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仕事で大切なことは、全部ロリータファッションが教えてくれた

 ロリータファション。今はもう見かけることも少なくなりました。原宿は竹下通り、やたらふんわりしたスカートと、可愛すぎる頭のリボン。ピンク、白、黄色、黒、水色。色とりどりのお人形さんのようなドレスに身を包んだ女の子たちが、かつてはもう少しだけ原宿や代官山にいたのです。

 今ではもう着ることはなくなってしまいましたが、私は15歳くらいから18歳くらいまで、このロリータファッションがとにかく大好きでした。ああ、私の青春Angelic Pretty、BABY, THE STARS SHINE BRIGHT、ATELIER PIERROT、Black Peace Now、h.NAOTO FRILL、それからそれから……。今は亡きブランドも多く、当時栄華を誇った雑誌である「KERA」と「ゴシック&ロリータバイブル」を見かけることもほとんどなくなりました。

 私は人に出会って仕事をすると、「芯があるね」「自分の意見がはっきりしてるね」とよく言われます。この自分の「芯」って昔からあったものだっけ?と思って振り返った時、思い出したのはロリータファッションでした。

 割とふわふわ適当だった中学生の頃の私。何が得意なわけでもできるわけでも才能もあんまりない、平凡でつまらない人間だと思っていた私は、ある時この不思議なファッションに出会って魅力を知り、人生が変わりました。

 きっと誰かが部活に打ち込むように、勉強に打ち込むように、私は”ロリータファッション”に打ち込みました。社会人になってからこのお話をするのは初めてですが、思えば良いことがたくさんあったのです。

1. 自分の好きに忠実に、人の目よりも自分の誇り

 私がロリータが大好きだった頃、周りの女の子たちはSeventeenを読み、109ファッションとジャニーズに夢中でした。私はそういうものには一切興味がなく、ひたすらロリータファッションの雑誌を読み、近代文学を昼休みの図書館の隅で読み漁っていました。

 一部、仲良くして面白がってくれる女の子はいましたが、おそらく多くの子達には気味悪がられていたと思います。「友達、別にいらないし」というスタンスで行きていたのもあり、体育のペアではいつでも余り者。それが寂しくて、辛くて、しんどかったタイミングもなかったわけではありません。でも結局、私は、私の好きなものが大切でした。

 仕事を選ぶときもそうでした。私は、私が好きな職場、やりたいことを選び、それに他人の目を一切気にせずにいられました。それがどれだけ豊かでラッキーなことか、今は噛み締めています。

 「高給取り」「花形業界」「入ったと言ったら尊敬される企業」、そしてそれにまつわるマウンティングは確かに存在します。社会で働く以上、どこかで必ず遭遇します。

 「すごいねベンチャーなんて、勇気あるね」と褒めるようなマウンティングを受けることもあります。でも、全然気になりません。私は今の私が大好きです。中学生の頃、周りに何を言われても自分の愛する服を着ることを選んだように、私は私の愛する職を選ぶことができています。

2. 変わったことをしていると、必ず叩かれる、でも……

 ロリータ服を着て出かけた時に、写真を撮られたり指をさされたりしたことは少なくありません。それを「恥ずかしい」と思った時期も、正直無いわけでははないのですが、結局は自分の好きが勝ちました。

 私のことを好きだと言ってくれる人が必ずいました。かっこいいと言ってくれる人がいました。なにより、私の両親や近くにいる人は、好きなものを好きでいる私の姿勢を肯定してくれました。

 変わったこと、人と違うことをしていると目立ちます。目立つと必ず叩かれます。叩いてくる力は、自分が尖れば尖るほど強くなっていきます。ロリータファッションだけではなく、何事にもそうです。

 Facebookがまだハーバード大学の中のコミュニケーションツールだった時、それを「世界中の人が使う」と信じて事業を拡大し始めたザッカーバーグを、きっと笑った人がいるでしょう。「おかしいんじゃ無いか、無理だろう」。どんな新規事業でも、どんな仕事でも、必ず叩く人は現れます。ただ、その叩きに負けずにやりぬいたひとが勝っていることも事実です。

 ほんの些細な栄光ですが、私はロリータファッションの話をして英語のスピーチコンテストに優勝し、留学に行きました。ロリータファッションの話をして、二つの大学から合格をもらいました。ただ私は好きなものを好きだという話をしただけ、それでもある時突き抜けて成果が得られる時がくる。そう確信できたのはこの服のおかげです。

3. 「なりたい自分」を裏切らない

 ロリータファッションはかなり特殊な形状をしているがゆえに、注目されやすく、一部のマナーの悪い人間の態度が全体への誤解を生みやすい……というのは、”ロリータ界隈”ではいつも問題になっているのを目にしていました。

 服を好きになった頃、私は真剣に考えました。ロリータファッションを着る人間として、どのような立ち居振る舞いが正しいのか? この服を着て”なりたい自分”とはなんなのか?

