評価されることについて

父が息を引き取った。
怖くもあり尊敬の対象でもあった父。
その父にとって私は自慢の息子であった。

父と生前関わりのあった人たちが弔問に来る。
親戚とはあまり交流のない私は余所余所しく挨拶をする。
従兄弟姉妹の配偶者も共に。
余所余所しい理由は他にもある。
従兄弟姉妹とその配偶者は例外なく私に対して異様な壁を作っている。
従兄弟姉妹はそれぞれ何故か私を聖人君子の如く紹介していたのだ。

職場においても同じような憂き目に遭う。
私は私の居ないところで途方もない能力者であるかの如く紹介されている。
そのため初見であっても開口一番
「あなたが・・・お会いしたかったです」
となる。

一方で私は自分の限界を知る機会が多くなっている。
他者評価と自己評価の乖離が大きくなっていく。
それはやがて自己肯定感喪失に繋がっていく。
それを回避するのは2つ。
1つは他者評価を受け容れない。
もう1つは自己評価をしない。

会社にいる限り人事制度の関係で自己評価をせざるを得ない。
その時は限りなく客観的かつ辛辣に自己評価する。

しかし今
掛け値なく私を見てくれる人はいなくなった。

そう
自分しかいない

父の自慢の息子として生きていくこと
それが父への餞となると

信じて生きていきたい。

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