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Ⅰ 巨きな絵のみなもと


まずはじめに、巨きな絵を描いていくうえでくりかえし立ち返ることとなった、大切な四つの"源泉"のことをお話したいと思います。

それらが実際にいつ、どのようにして巨きな絵へと結びついていったのか、自分もはっきりとよく憶えているわけではありません。
けれど確かに言えるのは、それぞれの作品が巨きな絵にもたらした影響は別々のことがらのようで、すべてがその根底において密に結びあっている、ということです。


もくじ
Ⅰ 虹の上をとぶ船―絵の声を聴く
Ⅱ 魔法のことば―無名の神話
Ⅲ 宮沢賢治の四象限―存在の祝祭
Ⅳ 天地創造の刺繍布―世界する世界


Ⅰ 虹の上をとぶ船絵の声を聴く

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「羽音やひづめの音をあとにのこしてとおくへいく」
坂本小九郎「虹の上をとぶ船—八戸市立湊中学校養護学級の版画教育実践」より


ジブリの映画「魔女の宅急便」のなかで、画家の少女ウルスラが描く一枚の絵。その元となったことでも知られるこの版画は、1956年からおよそ四半世紀にわたり、青森・八戸にある中学校の養護学級において生み出された「虹の上をとぶ船」シリーズに代表される、幾つもの巨大な木版画群のうちのひとつです。
緻密に彫り込まれたペガサスと牡牛の、悠然と宙を駆け巡るすがた。それらをやさしく受けとめるかのようにかがやく巨大な月。一連の美しいイメージは、ひとたび観たら忘れられなくなるほどの鮮烈な印象をのこします。

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「虹の上をとぶ船 完結編」
坂本小九郎「虹の上をとぶ船—八戸市立湊中学校養護学級の版画教育実践」付録ポスターより

一枚あたり3〜4人で数ヶ月かけてつくられたというこの版画は、実際の大きさはおよそ畳一枚分(1×2m)に匹敵するそうですが、原画が縮小された写真をながめているだけでも、その凄みはひしひしと伝わってきます。
隅々まで彫り込まれた絵の細部をみていくと、樹の陰影や象の量感など、立体性をたくみに表現したところもあれば、人物の単純な造形にみられる平坦で稚拙とされるような表現まで、さまざまな在りようがみられます。
そしてそのいずれもがかけがえないものとして共存しあい、そのことによって神話的な世界が生まれているということが、この版画の持つ何よりの魅力なのだと思います。

各々の存在によって放たれる光が均されることなく、個々のかがやきのまま愛されてしまう場所。それは時間に支配されてしまった現代社会のおおくの場面においては、半ば妄想とされ、置き去りにされてしまう発想なのかもしれません。
けれどこの版画たちを観ていると、そのような弱々しくもろい思いが、言葉の行き届かないどこか深いところで、そっと肯定されるような気がするのです。

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「虹の上をとぶ船 総集編Ⅱ」作品解説
坂本小九郎「虹の上をとぶ船—八戸市立湊中学校養護学級の版画教育実践」より


この比類なき版画たちの創造を、長いあいだ教師として見守り続けてきた坂本小九郎は、一連の版画教育とその実践を「虹の上をとぶ船—八戸市立湊中学校養護学級の版画教育実践」という一冊の画集にまとめ、出版しました(現在は絶版)。
そこには子どもたちがつくった版画と物語が、教師による作品解説と実践の随想というかたちで、圧倒的な文字量によって書き尽くされています。何よりもおどろくのは、教師が書きあらわした膨大な文章のうちのどの言葉をとっても、その一つひとつに詩心の籠もった息づかいが感じられる、ということです。

「子どもは、どんな稚拙なイメージも安心して描ききっています。その稚拙で素朴なイメージは、喜々としてペガサスと太陽の光芒のもとに生命の賛歌をかなでています。いかなるイメージも追い出したり排除したりはしません。個性をもったありのままの存在として生きています。」


子どものなした創造をこのようにたたえたかと思えば、自らの仕事については「教師はみずからの仕事を否定するところから出発しなければならない」という言葉にあるように、一貫して厳しいまなざしを注いでいます。

私の25年の教師という仕事のなかで10万点以上の子どもの表現物を見てきたわけであり、描かせてきたわけです。そのなかで、子どもたちも活かされたと思える表現物は、ほんのひとにぎりです。これくらいおそろしい仕事はないと思うのです。このおそろしさを考えるなら、どうして教育実践を美談として書くことができましょう。


