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心に映し出されるものが 自分に何かを問いかける…*《目次を付けました》〜ティク・ナット・ハン法話から〜

今日 ふと
ティクナットハンの法話のTV を観ました。



彼の言葉 一つ一つが 心に沁み通って来ます。

《苦しみ》であってもしっかり味わうと 観えてくるものがある



『苦しみ』の感情に対し
なるべく それを観ない様に 何かで気を紛らわす様に 生きる事が良いのでしょうか?



彼は 話します。




ゆっくり呼吸して
今 自分の心と身体を一致させ 今を 感じます。



そして
呼吸の中に浮かび上がってくるものを
味わう事。

『苦しみ』であっても
その感情をしっかり味わう事。


自分自身が 自分の感情に
しっかり愛を送り 抱いてあげる事。


自分の感情の面倒を
自分自身がきちんと受け止めてあげる事




*:.。o。.:*


忙しく毎日を生きる私達は
何かを心の奥に置き去りにしている



ゆっくり 
自分の呼吸に集中すれば
自分の心の奥に置き去りにしていたもの
それに気付く事
が出来ます。

『気付く』事。
‥そこから 全て 始まります。






*:.。o。.:*

自分を苦しめているのは 実は《自分》、救うべきは加害者‥という真実に 気付く


吸う息に集中してゆくと

自分を苦しめていたものは
実は 『自分』
だったのだ、と 気付く事が出来ます。



自分が被害者だと思うものに対しても
その加害者こそが 正しい知恵を持てず
無知であり 間違った認識から 高ぶった感情から 
その行動に至らしめられたのだ


慈悲の愛が生まれ
救うべきは 加害者なのだと
真実を観る事が出来ます。


《私》は《コスモ(宇宙)》であり
孤立した存在では無い

そして
ティクナットハンは


私は 『私』ではない。 
私は『コスモ』(宇宙)であり 
孤立した存在ではないのです。

と 話します。


実態は 無くなってゆく‥のではなく
姿かたちが変わり続けている‥ということ




ライターに灯る『炎』 を例に。。。


炎は どこから来たのでしょう?


ライターの炎は
私の指の動きが最後の動作になり
全ての条件が揃って 初めて 現れるもの。

条件が一つでも欠けると存在出来なくなりますが

ろうそくに この炎が移す事も出来る。



そして
コップの中の水に話しかけます。


雲から 水に姿を変え
この私の前に現れたのですね。



空からの眺める景色が懐かしいですか?

早く 雲に還りたいですか?



お鍋で15分煮立てれば 雲に還る事が出来ます。


でも その前に
私の身体を旅してみませんか?

食道や 胃 肝臓 色んな所に旅をする事が出来ますよ。

そして
私の口から吐く息となって

また 雲に還ってゆく事が出来ます。

雲は 無い。・・のではなく
他の形になって現れています。

見慣れた形で 現れるのを
止めただけなのです。


*:.。o。.:*

両極端にあるものは相互共存に在る


相互共存の話では

光と神の会話も話されていました。



『光よあれ』 と神は言う

『私は待っているのです』 と光は言う。



神は
『光よ 何を待っているのだ』 といい

光は
『闇を待っているのです』 と答えます。



そして
神は 『ここは闇ではないか?』 と言い

『それでは 私はすでにここにあります』 と光は答えます。




一つの蓮の茎を手に取り

左側が共産主義 社会主義としましょう。
右側が 資本主義としましょう。


どちら側も 自分が正義であり 反対側が悪だと思っている。


反対側が無くなってしまえばいいと思っている。



それでは 右側を切り落としてみましょう。


左側は 短くなりましたが
短い左側だった茎に また 右側は生まれているのです。

両極端にあるものには 相互共存があるのです。

それが在る、という事は その反対側も存在しているという事になるのですね。



*:.。o。.:*

何かを得れば幸せになれると信じる私達、何かを得れば何らかの障害も生まれる。その仕組みを知って 手放し自由になる。

○○をすれば 幸せになれる。 ○○を得れば幸せになる。

この考えは 苦しみは生まれます。

大きな牛を 得れば幸せになれると勘違いしている
幸せの障害になっている事に気付いていない。

牛を得る事で幸せになれるという事を 手放し
自分を自由にしましょう。

集合的なマインドフル(気づき)・平和・慈悲の力には『治癒力』がある。

怒りと恐怖に満ちた集合的なエネルギーは 有害。

”集合意識”という栄養の摂り方に
気を付けよう。


憎しみや 怒りという集合的なエネルギーは
非常に破壊的
です。

”集合意識”という栄養の摂り方に
気を付けてください。

瞑想合宿に来て
一緒に鐘の音を聴く度に
マインドフルな(今ここに気付く)呼吸や
微笑はあれば 集中と慈悲が生まれます。

集合的な慈悲と平和のエネルギーは
私達にも子供達にも良いものです。

反対に
怒りと恐怖に満ちた集合的なエネルギーは
有害です。

そのような人々を助ける為に
最善でおそらく唯一の方法は
サンガの仲間と一緒に そこに戻る事です。

集合的な
マインドフル(気づき)・平和・慈悲の力には
『治癒力』があるのです。

*サンガラーマ=僧迦藍摩
 サンガ(僧の集団・仲間・同じ志を持つもの)
~*~*~

~ティクナットハン~



*:.。o。.:*




サンガの仲間たちと
慈悲の心 平和への祈り 気付きをもって
その中に 共に在る事。

その中に 治癒力が生まれるのです。

そんな祈りをもって 私たちは
人と出会い そこから 大きな平和のエネルギーを
生み続けようとしています。



なんだか そういう人達との出会いも
多くなって来て
色んな気づきも 共有できるようになってきて♪


私達は 知らず知らず
『集合意識』を生み
自分たちの栄養としているんだな~♪


って 感じています♪


自分の中に何を生み
私達は 何を生み続けている?


さて・・・

自分の中に何を生み
私達は 何を生み続けているのでしょう?



目の前に広がる世界 観えているもの
観えていないもの
深い気づき 平和と慈悲の心


大切に丁寧に♪
今に気付きを得ながら
シンプルに生きてゆきましょう*

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