見出し画像

記憶も記録も風化してこそ

 父が死んで2年後に母の死。以来一人で暮らすようになって20年経った。10年を過ぎるとその当時の記憶はだいぶ薄れてくる。
 父の介護に11年。後半の辛かった5年の記憶は父の死直後から曖昧のまま。県道で倒れていた父を見つけて大急ぎで車の荷台に積んでそのまま病院へ連れて行ったこと。来る日も来る日も昼夜の別なく家中を唸りながら歩き回る父。通勤の車の運転中の記憶が全くなくゾッとしたこと。
あわただしかった事の後先、順序の繋がりはなく、ただ当時の光景が断片的にフラッシュバックする以外に自分のその時の感情を追うことはできなくなっている。夜中に病院から電話があり父の死の知らせ。母も私もその死に目に会うことはなかった。死に際の父の様子は医者からの話で想像するしかないが、父の遺体と対面したときに11年間見たことのない穏やかな父の表情に驚いたことだけははっきり覚えている。11年間苦しめられた後遺症から解放された安堵の表情だった。
 母が死んだとき、あれほど悲しい思いをしたはずなのに、今では仏壇に手を合わせることすらなくなってしまった。日々自分のことだけで精いっぱい。20年の間、生活に翻弄され、前後左右から打ち寄せる波に記憶や感情が洗い流されてしまったような気がする。記憶だけでなく、その当時抱いていた感情も風化する。
 うまくできたもので記憶や感情の風化があってこそ生きていられるようなところもある。
「歴史は繰り返される」と言われる。「歴史に学べ」と言われる。記憶が風化することが分かっているからこそこれらの言葉が生々しい。記録が残っても記憶が蘇ることはない。

忘却は生命の維持システムであり、失敗を繰り返す足枷でもあるのかもしれない。歳を取ると理屈っぽくなって始末に悪い。年寄りの屁理屈は聞くに堪えないものだ。
世間体を繕ってモラルとか正義とか、そういうものが邪魔をして人間の本性を隠してしまう。平和ボケした人間が突然極限状態に置かれたとき、もっとも残酷な行動に走りそうで恐ろしい。
本気で戦争反対とか平和とかを考えようと思ったら、戦争という極限状態の中で人がどういう心理でどういう行動をとるのか、しっかりと検証をすべきだと思うがそれがされていない。きっと戦争を知ったごく一部のプロたち以外、トップに君臨する政治家も含めてほとんどの人が知らないまま。知られては都合の悪いことがたくさんあるからだろうけど、知らないまま平和を叫んでも、軽くて中身のない言葉の羅列が空しく鼓膜を通過するだけなんじゃないかな。
人は生命を維持するために時間が経過することで都合の悪い記憶を消去するようにできている。記憶も感情も風化していくようにできている。楽しい記憶は思い出として残りやすいが、辛い記憶は消去するかあるいは美化していかないと生きていけない生き物なのだ。だからなかなか検証されることが困難になる。歴史に学ぶことができずに歴史は繰り返されることになるのだろう。
戦場に放り出された兵士にとっては自分の生き死にがかかっている。国家とか国際法とか正義とか差別とかモラルとか理性とか、そんなものは戦場ではまったく意味を持たなくなってくる。全ての制約は自分の命の重みの前に力を失う。そこでは生きるための本能しか働かないものらしい。生き残るために自分に備わったすべての能力を出し切らなければならない。
記録が残っても記憶が残ることはない。と書いたが、今になって記録すら廃棄されてしまう状況に陥ってきているらしい。これから何十年後、どういう日本になっているのか、どういう世界になっているのか、誰にもわからん。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?