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境界線を引いたんだ!!

映画『THE FIRST SLAM DUNK』を観てから、
映画での場面のこともそうなのですが、
原作『SLAM DUNK』のいろいろなシーンのこともね、
思い出しながら、考えているの。

たとえば、
原作の印象的な場面って、もちろん
たくさんあるんだけれども。
今、なんだか、思い出しているのは、
「湘北」対「陵南」の試合にて、陵南の魚住が
ある「線」を引いたところだなあ。

「湘北」対「陵南」では、
陵南のキャプテン・魚住がファウル4つとなって、
あとひとつファウルを取られれば、
試合退場となってしまう。
しかし、ファウルを取られまいと、
プレイが消極的になってしまえば、
湘北には勝てない、と考えた魚住は、ある場面において
ファウルぎりぎりのプレイを行う。
このプレイに対して、審判は、笛を吹かなかった。

観客席で試合を観ている海南・牧の分析によると、
このプレイに対して、
審判が笛を吹かなかった、ということは、つまり、
今と同じぐらいのあたりならば、これからもずっと
審判はファウルをとれないだろう、なぜならば、
今のをとらなかったんだから。
こうして、魚住は、
チャージングの境界線を引いた。
とのように言われていて、この場面を読みながら、
ぼくも、なるほどぉ、と思ったのよね。

ぼくとしては、バスケットボール、及び、
その他のスポーツのプレイについては、
ぜんぜんわからないんだけれども。
でも、そういうような、たとえば、
ここまではよくて、
ここからはいけない、というような
「境界線」を見極めようとする、ってゆうのも
ときには重要だ、と思う。

たとえば、とは言っても、
うまい例は思いつかないけど、たとえば、
ぼくも、なにかしら、
冗談を言うようなときもあるのですが。
この「冗談」というのも、ときに
行き過ぎてしまう場合があって。
つまりはさ、
「冗談」が高じて、
「悪ふざけ」となり、さらなるには
「犯罪」のようにもなってくる。
軽はずみでやったつもりの「冗談」が、その後、
とりかえしのつかないような事態になる、というのも
絶対に無いとは言い切れないだろう。

そんなときには、
「冗談」の境界線のようなものを、
もしも引くことができたなら、
その境界線の範囲の中で
「冗談」を言うことができる、
というふうにも考えられる。

そんなような、たとえば、
ここまではよくて、
ここからはよくない、という
「線」ってあるんだろうなあ、って、
魚住のあのプレイを思い出しながら考えている。

令和4年12月7日


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