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【小学生で2年間不登校でした】不登校の理由。


私は、小学4年生から不登校でした。


この記事では、私が不登校になった理由や

今思えばこうだったかなという事を

書いていこうと思います。


小学4年生で不登校に


低学年の頃は、楽しく学校に通っていました。

毎日友達と学校に行って、学校帰りは駄菓子を買って公園で遊ぶという普通の小学生😊

楽しく行ってた学校ですが唯一、嫌だったのが
学校給食の牛乳です。

牛乳が大の苦手で、隠れて捨てる毎日でした💦


昔は、完食指導が当たり前。

食べ終わるまで、休み時間も貰えない・・

先生に給食を全部食べるように指導され、
食べるのが苦手な私にはとても苦痛でした。

飲みたくない・食べられないと

先生にも自分で言えず、
次第に学校に行きたくないと思うようになりました。

親にも理解して貰えない


給食が嫌で学校に行きたくないと言っても

「給食くらい、嫌なら自分で言いなさい!」

と言われるだけで学校に行かないなんて許して貰えない。


母子家庭だった母は、構う余裕もなかったのか

「そんなわがまま言わないで」と言い私も初めは、なんとか登校していたのですが、
学校で体調が悪くなる日が出てきました。


そんな毎日を過ごしていると

また同じように体調が悪くなったらどうしよう・・

と思うようになりました。

これは今思えば、予期不安が起こるようになっていたのかなと思います💦


そして不登校に


元々、心配性な性格ではありましたが小学生なりに辛いなと思うくらい学校に対する心配事が増えて、完全に学校に行かなくなりました。

朝、同じ時間に起こされても
泣きじゃくり行かないの一点張りでした。


母は、仕事に行くため
私を家に置いておくしか、なかったようです。


日中は家で1人


一人っ子の私は、ずっと家に1人でいる生活でした。


テレビを見たり、おやつを食べたり好きなことをしていました。

お昼ご飯は、カップ麺やレンジで出来る簡単なもの。

それでも、学校に行くよりはマシでした😣


母は朝から夜まで働きっぱなしで
娘の私は不登校・・

すごく大変だったと思います😣💦


カウンセリングにも行きました。


週末は、母と市が運営するカウンセリングに行っていました。

親と子、別々にカウンセリングを行ないます。



母がどういう話をカウンセラーの方としていたのかは分かりませんが出てきたときには泣いてたのを覚えています。

私は、好きなように絵を描いてみて?と言われてあとは楽しい日常会話のみでした!


おそらくその描いた絵から心理を読んでいたのかな?と思います。😌


周りの人が色々してくれた


母は朝、そのまま会社に行ってしまうこともありましたが、時には学校まで送迎してくれたり
友達や先生が毎朝、迎えに来てくれたりしたこともありました。

それでも頑固な私は、誰がなんと言おうと
学校には行きませんでした。


学校の前まで送り届けてくれたけど、

1人でそのまま家に帰ってしまうような子でした・・。

今考えると、たくさん迷惑かけたなと思います。


お子様が不登校で悩んでいる方へ


私の場合は給食がきっかけで不登校になりました。
今のご時世、完食指導は無いと思いますが
学校に行きたくないということには、
必ず子供なりに、なにか理由があるはずです。


大人からしたら、小さい些細なことかもしれませんが子供にしたら重大なこともあります。

実際に小学生時代の私も、給食や体調のことは自分なりにすごく重大なことでした。



当時、私の母には余裕が無く

「学校に行きなさい!」としか言われませんでしたが、もう少しちゃんと話を聞いてくれていたら
自分なりに答えが見つけられてたのかな?
思うこともあります。


私には、子供がいませんが
もし我が子が学校に行きたくないと
言いだしたら当時の気持ちを考え、
親にして欲しかったことをしてあげたいなと思います。


最後に


ここまでお読み頂きありがとうございました。

こんなにも学校に行かなかった私ですが
行き始めた出来事があります。
またそこも記事にしたいと思います!


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