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パン屋の裏側 3

 品出し

シフト表にその日のポジションが書いてある。サンドイッチは60代の先輩御二方が毎日交代で担当してくれている。
オーブン、成型、フライヤー、品出し、販売の6人で午前中を回す。

私は販売以外はやったことがなかったが、稲田さんが辞めて、渡部さんが辞めると言ったあたりから品出しラインに入ることになった。

文字通り焼き上がったパンをお店に並べて行くと言うポジションだ。
まずは前日焼き上げた小ぶりのフランスパンを切り、ポテトサラダを挟んでベーコンを乗せると言うのをやってみた。案外切れない。パン切り包丁を使い慣れていないとせっかくのパンを潰してしまう。ポテトサラダを50gと言われても感覚がつかめない。けっこうたくさん入ってしまう。初日なのでとやかく言われなかったが、ひと鉄板に乗せられたものを8本でも10本でも45秒で仕上げるのだそうだ。
まったく不可能だった。ミルククリームやピーナッツをはさむだけのパンなら何とかなりそうなのでまずはそこから頑張ってみようと思った。

トレイに透明なシートを引いてどんどん出していく。ひとつの商品に1分もかけられない。どんどん焼き上がる。
グレーズを絞ったり、杏ジャムを塗ったり、仕上げをしなければならないパンも色々あるがやり慣れない仕上げに時間がかかってしまい、どんどん鉄板が溜まっていく。途中で拭きながらやらなければ、成型のラインで足りなくなってしまう。初めはそんなことも知らずにひたすらパンを出していた。とにかく売り場にパンが並ばなければ売れないし、お客さんから催促されてしまうのだ。催促されて取りに行くようでは時間がかかりすぎる。

お客さんに声をかけられたらアウトなのに、桃山さんは販売でレジにいても隠れてしまう。下に何も落ちていないのに探しているそぶりをしていた。諦めてお客さんの前に出る。もちろん笑顔で。フランスパンのスライスを頼まれてしまった。五分とかからないことなのに、その間にもパンは4鉄板ほど焼き上がってしまった。さらにレジは混雑。並んでいるので、補佐に入った。チーフに
「仕方ないよね、販売しかやったことないと、販売しか目がいかないからどうしても気になってしょうがないみたいだね。すぐレジに行っちゃうんだよね、身体じゃなくて心が。品物出さないとさ、これもう焼きたてじゃないよね?」
あれこれ言われても身体はひとつ。それにあんなに並んでたのに補佐に入らず、品出し続けたらクレームになる。そう思っても言えなかった。鉄板がたまりにたまって結局拭ききれない。「いいです。私やりますから、桃山さんとレジ代わってください。桃山さんお昼に出さないと。鉄板ってさーためると拭くの大変だと思わない?ためるから大変になるのよ。わかる?」チーフに言われるが、わかんねーよっとは言えず小さな声で「はい、すみません」と言った。悔しくて悔しくて。明日こそは全て完璧に終わらせてやると思うのに、終わるかもと思うと大量の洗い物も言われたり、冷凍庫から物を取ってきたり、思いの外レジが混んだりして、チーフの言う、12時までに全ての品物を出し終わり、鉄板も拭いておくことなんて、できなかった。それでも私はまだマシだと思った。チーフは私には怒鳴らない。明らかにわかる嫌味な言い方をするだけだ。

そんな頃初めて桃山さんから相談を持ちかけられた。このままではいけないと思っていたので気持ちよく話を聞いた。仕事では桃山さんの方が先輩なわけだから、仕事の指導はできないが、チーフにこう言われたらこう言ってみたら?とか物の言い方のアドバイスは私にもできた。

ずっと外されたままで10年は苦しかっただろう。可哀想だなと思った。できる限りのことをしてあげようと思った。

まさかそれが間違えだとは思わなかった。
毎日毎日多くて20通のメールが届き、桃山さんが出勤の日はまるで答え合わせをするかのように、朝一の出来事から全てを電話で話され、これで大丈夫でしょうか?私何か変なことしてないですよね?明日チーフに怒られませんよね?と確認されるようになってしまった。

息子のお迎えに保育園に行っても帰り道に息子と話しながら帰ることもできない。ずっと電話だ。
息子の夕飯を作る間もフライパン片手に電話。夜中の11時半まで電話をしていて旦那にも怒られた。
それでも私は電話を切ることができなかった。

桃山さんが「私なんてお荷物だからいなくなればいいんですよね。電車に飛び込みたくなるんです。」と言うからだ。

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