
第1話「キッシュを食べ終えた頃」
第1話
ソメイヨシノを植えるように都心部へビルが次々と建った。高度成長期に誰が自殺しようと考えたのだろうか?
余った時間で何かを考えていた意欲ある大人たち。子供たちの騒ぎ声を無視して、大人たちは不安な未来を予測するように働いた。
がむしゃらに働いては、自殺する人たちを隠そうとした。隠せるものは隠して、歴史の中で無かったことにする。
それが可能だった時代だ。原付に乗る人がヘルメットを被らない時代とも言えるのかな。
鞘と出会ったのはこの頃、時代は昭和五十年の春。僕の身体は幼くて、幾つもの瘡蓋を当たり前に残して遊びまわる年齢だった。傷が付いたら唾をつけて治ると信じてた。
落ちた物は三秒以内に拾えば問題ないとルールとして決めていた頃。乞食が街中を徘徊しても気にしない社会。
蛆虫が湧いた猫の死体を初めて目にした光景。一週間は引きずるようにして夢となって焼き付いた。気持ち悪いけど、純粋な好奇心で通学する度に見ていた。
やがて、蛆虫は蠅となって夏の空へと群れをなして飛んでいく。後に残ったのは薄汚い骨を覗かせた腐敗する猫だけ。無言の何かを感じて、子供ながらに何かを感じ取って、僕たちは成長したような気もした。
一学年上の高学年に一歩後退して圧力を知る。明日には「教わった」と友人の鞘が言う。
鞘(さや)って名字が珍しくて、仲間たちは鞘のことを面白おかしくからかった。あの頃の年齢は、名字が珍しいだけでふざけ合うものだ。僕も周りの仲間たちと同じで鞘のことを馬鹿にしたりしていた。
それは愛情から来るもので、決して本気で馬鹿にしているわけではない。どちらかと言うと、そんな鞘のことを羨ましくも思っているのだ。
名字が珍しいだけで一つ上に感じていたし、自分の名字があまりにも普通すぎてつまらないと思った。親に名字がつまらないと言った時、同居していた祖母が情けないと呟いた。祖母がどうして嘆いたのかわからない。
名前とはそんなに大事なのか理解できなかった。要するに幼い僕の心はご先祖様の存在に無関心だったのだ。
日めくりカレンダーの厚みが薄くなるにつれて、僕たちは成長していく姿を親や周りの大人たちへ見せた。細かった腕が筋肉質に変化したりと、めまぐるしい成長は高度成長期と似ている。
車の排気ガスが道路を黒くしては、夜の街へ繰り出す親父の背中に憧れた。酔って家に帰って来ては、母親がケツを叩いていた。祖母は情けないと襖に向かって呟く。
僕たちは色んな意味で、恵まれていたし、これからの雑踏に靴を履いて踏んでは歩いた。歩くことに疲れることを知らない子供の頃、今の僕は何を思って雑踏に足を踏み入れたんだろうか?
昭和歌謡曲をこよなく愛していたスナックのママ。今も昔も変わらない僕たちの舞台裏。少年が青年へと成長したとき、僕の舞台は色んな意味で幕を開けるのだった。
第2話に続く