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「ことば」の記憶と「見えない」距離

価値観が違うのは当たり前のこと。

結局、どこまで歩み寄れるかが大事なんですよね。


そんなことは、わかっている。わかっているのですが、

「ここまでは、来て欲しくないんだ」

と、直接言われたわけではなくても、ちょっとした言葉から感じることがあります。

そんなときは

「近づきすぎてごめんなさい」

と心の中で謝って、次は同じ場所まで行かないようにと、意識しています。でも、なかなか上手くいかないことが多いですけどね。

私自身、自分のちょうどいい距離に入ってこられると耐えられなくなるので、やっぱり距離感は大切にしたいなと思っています。


その人が安心して関わることができる距離感。


目に見えない壁だから、ふとした時に激突することもあるのですが、意外と相手の方は気にしていないということがほとんど。

だから、心の中で「ごめんね」と謝って、そっと距離を置くようにしています。


気にしすぎかもしれませんけどね。

例えば、

「そこまで考えなくていい」

と言われたとき、同じ言葉でも「文字」と「音」では違うなと感じています。

文字だと、前後のやりとりから判断するようになりますよね。でも、やっぱり文字どおり受け取る方が大きいので、冷たくて、ちょっと離れて欲しいと言われている気がします。

でも、音だと、感情が音になって届くから、言葉を発している人の気持ちが伝わりやすいのかもしれません。

だから、文字だけで伝える時は、より慎重に、より気持ちが伝わりやすくするために、言葉を選ぶ必要があると感じます。

でも、どんなに言葉を選んで伝えても、思っている言葉が違うように伝わることもあります。それは、その人自身の今までの経験からついた言葉のイメージ。


私であれば、

「そこまで考えなくていい」

という言葉には、ちょっと悲しい思い出があります。


未だに、そのときの悲しい思い出がこの言葉にくっついていて、相手の気持ちをきちんと受け取れていないと感じることがあるんです。

だから、必要以上に落ち込んでしまうこともあります。

その人がどういう気持ちで発しているのか、正確にはわかりません。ただ、今まで接してきた様子を思い出して、できるだけ過去の記憶による言葉のイメージと、今の言葉のイメージを切り離すように意識しています。

これは、私の特性だから仕方のないこと。


と、いい意味で諦めて、気持ちの切り替えをするしかないんですよね。

言葉にくっついたイメージはいろいろありますが、昔と今を少しずつ切り離して考えることで、人との距離感も、程よく安心できる状態になるのかもしれません。

典型的な内向型なので、ときどき、こうやって人との距離に立ち止まってしまいますが、そのたびに、自分に大丈夫を伝えて、前に進むしかないなと思っています。

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