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8月6日 特別は今日だけじゃない

8時に起床。今日は特番の関係で夏休み子ども科学電話相談は9時からとのことで、そのままぼんやりと過ごしているうちに二度寝。9時過ぎに長田さん(夫)に「ラジオはー?」と声をかけられて起きるものの体が動かず、ベッドの中でラジオを聴きながら何度もうとうとしてしまう。昨日からやたらと眠くてダメだ。いつのまにか長田さん(夫)も横でお昼寝していた。

結局14時ごろにちゃんと目が覚めてベッドから出て、残り物をいろいろと出してあたためて食べる。そのうちに長田さん(夫)が起きてきたので二人で簡単に食事。


そのあともかなりダラダラとしてしまい、16時ごろにようやく準備をして外出。今日はいろいろと支払いをしにいくと言われていたので、ついでに外に出てスーパーや薬局で買い物。そこかしこに「うがい薬売り切れ」という張り紙が出ていてうわぁとなる。マスクの件で学ぼうよ、人類。と、どうしても思ってしまう。不安な気持ちはとてもよくわかるけど、こういう張り紙ひとつでも余計な緊張感やネガティブな気持ちが生まれてしまう気がするからわたしは苦手だ。

帰りに通りがかりのお肉屋さん(と、書いてあるけど実質揚げ物屋さん)に寄り、わたしはコーンクリーム、長田さん(夫)はカニクリームのコロッケをそれぞれひとつずつ買って食べる。小ぶりなのにコーンがたっぷり入っていてうれしい。一口もらったカニクリームもたゆんたゆんのクリームにしっかりカニの味がして美味しかった。


今日の夜ご飯はコレ。

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休みの日はゆっくり作りながら食べられるごはんを楽しみがち。たこ焼きが焼ける間にお刺身をつまみながらビールを飲むなどという贅沢もしてしまう。


今日はあまりにもなにもしなさすぎて、食べ物のことばかりだ…

夜ご飯の後は少しゲームをしたりなどして休憩。

夕方ごろから若干感じてはいたけれど、ジワジワと腹筋が痛い。まごうことなき筋肉痛。昨日のプランクが効いている気がする。椅子に座っていてもベッドでゴロゴロしていてもたいてい体の上にどちらかの猫が鎮座しているのだけれど、さすがに腹筋が痛すぎて今日は添い寝スタイルで我慢していただく。

なんとなくふくらはぎのあたりも痛い気がする。リングフィットをやるべきか少し悩んだけれど、昨日ボス戦をクリアしたばかりだしさすがにあまりキツいステージには当たらないだろうということでチャレンジ。

リングフィットアドベンチャーはトレーニングをする前にストレッチをするかどうかを選ぶことができるので、わたしは準備体操を兼ねて毎回やることにしている。いつもは「ダイナミックストレッチをはじめます」という女性のアナウンスとともに始まるのに、今日は突然「ダイナミックストレッチをはじめます。がん・ばる・ぞっ!」と言われてかなり驚く。そんなおちゃめさを出してくるなんて聞いてない。かわいい。

今日は新しい発見があったし、やっぱりやってみてよかったな〜などとほんわか思っていたら。

…びっくりするぐらい走らされた。道中にやたらとスクワットポイントやリングコン押し込みポイントもあってつらい。戦闘前に力尽きるかと思った。よく出来すぎている。クールダウンのストレッチ中はもう足が震えてキツかった。わたしの運動負荷、14なんですけど!(かなり低い設定)

さすがに少し休憩してからシャワーを浴びる。薬のおかげもあって肌の調子がだいぶよくなってきた。明日の分の麦茶を作るためにお湯を沸かしつつ、寝たままストレッチをしながら日記を書く。

リングフィットとストレッチを続けておよそ10日くらい。目に見えて変化があるのは足とくびれ。かなりスッキリして気持ちがいい。汗を流すために毎日シャワーを浴びたり、運動前に床をきれいにしたりという習慣がついたのもかなりいいことだと思う。