 私が課した、ロリータ服を着ている時の自分へのルールはこんな感じでした。

・公共交通機関で(スカートなど服装の特徴を含め)迷惑をかけない、騒がない。マナーを守る。
・店員さんや話しかけてくる人に対して必ず笑顔で、”いつも以上に”感じよく接する。
・歩きスマホ(当時はガラケーだった)や音楽を聴きながらの移動は避ける。
・お化粧や髪型にも手を抜かず、なりたい自分の実現を怠らない。
・教養深くなる。自分の芯を持ち美学を持つ。

 当たり前のマナーを守ること、自分の中の”素敵!”と思うものへの憧れや、立ち居振る舞いを諦めない。ごくごく普通のことですが、社会に出て働いてみるといかにこの「なりたい自分になるための約束」を守ることが難しいのか実感します。

 逆に言えば、なりたい自分を追いかけていれば必ず追いつける時がきます。このことを若いうちに知れたのは今でも良かったと思っています。

4. 好きなものから広げていけば良い

 服なんて好きでも将来なんの役にも立たない。しかもそんな、大人になってから着られないような服……。そんな風に言われたこともあります。いいえ、私にとってそれは真っ赤な嘘でした。私は好きなものから着実に興味や関心を広げながら歩みを進めてきたのです。

 ちらりと書きましたが、オフィシャルな場でロリータ服を着用して出かけていき、評価をもらったことが人生に数回あります。もちろん、ただただロリータファッションの話をするだけではなく、「なぜ自分がそれを大切に思うのか」「どうやったらビジネスに発展させられるか」と思考をめぐらせてきました。

 最初はただの「可愛い、好き!」でした。そこから少しずつ、ビジネスや価値観、心理学や歴史に視線を向けていくことができました。

 私がロリータファッションを好きだったから、ロココ時代のドレスに興味を持ち、そこから歴史や美術史、服飾史を知るに至りました。ロリータファッションを大好きだったから、それを何とかしてビジネスにできないかといろいろ頭を使い、事業計画書を書いたりビジネスプランコンテストに出場したりもできました。

 私はこの、「好き」というエネルギーを今でもとても大切にしています。最初は理由なんてなくて良いのです、なんか好き、なんか刺さった、なんか可愛い、で十分なのです。そこから少しずつ外に広げていけば、ものすごく強力な武器になります。

 自分が挑む戦場での戦い方を、自分が好きなものから探していくのです。仕事でもこれは重要です。

 現在はいろいろな勉強方法やスキルを身につけた人が多くいるため、たった一つの武器や知識では戦えなくなってきています。その時に自分を助けてくれるのが、「他の誰にも負けない、何かへの好きの気持ち」だと信じています。

 一つの領域と、自分の好き(興味)を掛け合わせることで新たな価値を生む。これができる人では仕事でも強いのです。あなただから、と頼まれる仕事ができるようになるには、自分の好きを大切にし、深め、なにかをそこから始めようという視点を持つことが大切ですし、私もとても重要に感じています。



 久々にロリータファッションの話をしました。今はもう、家のタンスには一つもロリータ服はありません。卒業してしまったのかも知れません。もう着ることはないかも知れません。でも、今でも原宿駅の近くでほんの少しだけ生き残っているロリータちゃんをみると、胸が熱くなります。いとしさすら感じます。

 私の全てのエネルギーの根源、好きの気持ちが武器になると気づかせてくれた最初の一歩。これからも私にとっては宝物です。


 あなたの「誰にも負けない好き」はなんですか?それはきっと、あなたの人生を支えてくれます。好きを恥じず、好きを深め、好きを愛して、好きを誇っていきましょう。大切なことは、全てあなたの好きなものが教えてくれます。

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