滋賀県が策定した「翻訳・多言語対応ガイドライン」は何が新しかったのか
2018年3月に「滋賀県翻訳・多言語対応ガイドライン」の策定に滋賀県国際室として関わったときの話。個人的にこのガイドラインはもっと広まってほしいと思っていて、また複数の方から問合せを戴いていたこともあり、どうやって取り組んだのか当時やっていたことを振り返ってみた(以下はあくまで個人の見解であり、滋賀県の公式見解ではありません)。
「滋賀県翻訳・多言語対応ガイドライン」そのものは下記ページに掲載されています。
ルールづくりではなく「仲間づくり・味方づくり」をコンセプトにしていた
翻訳・多言語化の難しさは、これまでの仕事でも何度か直面したことがあり、その経験値がガイドライン策定に取り組む個人的な土台になっていた。
観光施設と観光連盟と自治体と異なる主体間で訳語が異なっていて外国人観光客からクレームを受けたようなこととか、ある住民向け文書が多言語対応されていなかったがために住民独自の解釈で翻訳されたものがチェーンメール化して騒ぎになったこととか。。。
ガイドラインとして策定するなら、こういった辛い経験をする人がなくなっていくのがよい。そこでまずはそういう経験のありそうな人たちに会い、そこからコンセプトを固めることにした。
ところが、翻訳業務経験者らと雑談をしながら行政に必要としていることを尋ねてみると、そこで聞こえてきたのは「ガイドラインを作ってほしい」という声ではなく、「私だけで抱えている困りごとをもっと他の人と話したい」とか、「ノウハウや経験談をもっと知りたい」という声だった。
またあわせて他地域でのガイドラインの策定経緯を聞いてみようと各所ヒアリングをしにも行ったのだけど、そこでも聞こえてきたのは「対訳表づくりの結果ではなくプロセスが重要だった」という話や、「策定した内容よりも策定後に行った看板点検ワークショップによって生まれた市民のコミュニティの方が重要だった」という話だった。
彼らが本当に望んでいるのはルール以前に仲間なんじゃないか--、そしてガイドライン自体も淡々とルールを定めるのではなく、実務者が翻訳の仕方について依頼元にかけあえる「味方」のような存在になればよいのでは--。この辺にコンセプトを置こうと考えた。
なのでガイドラインづくりはあえてフォーマルに委員を募る等の形式をとらず、オープンな形式での意見交換会を実施しながら、その記録や取材をもとにガイドラインの骨子を形成していこうと。普通の行政ならこういう進め方を示したところで「着地点のないなかで誰が責任もって進行できるのか」「人を集められる保証がどこにもない」という話になって萎んでしまうのだろうけど、この形でチャレンジしようということになった。これによってアクションできたというのが大きかったと思う。
べき論や成功談よりも「失敗談」を、ガイドラインの素材として大事にした
意見交換会自体は4回行った。他地域のガイドラインや文献などを参考に当方で予めテーマを複数提示した。例えばこういうもの。
- 「全国や身の回りにあるガイドラインは、どこまで実用的ですか?」
- 「あなたが表現した訳語について、他の人は何と翻訳したのか、気になったことはありますか?」
- 「機械翻訳とどう向き合っていますか?」
- 「ウェブサイトやアプリの多言語対応、どうやって構築・運用していますか?」
多言語・翻訳対応に携わったことのある事業者さんや、県内で外国人対応業務に関わっている人、また県や市町の国際交流員や相談員さんに来てもらうことができた。機械翻訳やウェブ対応のような専門性の高いテーマの回では、滋賀県にはそういう実務をしている人も少ないため、県外からゲストとして招いたり、県外で勉強会を開いている集まりと一緒に開催させてもらったりした。
(写真は滋賀県サイトから)
べき論や成功談よりも「失敗談」を大事にして、ラジオ番組のような感じで自身のストーリーを紡ぎ合うような場にしたら、マウンティングもなくフラットに会話できるかなとか考えて。。。記録からは省かれているけど、こういう会話と会話の間の「へぇ」「なるほどぉ。。」「ええー!?」みたいなリアクションを引き出すようなストーリーをとにかく大切にした(下記記録は滋賀県サイトで議事録からの引用)。
「学校からのお知らせも、翻訳文を追加することでたくさん情報を載せてしまうと、その文書をもらう生徒も疲れてしまうという話を聞きます。字ばかり見ていると読まないんでしょうね。帰って次の日に持参しなきゃいけないものを持って来なかったり。結局大事なところだけを訳して送った方が伝わりやすいのかなと思ったりします」
「ボランティアで病院の付き添いに行かれる方の話を聞くと、命を預かってしまうということの重責に耐えきれず続かないという声もよくお伺いします」
「まだ皆さんが外国語対応への意識が低かった時代に、私が勤めていた施設で、封筒などにカッコよく施設の英文名を付けてみたことがありました。でも組織としての公式名という位置づけではなかったため、公式にはその数年後に別の名称で定めたのですが、市内の英語案内板などでは当時封筒に入れた非公式の表記で掲載されてしまいました」
「以前在籍していた翻訳者が作った対訳表を見たら、自分たちの表現と比べると不自然に感じるものだったので、対訳表を組織でつくることがネガティブに捉えられてしまったことがあります。後任者などに叩かれたりしないか、対訳表を作るにも怖くて引いてしまう人もいるんじゃないかなと思います」
「翻訳できる人のリソースが足りないため、言語によって翻訳されている情報数の差が生じることがあります。でも利用者がどの情報が翻訳されていないのかがわからないと不便だろうなと思うことがあります」
フランク・ピック氏の考え方を念頭に置いて編集した
