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「すきなもの」のはなし

「家事の中で何がすき?」と訊かれたら、迷わず「お料理!」と答えるくらいには、料理がすきだ。

その次にすきなのはお皿洗い。その次は洗濯物をたたむこと。(お部屋のお片づけはゲエー!と言っちゃうくらい嫌い!)

最近、これらの作業に共通点があることに気づいた。作業の前に全体を見渡して全体像の把握が出来るところと、自分のルールを作ることが出来るところ。どういうことか?

料理で言えば、最初に全体の献立を設計するところから始めて、あとは「自分のルール」で作業を組み立てていくだけ。

例えば、「匂いの弱いお野菜から切り始めて、お肉やお魚は最後に切る」とか、「切り終わったお野菜は火の通りやすさごとにボウルに分けて入れておく」とか、「この鍋は小さいから一番奥のコンロ、この鍋は揚げ物に使うから火力の強いこのコンロに置く」とか、「メインは出来立てを提供したいから最後に調理する、こちらのメニューは少し冷めても美味しいから先に作る」とか、「今日は金曜ロードショーを見たいから、早めに夕食を始められるよう、早めに調理にとりかかる」とか。「料理をする」というひとつの作業に、こんなにたくさんの「自分のルール」を忍ばせることが出来る。それを頭の中で組み立てることが出来る。

お皿洗いなら、「大きいお皿から洗い始めて、シンクの中で大→小に積み上げていく」とか、「皿は皿と、ボウルはボウルと積み分ける」とか、「コップを先に洗ってそこにカトラリーを立てていく」とか、「鍋やフライパンは最後に洗う」とかってルールがある。

洗濯物も同じ。「たたむのはズボンから」「大きいものから順番に積み上げる」「靴下や下着は一番上」「崩れやすいからなるべく高さをそろえる」

元来、自分は大雑把な性格をしていると思っていたけど、全然そんなことはない。これを見る限り、かなり几帳面だ。

お部屋のお片づけはそこへいくと、なぜこんなに(ゲエー!と言っちゃうくらい)嫌いなのか?というのも得心がいく。まず完成形の想像が出来ない。どうなれば完成で、どこがゴールなのかが全然見えない。だって、完成形を追い求めたら「片付け」なんてレベルでは済まない。模様替えだ。すべての家具を総とっかえしないと気が済まない。そんなの、小一時間で終わる話じゃない。「こうしたい」という理想があるのに、自分の今いる位置からそこへたどり着くまでにかかる時間が長すぎる。絶望である。そして「自分のルール」もへったくれもない。こちとら、どこから手を付けていいのかわからないというのに。

だけどこの間引っ越しをした私は無敵だ。なぜなら家具の総とっかえをしたから。今の自分の部屋はすごく整っていて気持ちがいい。今ならお部屋のお片づけも「すき!」と言えちゃうかもしれない。

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