教師である自らは、創造主として中心にいる存在などではなく、「産婆」のようにただ傍らに寄り添い、その手助けをする媒介者なのだということ。
そのような思想を擁立してゆく途上にあってなお、「ほとんどが砂のように指のあいだからもれていってしまった」という悔恨を深く抱きつつ、それでもなお絶えることのない、子どもの創造に参与することへの切実きわまりない思いが、この類い稀な画集を生み出した原動力のひとつなのだと思います。

矛盾や不条理のなかを歩み尽くそうとする、このひとりの教師のどこまでも人間的なすがたは、つくり手である自分にとっても私淑すべき存在であるように映ったのでした。

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版画のラフスケッチと解説
坂本小九郎「虹の上をとぶ船—八戸市立湊中学校養護学級の版画教育実践」より


巨大な版画の制作は、名刺サイズの小さなカードに描かれた、落書き同然の絵からはじまります。
小さな紙芝居でもつくろうか、と呼びかけるようにして行われたというこのささやかな遊びは、一つひとつは数点のモチーフが描かれたきわめて素朴なスケッチでありながら、幾人もの子どもたちでそれらを互いに見せあい合流させてゆくことで、次第に大きな紙に描いていくようになります。そして小さな川の流れがいつか大河へと辿りつくように、あの迫真に満ちた大作へと、めざましい飛躍を遂げていくことになるのです。

「小さなカードの絵は、まさに子どもたちのイメージの種なのです。土にまき、土をかぶせ、水をかけ、太陽のあたたかさをあててやりさえすれば、かならずみごとな表現になったり、生命をもったものに成長するのです。」


最終的な版画へと至っていくその過程を語るなかで、教師は「はじめにイメージありき」という印象深いことばをも残しています。それは明晰な言葉ありきの世界だけでは決して捉えきれない原理が、世界のなりたちにはじめから内在していることを示唆するものであるように思います。
それは自分の制作において、いつからか大切にしていた「絵の声を聴く」という姿勢とも、そのまま共鳴するものであるように感じられました。

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いのちの記憶 / 2016


描くことは、自分ごとを超えていくいとなみです。
自らが主体となって絵を描くのではなく、絵が自らをとおして描くをしている、ということ、そのような在りようをどこまでも信じていった先に、「絵の声を聴く」は自然と現れてきたように思います。
そのなかにあってはよい絵が描けたときほど、それが自分のお陰、自分の手柄であるなどという風には考えられなくなってしまうのです。

「虹の上をとぶ船」は、描くことで育まれていった自分の絵にたいする思いをどこまでも深めていくことで、いつか通じていけるかもしれないひとつの極点のようにしてある光でした。
それは巨きな絵を描くという困難な航海のなかで、水平線のかなたに小さくともたしかに点る灯台のようにして、凪のときも嵐のときにも、あたたかく旅を見守りつづけてくれたのです。


Ⅱ 魔法のことば無名の神話

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翻訳家・金関寿夫によって著された「魔法としての言葉 アメリカ・インディアンの口承詩」。
原詩から英語へ、さらに日本語への二重翻訳という困難な仕事にもかかわらず、その魅惑的なことばの択びによって、彼らの精神世界に宿っている地霊のごときものを、遠く彼の地からたしかに届けてくれるものであるように思います。

そのなかでも有名な詩のひとつである「魔法のことば」は、自分でもどうして、と思えるほど自然に、何の違和感もなく心に入りこんできたのでした。


魔法のことば (エスキモー族)

ずっと、ずっと大昔
人と動物がともにこの世に住んでいたとき
なりたいと思えば人が動物になれたし
動物が人にもなれた。
だから時には人だったり、時には動物だったり、
互に区別はなかったのだ。
そしてみんながおなじことばをしゃべっていた。
その時ことばは、みな魔法のことばで、
人の頭は、不思議な力をもっていた。
ぐうぜん口について出たことばが
不思議な結果をおこすことがあった。
ことばは急に生命をもちだし
人が望んだことがほんとにおこった––––
したいことを、ただ口に出して言えばよかった。
なぜそんなことができたのか
だれにも説明できなかった。
世界はただ、そういうふうになっていたのだ。


この詩によって喚起させられる場面は、遥か昔にあったものというより、もはや過去も未来もこえた「時のかなたの風景」のように自分には感じられます。
それは誰にでも本来根ざしているはずの、実在にまつわる感覚––––現実か幻想かということを超えてリアリティを感応するちから––––と深くかかわるものであるようにも思います。

アメリカ・インディアンの多くは、一生のうち一度はかならずふるさとを離れ、ヴィジョン(幻)をもとめる孤独な旅に出なければいけないといわれています。そしていつかヴィジョンへと辿り着いたあかつきには、自分の歌と守り神を得て、ふたたびふるさとへと戻っていくのだそうです(なかでも特に強力なヴィジョンを得たものは、そのふるさとのシャーマンになるといいます)。
彼らの歌は、病気を治癒するための歌、恋人を得るための歌、豊作を祈る歌、雨乞いの歌、狩猟の成功を祈る歌などのように、その生活の素地をなすものとして「実用的に」機能するものです。それは言霊(言葉の霊力)と共に生きていく、原初的な詩人のいとなみそのものでもあるといえます。