なお当然この意見交換会だけで翻訳・多言語対応のあれこれを網羅できるわけではないため、基本的な知識や論点については並行する形で国内の色んなところへ出向き、取材していた。その気づきを意見交換会で取り上げて話題を引き出したり、ガイドラインの編集過程で取り込むようにしていた。
様々な取材の中で最も印象に残り、念頭に置いて編集しようと考えたのは、都内で開かれた「Type& 2017」という書体とデザインに関するイベントで株式会社アイ・デザインの児山啓一さんが紹介したこの言葉だった。
“The quality of our surroundings contributes decisively to our quality of life.”(私たちの環境の質は、私たちの生活の質に大きく寄与する)
この言葉はフランク・ピックというロンドンの公共デザインに大きく関わったといわれている人が信念としてきたことらしい。
彼が関わったロンドン地下鉄の書体「Johnston」は現在もリニューアルを重ねながら愛され続けている。その様を見て、書体とは自分たちのアイデンティティを体現しうるものであり、自分たちのアイデンティティもまた書体を形成するものなのだろうと感じた。
多文化共生ひとつとっても、在住外国人に提供されている特に行政発の多言語書体は、大抵がPCのバンドルフォントをとりあえず(或いはやむを得ず)選んだものだったりする。でも多言語対応が県民の生活の質やアイデンティティに寄与しうるのなら、書体の扱いに対しても本来考慮されないといけないよなとか。一方で間違えると異なる文化を有する人々に我々のアイデンティティを押しつけてしまう、一種の同化政策にもなりかねないよなとか。そんなことを色々考えさせられる言葉だった。
姿勢や留意点を示すまでに留め、訳語をつくりあげていくのはそれぞれの主体という役割整理をした
こうして集まった経験談や取材の記録を、上記の考え方に即してまとめあげるに際し、このガイドラインとしての責任分界点を明確にした。
コンセプトは「ルールづくりではなく味方・仲間づくり」だと固めていたし、意見交換のなかでも「交通・観光・文化・生活、それぞれの文脈で訳語が異なる」という話も出ていた。なので一部署がいきなり各分野における詳細の対訳表まで定めに入ることはやめようと。まずワンクッション置いて、言語環境改善のための姿勢・留意点を総合的にまとめるまでに留めようという整理にした。
となると極力構成としてはシンプルで、項目も少なくかつ具体例を挙げていくのが良かろうと。2週間かけて何度も何度も係のなかで読み合い、議論をしては構成を書き直し続けた。その結果、15の留意点としてまとまった。
それでも15の文章をただ羅列しただけではコンセプトが伝わりにくい。そこでここまでの過程で大事にした方がよいと思った言葉をまとめあげ、それを「3つの基本姿勢」として掲げることにした。
「観光客だけでなく、在住者にもやさしい多言語対応を推進する」
「当事者がつくった訳語を第一に尊重し、共有しあう」
「外国人の生活文化を豊かにする表記・情報整備を心がける」
2つめについて、他地域のガイドラインの殆どは、「訳語には普遍的な正解がない」という大前提がない。でもこれを受け入れ、誰の解釈を尊重するのかという基礎を持つことが、訳語を整理していくうえでは大事な姿勢なのだと。
また最後の点は先述のフランク・ピックの言葉に直結する。我々が目にするチラシや看板、ウェブサイトに書かれたレイアウトや書体などの美しさ、そして使いやすさは、我々の生活文化を豊かにする。それは外国人でも同じことであって、多文化共生やユニバーサルデザインを謳うのなら「補助・おまけ」としての翻訳・多言語化であってはいけないんだと。その姿勢を明確にした。
県としてはこういった姿勢や留意点を示し、そのうえで各主体が訳語をつくりあげていく、そういう役割の整理をした。
魂をつくり、残していくということ
ガイドラインを定めるにあたって、実は多文化共生の仕事に携わっていた頃に聞いた、ある人の言葉が念頭にあった。
「日常から生まれた法・制度には魂ができる」
今回のガイドラインはその「仲間づくり・味方づくり」というコンセプトから、誰かを縛るような制度ではないのだけど、何事においても物事が機能するうえで「魂があるかどうか」は大事なことだと思っている。
でも、担当者である自分がこのガイドラインにいくら魂を込めたところで、実務者が翻訳の仕方について依頼元にかけあえる「味方」として位置付けられ、その過程で仲間づくりが生まれるようなものになっていかない限り、魂は宿り続かない。そのためにも、このガイドラインは完成がゴールではなく、完成した後のアクションこそが大事だ。
なので、実際にこのガイドラインを踏まえて個別の対訳表をつくってみるような場であったり、意見交換会の継続版のような場を続けたかったのだけど、、、肝心のそこまで至ることができなかった。
ちなみに昨夏、 今回のガイドラインに協力してくださった Monotype の書体デザイナーの小林章さんが、翻訳家の田代眞理さんとの共著として「英文サインのデザイン」という本を出版されたのだけど、このなかに今回のガイドラインのことを紹介していただいている。県外にもこういう形で魂が繋がり、広がっていくのはとても有難い。
もしどこか県内外で、このガイドラインをもとに対訳表がつくられたり、何かしらのアクションがあるのであれば、是非シェアしてほしい。そういった動きを、自分としては応援したい。
。。。とはいってもすぐに言語環境は改善されるものではないし、ガイドライン策定後も、ガイドラインの考え方に合わない多言語化のケースも周囲で散見される。でも姿勢なんてすぐに身に付くものでもないので、とにかく少しずつ、気付いてくれたらよかった!と思えるぐらいの長い気持ちで、変化を期待していこうと思う。