2021/2/25

今日予定されているスケジュールに纏わる夢を昨晩観た。
目が覚めたのは5:00頃だったが、死後硬直の様に体が硬かった。
起き上がることが出来なかったので、自然とそのまま夢を見ていた。望ましいと思われる方向に物事が進むような内容だったのはまだ幸いだったのかもしれない。
8:00頃に何とか起きだしたが、5:00からの三時間の間は状態が思わしくないときにしばしばある、様々な精神状態を走馬灯のように巡るような時間だった。極端な抑うつ、猜疑、我に返る瞬間、希死念慮。
何度も経験しているでこの精神状態の変化はの変化はそのまま身体の状態の変化に対応しているにすぎないということを理解しているので別段動じることはない。ただそれぞれの状態の時にはやはり心的現実として直視しそのまま巡ってきた状態にそのまま陥る。
昨晩の自分の状態から出勤し一日オフィスで過ごすことは難しかろうと判断して、いつもは出勤の日だったが今日をテレワークとした判断は正しかった。
今日の業務はタスク自体は多かったので明日への持ち越しも発生しているが、それでも進捗を得られたので業後の気持ちは軽い。PG等開発案件は一日で完結するものは殆ど無いので抱えているとき、しかも見通しが明確で無い時は気が重い。他方、機械的にこなせる作業や、問い合わせ対応などは小さな達成感を積み重ねることが出来るので、普段は時間を取られ煩雑に思うものだが逆に貴重な作業のように思えものである。
今日は様々な疑念が解消された日でもあった。力尽くでこじ開けたと言ってもいいかもしれない。猜疑は僕の中で非常に大きな問題の一つである。今日は二つの疑念が晴れた。「疑念が晴れた」と書いた。しかし、そもそもその疑念自体が単なる僕の内面的問題の表出のそれ以上で無いのかもれしない。これまでに何度も、疑念が全くのそれ以上で無いことが露呈し愕然とするときが何度あったことか。
中学生ぐらいの頃からか、事態は常に最悪を想定しておくことにしておいた。大抵はそこまでにはならないので常に良い形で裏切られる、という理屈である。
この習性は今も残っているて、ちらほら生活の中に出てきていることを自覚している。先の過度な疑念もその一つの表れなのかも知れない。
僕の場合は特に、病理的なものからくるものも多分にあるとは思う。問題の頻度とその強さはある程度一般的な感覚とは格差があり、理解も得られにくい。それでも制度と知識と環境を合わせて、過ぎれば制御が効かなくなるもの、何とかコントロール下に置き続けられるようにしなければならない。
人はある程度自分の心性と社会とのすりあわせ方を自覚的/無自覚的に身につけている。本来的には社会生活に影を落とすような心性そのものとしっかり対峙するべきであるが、それは一人では難しく、またそれほどに時間の流れが緩やかな時間は、逆に一番そういう時間が必要な若い時にほど無い。僕の場合はそうせざるを得なかったという形ではあるが、病と向き合いだけで住む環境がその時分にあったので、今が何とか成り立っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?