒を見てくれていた。「お兄ちゃん先生」はガタイが良く、柔道を習っていたらしく、小太り気味だった。いつも右手の指に大きな指輪を着けていて、その手で頭を叩かれると、指輪が頭に当たりとても痛くて涙が出たのを覚えている。「お兄ちゃん先生」もよく怒鳴り、手をあげる人だった。
だからお父さん先生や、お兄ちゃん先生が1階に来ると子供たちは静かに過ごした。

自分だけお昼寝をさせてもらえなかった

お母さん先生が買い出しに出掛けると、お父さん先生は自分だけを起こし、静かに遊べと言った。子供が遊ぶプラスチック製で出来たジャングルジムに、縄跳びで自分の両手を縛り付け「自分で解け」と言われ、それも遊びだと思って楽しんでいた。
そうして、お父さん先生と2人きりになると両手を縛られたり、スキンシップが激しくなっていった頃、自分は完全にお父さん先生に懐いていた状態だった。

その日もお昼寝をさせてもらえなかった

お母さん先生が買い出しに行った日、自分はお父さん先生の膝の間に座っていた。いつものようにお父さん先生にじゃれて、太ももに頭を乗せたりしていた。
その時だ。お父さん先生は、ズボンのチャックを開いて性器を取り出した。何のことか全く理解できなかった自分は、ただお父さん先生の言葉、手の動きを見ていた。目の前で性器を何度か扱き、すでに濡れていた体液を自分に舐めさせた。
「おしっこじゃないから舐めなさい」「汚くないから舐めなさい」
と何度も言われた。怖くて、言う通りにした。
舌を出して、言う通りに舌を動かした。ヤニ臭い指も口に入れられ、カーペットに唾液が垂れるほど舐めた。口内で増えていく唾液を飲み込めなかったのだ。苦いヤニの味、汗で蒸れた性器の味、それが5才の自分でも分かるくらい汚いものだった。
ティッシュを持ってくるように言われ、持ってくると目の前で扱き、射精するところを見せられた。そして、汚れた性器を舐めさせられた。キスもされた。

それから何度か同じことが続いた。

拒むと、頭を叩かれ妹のことをチラつかされた。
自分が行為を拒否すれば、妹が危ないと思った。お父さん先生との性行為が、親にバレるんじゃないかと思った。親に上手いこと言われ、自分が不利な状態になることを恐れた。
託児所には怯えながら通った。行きたくないと母親に話したが「仕事でどうしても帰りが遅くなるから、ワガママを言わないで」と怒られた。

それからの記憶は断片的で、全てを覚えてはいないけれど、煙草の臭いや、ヤニの苦味、体液の味を思い出しては吐き気がする。酷い時はトイレで戻すこともある。
お父さん先生の本職が忙しくなったのか、別居することになったらしく、会うことは無くなった。

お兄ちゃん先生

小学2年生のとき、お母さん先生が2階で夕食を作りに上がり、1階でお兄ちゃん先生と2人きりになった。
「倉庫の片付けを手伝って欲しい」と言われた。
まだ母親も迎えに来ないし、やることも無いから分かったと答え、一緒に倉庫に入った。
倉庫の扉が閉められ、空気を吸い込んだら肺にカビが生えるのではないか?というくらいカビ臭く、息をするのが辛かった。
電気を点けようと手を伸ばしたら、お兄ちゃん先生にそれを阻止された。その瞬間、自分がこれから何をされるのか理解した。理解したが、声が出なかった。体が動かなかった。恐怖で頭の後ろが冷たくなるような、血の気が引いていくのが分かった。
お兄ちゃん先生は、正方形の椅子の上に背中を乗せて、ブリッジの体勢になるよう言ってきた。その通りにすると、案の定、下着ごとズボンを脱がされた。
どんどん頭に血が上っていき、カビ臭い倉庫で呼吸をするのは大変だった。浅い呼吸をしながら、頭痛に耐えていると、お兄ちゃん先生は自分の性器を舐め始めた。てっきり触られるだけだと思っていたが、まさか舐められるとは思いもせず、初めての快感に混乱した。息苦しさ、頭痛、初めての快感に涙が溢れた。瞼をぎゅっとつぶると、涙がおでこに流れていった。
息を吐くと、変な声が出て、それに驚いて呼吸を止めた。お兄ちゃん先生は、舐めるのを止めてくれなかった。呼吸を止めたのが悪かった。次に息を吸ったら、もっと変な声が出て、お兄ちゃん先生は楽しそうだった。頭が痛くて、呼吸がし辛くて、気を失いそうだった。頭がクラクラして、変な声が出て、わけがわからなかった。
解放された頃には、ぐったりしていたが、お母さん先生にバレるのはまずいから「頭が痛いだけ」と言ってソファに座って母親を待った。
それからお兄ちゃん先生からの性的虐待が続いた。
託児所が無くなるまでの数年間耐えた。

性的虐待の後遺症

お父さん先生のヤニ臭い苦い指の味、体液の味、50代男性独特の加齢臭、それらを思い出して、ついさっき、または昨日起こったような気持ちになって、吐き気を催す。朝方、悪夢と吐き気で起きてトイレに駆け込むこともある。胃液を吐いて一日中食欲が無いこともある。食欲不振に悩まされることが多い。
あとは誰とでも、誘われれば性行為をすることも増えた。色んな男性と性行為をしてしまう。断れないのだ。怖いという気持ちはあまり無い。君もそうか…という諦めの気持ちが勝り、その場で断る理由も思い付かず、相手に体を許すようになった。
前にも書いたように、被虐趣味を抱えた。それがトラウマを乗り越えようとしている行為だとしても、無自覚だ。
もし子供が出来ても、誰にも預けないようにしようと思っている。子供がいつどこで誰に性被害を受けるか分からない。怖い。

今さら、相手を訴えたいなどは思わない。
どこでどう暮らしていようがどうでも良い。
フラッシュバックして食べた物を戻してしまったり、悪夢を見ておねしょをしてしまったり、異性からの性行為の誘いを断れなかったり、性癖が歪んだりしているが、これは今後の自分が何とかするだろう。

とても長くなってしまったが、自分がずっと隠していたことを吐き出せてスッキリした。

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24歳。うつ病、不眠症、自傷行為がやめられずメンタルクリニックに通院中。カルト宗教三世。家族からの虐待。5才から数人の男性たちから8年間の性的虐待。虐待の後遺症を癒すため、自分の過去と向き合い文章を綴る。
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