今日の出来事はこんな感じ。


これまでの流れをぶった切ってしまうけれど、ひとつ書きたいことがある。

8月6日、今日は広島原爆の日だ。

コロナのこともそうだけれど、普段わたしはSNSなどでこういった話題に触れることをしない。自分の無知が間違って誰かを攻撃してしまう可能性が怖い。けれどこの日記は別扱いとしようと思う。わたしがその日行ったことや感じたことをそのまま書くことを目的としているから。

わたしはごくごく普通に暮らしているので、原爆についてもいつもそこまで意識をするタイプではない。けれどこの日になるといつも思い出すことがある。

とても小さかったころ、多分なにかの用事があって母につれられて兄弟みんなで役所かなにかに行ったんだと思う。季節がちょうど今頃だったのだろう。原爆当時の写真がパネルで飾られているエリアがあり、どうしてだか母がまだ幼いわたしたちにひとつひとつの写真を見せながら説明をしてくれた。正直その時のわたしはモノクロの写真や物々しい雰囲気が怖くて、早く家に帰ってしまいたかった。ところが、わたしたちを見た職員の方が若い人が興味を持ってくれて嬉しいからと、その様子を写真に撮りたいと言ってカメラを持ち出してきたので、パネルの写真をぜんぶ見終わってしまうまで帰ることができなくなってしまった。

わたしの原爆についての初めての思い出。

以来、この時期が近づいてテレビや授業で原爆の話題に触れるたびに、あの時見たモノクロ写真のパネルを思い出す。とても怖かった。今でも怖い。

わたしにとっては、生まれるはるか前の出来事であり、少なくとも話を聞くことができる身内にも経験者がおらず、常日頃記憶の中にあるようなことではない。ある日突然こんな形で苦しむ日がやってくるなんて想像するだけで嫌だな、と今日一日すこし思って、おそらく数日後にはもう日常の中から消えてしまう。


今日は「ひろしまタイムライン」というツイートを追いかけていた。

公式サイトはこちら→https://www.nhk.or.jp/hiroshima/hibaku75/timeline/


もし原爆の時代にSNSがあったら?という趣旨で、それぞれ境遇の違う三人の人物がリアルタイムでツイートをしているかのように原爆当時のことを教えてくれるものだ。

今日も含め大きな災害のあった日には「黙祷」というツイートが流れたりするけれど、ぶっちゃけてしまうとわたしのようにそれらの出来事に特に関わりのない人がそういったツイートをしているのかと思うと少し嫌な気持ちになる。「記念カキコ」みたいな感じがするというか、本当にそこに心があるのかどうか疑ってしまって。わたしは軽々しく黙祷なんて出来ない、とも思ってしまう。それにもしするのであれば「黙祷」なんてわざわざつぶやかずに、本当にしっかりと目を閉じて、祈りを捧げるべきだろう。もちろん、そうしてからつぶやく人もいるだろうし、そういう行いをする人たちの気持ち全てはわからないから、こんなこと大声では言えない。日記だから許して欲しい。


原爆を含めた災害は、それが起こった日だけが特別なわけではないと思う。被害にあった方々にとっては、その日がスタートだから。「ひろしまタイムライン」を追っているとそのことがよくわかる。ツイートを行なっている三人は、今わたしがこの日記を書いている8月6日の深夜ですらまだ「原爆が落ちた」ということを知らない。まだ続くのだ。まだこれから先がずっとあるのだ。


そうして、現代のこの日まで続いているのだと思うと、わたしは初めて目を閉じて祈りたくなった。人と人との争いで、こんな過ちが二度と起こらないように。今なお語り継がれる意味は、わたしは、繰り返さないためだと思いたい。

「ひろしまタイムライン」が動いている限りは、この先の事も追いかけていこうと思う。たった1日、今日だけの出来事ではないことを忘れたくないから、この日記にも書いておきたいと思った。



ゆか





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