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やりたいことを追求した先にあるもの

前職を退職してから約10年になるが
いまだに細々と何人かの方とは
交流を続けている。

主には同期だったり、元上司だったりであるが、
その中の一人にYさんがいる。

Yさんは私よりも4歳ほど年上の方で
研究開発に所属されていた方であった。

私が生産技術としてマレーシアの工場に赴任しているとき
Yさんは新商品の立ち上げで何度も
現地の工場に出張にきており、
その時に一緒に過ごすことで仲良くして頂いていた。

Yさんはバンド活動を趣味にされており
アメリカまでライブをしに行ったことがあるらしく、
現地への出張が長くなる時には
車で2時間ほどの距離にある楽器屋に
Yさんを連れていき、ギターを購入して
日本に帰国される時には私が部屋で
それを預かったりしていた。

また、それだけでなくYさんは生き物全般に
非常に興味がある方で
現地の出張時にも色んな生き物を見に
フラっと出かけたりされた。

私達が滞在していた場所は驚くほど
娯楽施設も何もない場所だったので、
多くの出張者が休日に暇を持て余すので
私達現地滞在者がどこかに連れていったり
していたのだが、
Yさんは現場のローカルスタッフから
面白そうな情報を聞き出して彼らと一緒に
どこかに出かけてくれるので、
私達としても非常に気が楽であった。

そんなYさんは私が退職する2年ほど前に
会社を退職された。

理由は色々あったようであるが、
退職されてしばらくしてお会いすると
臨時で高校の数学教師をしていると
仰っていた。

もともと教員免許をお持ちだったことと、
子供たちに何かを教えたいと
以前から思われていたこともあり
探してみるとちょうど臨時講師の募集が
あったらしい。

だが、これはあくまで臨時。

その後はどうするのか聞いてみると
次は農業を手伝うという。

確かにYさんがお住まいの場所は
それほど働く場所が多い環境ではない。

農業ならないこともないのだろうと
納得はしたものの、
Yさんのとてもフレキシブルなキャリア選択に
内心少し羨ましさを感じながら
私は聞いていた。

Yさんがなぜこんなにフレキシブルなのかというと、
Yさんの奥さんが国立の関連設備で働かれる
研究者だからである。

奥さんがメインが働かれて、Yさんは子供の世話と
仕事を両立するような形の働き方であった。

Yさんいわく、奥さんだけの給料で
この立地で住むならば十分な額らしい。

この後、Yさんは農業の手伝いをされたり、
その農家が廃業されることになって無職になられたり、
地域の不登校の子供向け教室の先生になったり、
なぜか週末には昆虫飼育のセミナーを開いたり
とても自由に活動されていた。

私はYさんと住んでいる場所が比較的近かったので
地域の情報を見ていると
しばしばYさんのお名前を見るようになり
何だか他人事ながらうれしい気持ちになったりもした。

そんなYさんであるが、昨年ぐらいから
Facebookでの投稿に少し政治的な話を
掲載されるのを目にするようになった。

別に批判をするというわけでもなく、
ご自身の意見を表明するような投稿内容であったが、
ほどなくするとご自身が主体となって
その内容に関するセミナーを開催されたり
地域の議会に有識者として参加したり
されるようになった。

Yさんはまだ政治家になられたわけではないが、
何となくこのまま政治の世界に
足を踏み入れられるような気が私はしている。

実はこのような形で
政治の世界に入られた方を
私は過去に何人か見てきた。

そして、それらの方々は総じて
”自分のやりたいこと”にとても素直な
方々であった気がする。

今回ご紹介したYさんはまさに
自分がやりたいことを追求して
色んなことをしていくタイプの方である。

自分がやりたいことを追求していくと
どこかで何か問題に直面する。

そして、その問題を解決しようとすると
自分たちだけではどうにもならない部分に
ぶち当たってしまうのであろう。

そしてそれに立ち向かうために情報を集め
行動していくと
その問題に紐づくように色んな問題点に
気が付き始め、
結果として政治の世界に足を踏み入れる。

そのような流れではないかと思う。

Yさんが政治的な発言をされるようになったのを見た時
私は内心「やはりYさんもか」と思ったのだが、
それと同時に何だかYさんが遠い世界に
行かれたような寂しさも感じてしまった。

Yさんはわたしにとって昆虫飼育の
先生でもあり、
お会いする度に面白い話を聞かせてくれる
先輩でもあったからである。

しかし、よく考えてみればYさんが政治の世界に足を
踏み入れられたとしてもYさん自身は
何ら変わらない。

ではなぜ私は寂しいと感じてしまったのか。

それは、私にとって政治が遠い存在だからである。

政治とは自分に関係のない遠い世界の話のように
無意識のうちに思ってしまっている。

だが、Yさんは何も特別なことをして
政治の世界に近づかれたわけではない。

自分がやりたいことをやって、
他の人よりも少し深く入られただけである。

つまり、政治というのは全く遠い話では
ないのである。

ごく身近に起こる小さな問題も町内会で
決議して対応方法を決めたりするが、
これも広義でみれば立派な政治であるし、
政治というのはごく身近に存在しているものなのだ。

にもかかわらず私達はついつい
その存在を遠いもののように感じて
無関心になってしまう。

それは、私達が自分のやりたいことを
思うようにやれていない証拠なのでは
ないだろうか。

私達がやりたいことを思い切って
やれているのであれば
どのようなことであっても何かしら
壁や問題にぶつかるときが来るであろう。

それに対して当事者意識さえ持っていれば
否応なく政治に足を踏みいれることになる。

私がYさんに対して感じたように
このような状態は特別だと感じる方も
多いかもしれない。

だが、本来なら全員が何かしらやりたいことをやって
自ら当事者意識を持って政治に足を
踏み入れている状態こそが
あるべき姿なのではないかと思うのだ。

なぜなら、政治とは私達の住む世界を
決めることだからである。

誰一人にとっても他人事ではなく
まさに私たちが当事者なのだ。

きっとYさんはこれからもますます活躍されるだろうし、
そのうち市議などに立候補されるかもしれない。

だが、それは決して特別なことではない。

当事者意識を持って問題に向き合うには
ごく自然なことなのである。

なんだかYさんの行動を遠目に見ながら
自分が無意識のうちに「やりたいこと」に
ブレーキを踏んでいること、
そして当事者意識を持てていなかったことを
痛感させられた。

Yさんもいま44歳。

40代というのは多くの人がこの転換を
迎える時期なのかもしれない。

思い切り自分のやりたいことを
当事者意識をもって走る
40代でありたいと思う日曜日の朝であった。

ちなみにYさんの話にしばしば登場する
Yさんの知り合いのネタはとても面白かった。

・自分で自分のことを”ペパーミント〇〇(苗字)”と名乗るSさん
・「オレ、こう見えてあんまり食べへんねん」といいながら
 100㎏を超える体格をしているMさん(もちろん大食い)
・なぜか会うたびにYさんに求婚してくるベトナム人(Yさんは既婚者)

マレーシアにいる頃、週末の夜に寮の食堂で
お酒を飲みながらその話を聞いて皆で爆笑したのが
いまだにいい思い出として残っている。

Yさんが政治家として立候補されたならば
話にでてきた面白い人たちも
応援に駆け付けるのだろうか。

そう思うと、Yさんの動向にはますます
目が離せない。



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