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第23話「黒電話とカレンダーの失意」

 病院の就寝時間は早い。夜の九時を過ぎた頃、僕は窓から差し込む月明かりで一枚の写真をかざしていた。まだ会ってもなく、話したことのない女の子。

 僕は写真の女の子と会話している姿を想像してみた。チャコからの告白に、眠れない夜が訪れた。アパートに居るときと変わらないじゃないか。

 そんなときは神社へ行って気分を落ち着かせたいけど、骨折した足で行くのは困難に決まってる。それに、病院から抜け出せるわけがなかった。だから起き上がると、窓からの景色に、今の心境を灯りの少ない街並みへ沈めることしかできなかった。

 酒井雫(さかい・しずく)。写真の女の子の名前だ。産んだのはチャコで父親の顔を知らないまま、今日まで元気に育っていると教えてくれた。

 来年で三歳になり、おそらく保育園に通うだろう。三年前の夏、僕の姉さんが亡くなった。その数ヶ月前、僕とチャコは性行為をしていた。そのときチャコのお腹に小さな命が宿ったんだ。

 ありえない話じゃない。チャコが嘘をつくとも思えない。いや、そんなことを考えること自体、最悪な心じゃないか。

 そんな風に思ったとき、それは意識的に思っていることだって、姉さんが亡くなる前日に話してくれた。

 あのとき、どうしてそんな話になったんだろうか?振り向いてはその場面を想像したけど、病室の孤独みたいに誰にも気づかれない場面だった。

 今の僕は孤独な思い出に生きてるようだ。

 カツンカツンと足音が廊下から近づいてくる。僕は孤独な足を、もがくようにして歩き出した。病室の出入りはカーテンが引かれている。足音はだんだんと近づいてきた。

 僕は骨折した足を見下ろしたあと、カーテン越しに見える影を見つめた。そっと白い指先がカーテンの真ん中から忍び込む。

 僕以外、誰も起きてない病室へ看護師が入って来たとき、信じられないことが起きたんだ。病室へ入って来た看護師は、昼間に会った花岡さんだった。彼女は僕の目の前で、病室の患者たちが眠っているか確認していた。

 一つ一つのベッドを覗いては頷いている。

 一番奥のベッドが僕の場所だ。でも僕は、目の前でその様子を眺めている。それでも彼女は、僕がその場に居ないかのような振る舞いでテキパキと仕事をこなしていた。

 一体何が起きたんだ。

 そして、彼女が僕のベッドを覗いたとき花岡さんの表情に変化が起きた。一人で呟くように、僕の姿がベッドに居ないことを口にした。慌ててる様子はなかったけど、もぬけの殻のベッドを触っては考えてる様子だった。

「花岡さん、なにをやってるんですか?僕ならここに居ますよ」

 花岡さんは振り向いて、少しだけ奇妙な表情を浮かべたが、僕の声に振り向いた感じではなかった。そして早足で、僕の横を通って病室から出て行った。

 ちょっと待てよ。これって、僕の姿も声も聞こえてないのか?嘘だろう。そんなことってあるのか!?

 心臓の音が一気に身体中を駆け巡った。ドクンドクンドクンと波打つように身体中を揺らしている。僕は生きてる。生きて自分の意思で歩いて、立っているじゃないか。

 超常現象だと思えば良いのか?それとも僕は石階段から落ちて死んでしまったのか!?

 三年前の夏祭りを思い出したのは走馬灯。僕はだんだんと不安と恐怖で息が乱れてきた。胸元を手で掴むと、僕は病室から出て追いかけた。花岡さんを追いかけたんだ。

 僕は、僕はここに居ます。そんな言葉が口から出ることはなかったけど、薄暗い廊下の奥で聞こえる花岡さんの足音を追って、僕は走り出した。

 そして、気づいたことがあった。

 なんとそれは、僕は骨折していた足で走っていたのだ。次の瞬間、僕は立ち止まってギブスに固められた足を見つめた。

 廊下の向こうで、僕を置いてけぼりにするように足音は遠ざかった。

 第24話につづく

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