一つの事を調べるということについて

昨日、思えばここ3ヶ月ぐらいずっと取り組んでいた調べものを纏めて所属している課で発表した。結果は色々駄目出しをくらったが、それはスライドの作り方、表現方法等のプレゼン手法というところのものが大半であり、内容的についてはかなりの程度努力を認めてくれていたような評であったので個人的には救われた思いであると同時に達成感すらあった。発表そのものは外向けのためのものであるが、内容そのものは完全に自分のものであり、全てが自分のものになっている。そして内容以上に得たものも大変多かった。
この調べ物の内容はOR(Operations Research)というもので、極端に単純に言うと「問題をシンプルな形にして最適なやり方を見付けましょう」というものである。流行のAIをなんとか使えるようになりたいというところから始めて紆余曲折を経てORに辿り着いた。今は単なる入り口とはいえ、ORに辿り着いたはいいが手に負えるかどうか、最初は全く自信が無かった。
苦手な物を克服することはとても大事なことと言うのは一般論としてもいわれるし、それが実際に出来たら大いに自信になる。僕自身のことで言えば中学生時代に英語がとても苦手だったが、高校生の時に授業とは別に自分なりの努力を積み上げた結果それなりに得意になったことは一つの成功体験として今でも活きているし、大抵のことは独学でなんとかなると思えるのはこの成功体験があったからだと思っている。
今回の調べ物も勿論独学である。周りの人に聞ける人は居らず、あるのは書籍とネットの情報だけ。そこからどれだけのことを引き出し、見つけていくか。どんなことでも調べるという行為は情報の糸口を探すことに時間の大半が割り当てられる。集めたものを整理する時間より探す時間の方が当たり前に多い。
調べるという行為は取っかかりの部分から始めて、その全体系とは言わずとも知りたい範囲のその範疇内を見渡せるようになるところまでが、まず目指すべき一つの地点である。その為にはある程度調べたいことを網羅的に書いてくれている本なり、ネットの記事なりに出会うことで肝要である。見取り図を手に入れたら後はそこに書かれている個々のキーワードを理解し不明点を無くしていく。この時、次のフェーズに移ったことになる。ここまでくれば、その後は調べると言うことおいてそれほどに大変な箇所はない。
ただ最初の体系の把握のフェーズに王道はない。今まで幾度かこのフェーズをやってきているが毎回パターンが違う。幾つかの分野の繋ぎ合わせなのか、または全く独特のものなのか。または独特に見えて実は既存のものの変奏の複合なのか。またはそのいずれかでもないのか。見えてくるようになるまで、ただ資料に取り組む以外に術は無い。
今回僕が調べていたことは僕が全く知らないところから始めたものであったことも大変な作業になった大きな要因だが、それより僕の苦手な数学的要素が大いに求められる分野であったことが僕にとって大変だった。しかし逆に数学的要素が多いというのは何年も前から調べている機械学習の勉強も同じであり、今回の勉強は自分の中の大きな目標の双方に働きかける事が出来るというので、努力のしがいがあるとは思ったし、だからこそ今回の勉強は粘り強く続けられた。二つのことに資するというのはモチベーションの維持に大きく役立ってくれた。今回の調査の前段階のその前の段階で、高校の学参に長く齧り付いていた。数学の勉強は大人になってから数度目であるが、しかし改めて高校の学参というのは見事に一本に繋がっていてとても高度に完成された書物であると思う。学習指導要領というのはとてもよく出来ている。とはいえ、僕自身の勉強が大変だったことには変わりない。
数学の難しさは内容そのものの抽象度もあるが「知る」ことより「理解する」ことに重きが置かれるもので、「理解する」ことはある程度「出来る」事も求められる。出来ないと応用が効かないので結果実際に目的に適用しようとした時に手詰まりになる。「知る」とはある程度得意な方と自負しているが、「出来るようになる」までのステップはその経験不足からかあまり得意では無い。
でも高校数学をある程度なんとかしてその上に本来的な調べ物に必要なものを積み上げた結果、多分幻だろうけれど数学という世界での営為が少し見えたような気がする。
僕の中でその知識体系がある程度自分の物になったかどうかの指標は大型書店のその分野のコーナーに行き、そのコーナーが広く感じるか狭く感じるか、である。広く感じるときは周りの本の背表紙の文字が単なる文字列としてしか入ってこず全く理解出来ないし、本達の間に挟まっている区切り板がただあるだけで何を根拠に区切っているかもわからない。しかし、ある程度理解が進むと背表紙の内容が理解出来るようになってきて、また区切り板の位置にそれなりに納得が出来るようになって、広いコーナーの中にまとまりを見いだせるようになってくる。そうするとそのコーナー全体を把握出来るようになってくるのである。今回の勉強の結果、ほんの少し数学コーナーが狭くなったように感じる事が出来た。

一つの事を調べることは副産物が多分にあると言うことを、この仕事に関することについての調べ物で改めて気付いた。
もしこのいい歳したおじさんが立派な老害として若い人に物を言う場面があったと仮定した時「与えられた時間も少なくそれが上手くいかなかった場合窮地に立つようなものならもちろん手堅く。しかしそうでもなくある程度時間もあるなら多少遠回りのルートを辿るような目標を設定した方がよい」と言いたい。

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