宇宙の目に見えない霊と交流したり対抗したりする、超自然の能力を獲得するための、いわば呪術的な媒介として、歌(時には物語)はあったのだ。近代人のように、詩人の魂の個人的な叫びだとか、言語美の表現だとかいう動機でもって、「詩作する」のとは、全く異質の行為、つまり「文学」以前の行為なのである。言いかえると、詩作は知的行為ではなく、ヴィジョンを見て、それを言葉にすることにほかならなかった。


彼らの詩性にみちた生活は、本来的な生命の連帯からもはや遠く離れてしまった自分たちにとって、かぎりなく追従不可能なものなのかもしれません。
しかし少なくとも絵を描くことをとおして信じられる、あのめざましい感覚へと立ち返ってみるかぎりにおいては、「憧れ」という以前に「親しみ」という他にないような、ふかい共鳴をおぼえてしまうのです。
自分が絵によって表そうとしていることを、彼らはことばで表してしまっている…思い上がりかもしれませんが、そのように感じることが幾度となくありました。

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「歌と歌絵」
金関寿夫「魔法としての言葉 アメリカ・インディアンの口承詩」より


もうひとつ、自分が心惹かれた詩に「歌と歌絵」というものがあります。
これはアメリカ・インディアンがおもに白樺の樹皮に描いたという「絵」と、それを各部族における宗教的シンボリズムにもとづく絵解きとして生まれた「歌」のふたつの表現を呼応させることによって生まれたものです。

あどけない見方がゆるされるならば、それは落書きのような絵に、ただなんとなくそれっぽい話し言葉を添えたもののようにも見えなくありません。
しかしその溌剌とした表現を見ていくうちにいつの間にかわくわくしてきて、気がつけばこちらの創造性まで揺さぶられ、何か物語をつくりたくなるような衝動につい駆られてしまうのです。

実際に「歌と歌絵」に触発されてはじめるようになった、あるひとつの試みがあります。絵と言葉を、それぞれ片足のようにして歩んでいくことで徐々に発展を遂げていった一連の遊びのことを、自分は「絵の種」というふうに呼んでいます。

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「絵の種」の初期段階

いくつかのモチーフ(抽象的な記号もふくむ)を小さな紙に線画で描き、そこに簡単なお話の断片を添えていくことで、そこからだんだんと物語のようなものを広げていくことで、絵の種はどんどん成長していきます。
それは言わずもがな、「虹の上をとぶ船」の版画制作のはじまりにおいて子どもたちがおこなった小さなカード遊びにも、たいへんおおきな影響を受けたものでした。

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絵の種の発展。カードに小さなお話の一片を添えていく


絵描きとして活動をはじめた当初、作品をご覧になった方からよく「絵本はつくらないのですか」と言われることがありました。けれど自分の絵にお話を添えることは、敢えて遠ざけてきたように思います。それは自分の絵がことばよりも語りすぎてしまう、あるいは自分のことばが絵の力にまけてただ余計なものになってしまうということを、なんども痛感していたからです。
(親しくさせていただいていた絵本屋さんで展示をしたときに、店主の方から「くまくんは自分の絵をへたに物語らないほうがいいよ」という風に言われたこともありました)

すっかりふうじこめていた「絵と言葉」の表現でしたが、アメリカ・インディアンの「歌と歌絵」はそのように自分が抱えていた気負いを解き放つ、最良のきっかけとなってくれました。「上手か下手かは関係ない、まずは歩みはじめることだ。」という声にでも導かれていくかのように、どこまでも個人的な遊びとして、拙いながらもそれをおこなうことが次第にできるようになっていったのです。

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絵の種を「歌と歌絵」の形式に則って表したもの


一連の試みが行われたのは、じつは巨きな絵の制作が本格的にはじまる数ヶ月前のことでした。その時は作品制作との直接的な結びつけは特に考えておらず、あくまで独立した遊びとして勝手気ままに楽しんでいるだけでした。
しかし結果的にこの試みによって、絵と言葉の双方をとおして自分が語りうる物語、その根底に流れているものとは何か、ということが少しずつ確かめられていったように思います。

それは地上のすべてを照らし出す太陽から名もなき塵埃にいたるまで、すべての存在は神話になりうるという思いであり、やがて「無名の神話」ということばに集約されて、そのまま巨きな絵における、ひとつの主題となったのです。


