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人の白目大きいのは共通目的に向かって力合わせるためで、アイコンタクトによるコミュニケーションがしやすくなっている。

幼いころ、ソーン(※キップ・ソーン博士)は除雪車の運転手に憧れていたが、八歳のとき母親に連れられて行った天文学の講演を聴いて気が変わった。そんなわけで、天文学との出会いはまったくの偶然だった。
イーロン・マスクが取材を受け、インタビュアーに「いつまでに火星移住が実現できますか」と聞かれました。インタビュアーとしては、「そういうことは死ぬまでに可能なんですか」というニュアンスの、若干悪意のある質問だったのです。その時に、イーロン・マスクは「10月までに」と答えました。(中略)10月までと答えることによって相手の発想を根本からひっくり返しています。反論するのではなく「あなたと同じ土俵上では議論はできない」という粋さがあるのです。
ヘッジファンドの(アメリカの投機筋)がテスラをたたきつぶそうと空売りを仕掛けた(中略)それで、テスラCEOのイーロン・マスクはそれと戦った(中略)中国の支援でテスラモーターズは生き延びた。

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フェルメールは1632年、オランダに生まれた。奇しくも同じ年、アントニ・ファン・レーウェンフック、そしてベネディクトゥス・デ・スピノザが、同じ国に生を享けた。(中略)ある宗教家からこう問われた。あなたは神を信じますか? アインシュタインは次のように答えた。「私は、スピノザの神を信じます。(中略)レーウェンフックとフェルメールがこの小さい街で、互いに親しい同い年の友人であった可能性が指摘されている。絵を依頼したという推測だけでなく、フェルメールの死後、レーウェンフックはフェルメール家の遺産管財人に指名されその執行を行った公式記録が残っている。
モンティアスが明らかにしたところではフェルメールの母方の祖父で、時計職人であったバルタザール・クラースゾーン・へリッツは、いかがわしい商売に関わっていた。1619年から、彼と共犯者は、鋳型を買い入れて偽造硬貨を鋳造していたのである。この出来事は、ネーデルランド連邦議会と総監マウリッツ王子が介入せざるを得ないほどの事件になり、へリッツの共犯者2名は死刑宣告を受け、斬首刑に処された。 へリッツ自身はデン・ハーグへ、そしてホリンケムへと逃亡することに成功し、そこで事なきを得て生き延びたようである。(中略)フェルメールの父親は1591年アントワープ生まれ。結婚後間もなく、1615年にデルフトに居を構え、そこで宿屋を経営する。しかしデルフトの聖ルカ組合への入会にあたっては、公式の職業として「美術商」を名乗っている。(中略)ニウウェ・ケルク(新教会)の記録簿の記入事項から推測するに、1625年頃すでに「フェルメール」を名乗っていたフェルメールの父親レイニールは、1641年、デルフトのマルクトフェルト(市広場)の北側という恵まれた場所に、(担保と高額の利子負担は別にして)2700グルデンで宿屋「メヘレン」を買った。16世紀に建てられた「メヘレン」には、暖炉が7つ取り付けられており、豪華な設備を持った旅館であった。レイニールの顧客層は上品で裕福なデルフトのブルジョア層であり、こうした社会的つながりがフェルメールにも影響を与えたと考えられる。
レーウェンフックはオランダのデルフトで生まれ、父親は、デルフトの有名な青と白の陶器を世界中に輸送するための梱包用の籠を作っていた。母親は、やはりデルフト特産のビールを造る一家だった。アントニは一六歳で衣服商の会計簿記係の仕事に就き、一六五四年に布地やリボンやボタンを売る店を開いた。そしてすぐに、それとは関係のないもう一つの職業にも就いた。デルフト市議会議事堂の会計係である。レーウェンフックは大学にも通わなかったし、科学の言語であるラテン語も知らなかった。また九〇歳を超えて長生きした(中略)レーウェンフックはニュートンと同じく「他人からの反論や酷評」を避けるために、誰にも顕微鏡を覗かせず、手法もほとんど極秘にした。長い人生のあいだに五〇〇枚以上のレンズを作ったが、その作り方はいまだよくわかっていない。(中略)(※レーウェンフックは)王立協会に注目されたことに恐縮し、自分の研究には不十分な点が見られるかもしれないとして、あらかじめ次のように詫びている。「これは、誰の手助けも借りずに私自身の衝動と好奇心から導かれた結果です。というのも、私の町にはこの学問を実践する哲学者が私のほかには一人もいないからです。そこで、私の文章の拙さと、私がとりとめのない見解を勝手に書き連ねていることに、気を悪くなさらないようお願い申し上げます」

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この絵で、もっとも不思議なことは何だろうか。それはこの “天文学者” のまわりに配置された小道具が、実に正確無比に描かれており、いかにも天文学者風の持ち物ではあるけれど、どれも決してほんとうの天文学者の持ち物ではないということである(中略)では、いったいこの偽・天文学者はいったい何者なのだろうか。なぜ、フェルメールはこんな人物を、数々のいかにもそれらしい品々とともにここまで精密に描いたのだろうか(中略)ここに描かれたのは天文学者でも、ほんものの地理学者でもなかった。しかし描かれたのはほんものの学者にまさるとも劣らない知識への情熱を一生涯抱き続けた偉大なアマチュアだった(中略)この絵に描かれた品々があまりにも趣味的で古びたものであることから、偉大なる科学者レーウェンフックに似つかわしくないとする考え方がある。しかし、むしろそれゆえにこそ、私はここに描かれた人物がレーウェンフックだと確信するのである。なぜならレーウェンフックは、プロの科学者でもなければ、正規の教育を受けたわけでもなく、ただ一心にその全生涯を探求に費やした偉大なるアマチュアだったからである(中略)(※土星の輪が)実は細い隙間を持つ美しい薄い多重リングであることを示したのは、ジョバンニ・カッシーニ(1625〜1712年)という人物だった。ちょうどフェルメールがこの絵を描いてまもなくのこと。今日土星の輪の隙間は、彼の名を冠にして、カッシーニ・ギャップと呼ばれている。
協力がもたらす高揚感(中略)共通の目的に向かって力を合わせることで、喜びや興奮を感じるのだ。(中略)人間の白目が大きいのはそのためで、アイコンタクトによるコミュニケーションがしやすくなっている。
『ルパン三世』シーズン5に、「なんでそんなにまでして、助けてくれるの?」と聞かれたルパンが、「そんな俺が、好きなだけだよ」と答えるシーンがあります。

スピノザからレーウェンフックへの予告。写真は札幌フェルメール展で撮影───『Dの意識』The will of Débrouillards.


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