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今に気付き続けているといつでも住みたい世界に切り替えられる①

『泥の中で咲く 蓮の花のように生きる』…とは


随分昔 (笑)
『オーラの泉』が 夜中の時間帯にやっていた頃

江原啓之さんが話していた『泥の中で咲く 蓮の花のように…』…の 比喩が 分からずにいた。
〈当時 自分の現実世界で 何を意味しているのか…と〉


経験を積み重ね人は様々なことを学んでいる

経験を積んで 人は 色んなことを学んでいると思うのだけど…

これって 肉体をもって 縛りある枠・規制や制限、〈親を選んで産まれて来るように〉ある固定された集団の中で 

良きこと悪しきこと…に見える 負荷、とか偏り、を否応がなしに吸収してしまう 用意された幼少期からの環境から 無意識に身につけたものを 基本として

類似する経験を繰り返す様に引き寄せそれを『理解』し次々解いてゆきながら また新たな『理解』を得て一枚一枚殻を脱いでゆくように世界を一つ一つ超えているように見える。


負荷と言われるものの中で生きるからこそ


ポジティブに見える経験からも
ネガティブに見える経験からも

〈どちらの経験が良いとか悪い…て事じゃなく〉
どんな経験からも 人は様々なことを学んでいる。

そして人によって好み(その人のフィルターで、偏り)で選択し経験を経た学びは(偏りを持ちながら)積み重ねられているように感じられる。

人の好みが生れるのは…

…この〈好み〉…というもの

自分が好まない現実なのに自分が選択し経験しているのか?…と思われるだろうが

例えば 幼少期から偏ったポジティブに見える『愛』や『お金』を注ぎ続けられると、そのパターンを手放し難く社会現象に多く見られる『自立』の妨げになってしまっている事件があるように

ネガティブも ポジティブ(に見えるもの)であっても
どちらも偏りに過ぎない、と分かる。

与えられているもの、触れているもの、関わっていること、には意味がある。繰り返されていると感じた時がその意味に気づける時

与えられているものにどんな意味があるのかと 気づく事が出来ない幼少期から根付かされた潜在意識に入り込んでしまっている経験パターンは

困難や苦難といわれる経験を知らず知らずそれを選択する様繰り返され その人を目覚めさせるための必要な経験となっている。

『目覚める』…とは

『目覚め〈色んなことに気付いていること〉』を得ることがこれまでの その人が無意識に選択していた経験パターンを切り変えるのを可能にし

学んだ先に広がる未来を どんな風にも切り開く事が可能になって、学び続けることで得られる『個人の能力』を成長させながら活かすことが出来る。

従って

次、何を経験してゆけば良いか、もただ流されてそこに居るのではなく 目覚めた自分の意思で選び続けることが可能になってゆく。

自分の経験の上で実感が得られ 本当の意味で『解る』

そこから自分の肉体を通し 実感が得られ
『本当の意味で〈解る〉』…って事が 起きる。

それが意味するのは頭に置いておく知識ってことじゃなく、自分の実践に基づいた 自分の生きた能力の一つになる。

自分の身近に起きていることに気付きながら『理解』を身に付け、自分軸で生きる世界を広げ続けてゆくことが、肉体を持った世界で生きることの醍醐味…。


いくら知識を頭に詰めても、それがまだ自分の経験として実践出来ない、まだよく理解出来ない、って時は誰にでもある。

時間(は経過し成長を促している)を生きること…が
物ごとを成熟させ自分自身の意識も成長させてくれている。

だから
今の自分がよく理解出来ないもの や事、言葉 に出会った時、そこに何が潜んでいるのか、どんなことが読み取れるのか、そこに今の自分が学び得られるものは何か…と観察し続けると、一つ一つ自分の住む世界を変え続けて行ける材料を得てゆくことに繋がっている。

今の自分に『理解出来ないこと〈分かっていないこと〉』に出会えるのは幸い


それを、自らの経験を通し解明し続けて行くことが、
人生の選択する道を増やすことに繋がり、自分の世界を広げる事にも繋がっているのだから…。

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