Ⅲ 宮沢賢治の四象限存在の祝祭

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宮沢賢治という唯一無二の「現象」をとおして、社会学の泰斗・見田宗介が人間の自我のかなたを見つめた本「宮沢賢治 存在の祭りの中へ」。
かけがえのない本を、この胸のうちに幾つ数えられるだろうと考えるとき、この本は自分にとっておそらく、十指にみたないそれなのだと思います。

2017年冬、絵描きとして展示活動をはじめだした頃に自分はこの本の存在を知りました。そして「存在の祭りの中へ」というその傍題を目にした時、瞬時に熱いものが全身を迸ったこと、同時に「これは絶対に読まなければいけない本だ」という確信を持ったことは、いまでもよく憶えています。
それは「いかに生きるべきか」という自分の中で長らく逡巡していた切実な問いへのひとつの応えが、このきわめて僅かな言葉に凝縮されているように感じられたからなのかもしれません。

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見田宗介「宮沢賢治 存在の祭りの中へ」もくじ


その内容はふだん見慣れない用語も多々含まれており、けっして易しく読みやすいものとは言えません。
それでも「この本を、ふつうの高校生に読んでほしいと思って書いた」と著者の見田宗介があとがきに綴っているように、宮沢賢治の作品からの引用を豊富に含んだその文章は、言葉の果樹としてみずみずしいしずくの光を放ち、幾度もかじりたくなるような思索の養分を、至るところに実らせています。

本のなかでは、賢治の詩や物語においてよく登場するモチーフである「りんご」を「孔のある球体=四次元世界の模型」として捉える考察や、「万象同帰」という詩の一文にほのめかされるような、賢治の解放への希求と思想を、アメリカ・インディアンの神話にあらわれる二つの世界のまなざし「ナワールとトナール」の話をとおして考えてみたりと、自我論をその基底としつつ、じつに多層的・多次元的な論考を展開しています。

そのなかでも、宮沢賢治の作品と生涯をつらぬく転回の構造として著者が提唱した「宮沢賢治の四象限」は、そのまま世界のなりたちを、そして自分の生涯をもつらぬいてしまうような壮大な視座として、印象深くきざまれることとなったのです。

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宮沢賢治の四象限(見田宗介「宮沢賢治 存在の祭りの中へ」より)


これは元来、四つの長篇童話(ポラーノの広場、風の又三郎、銀河鉄道の夜、グスコーブドリの伝記)のあいだに宮澤賢治が連環を考えていた可能性がある、と指摘した詩人・天沢退二郎の考証をうけついだもので、そこに見田宗介による独自の解釈がくわわったものです。
幻想形態と現実形態」「存在肯定と存在否定」という、直交する二つの軸を基礎として展開された四つの象限は、それ自体が創造の源泉となりうるような可能性にみちています。

「この二つの軸の定義する四つの象限——Ⅰ<自我の羞恥>Ⅱ<焼身幻想>、Ⅲ<存在の祭り>Ⅳ<地上の実践>は、そのまま賢治の全作品全生涯をとおしてくりかえし現れる四つの原主題、——詩想も倫理も信仰も実践もすべてくりかえしそこに回帰しまたそこを出発してゆく原的な主題の連環に他ならない。」


「銀河鉄道の夜」の物語全体を敷衍してみたとき、はじめ友だちから疎外され、星祭りの外にいるジョバンニ」が、孤独のなかで天地を結ぶ「天気輪の柱」のところへいき草にたおれると、星祭りの中心である銀河それ自体へと一気にかけのぼっていき、カムパネルラとの旅を経てふたたび現実の生へと戻っていく、という一連の流れがあります。
著者によって物語の全体は、「幻想の回路をとおしての自己転回の物語」として捉えられます。祭りの外で孤立し、<自我の羞恥>のさなかにあったジョバンニは、現実から幻想へという世界の反転を経てカムパネルラと銀河鉄道に乗り、そのはてにあるであろう「終点」へは行き着くことなく、夢の終わりと共にふたたびの反転を経て、物語のおわりに地上へと降り立ちます。
丘を駆けおりると今度は疎外されることなく人々に受け入れられたジョバンニは、そこでカムパネルラを喪ってしまうことになりますが、幻想の旅のなかふたりで交わした誓いを胸に、そして牛乳と父の帰還の知らせを手に、母のもとへと帰り、そのまま<地上の実践>へと向かっていくのです。

「僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない。」
「きっとみんなのほんたうのさいはいをさがしに行く。」


その誓いはやがて<焼身幻想>、すなわち自己犠牲的な在りようにその結実を迎えることをしずかに予告すると同時に、それは「よだかの星」や「グスコーブドリの伝記」の顛末、そして何より賢治自身の生涯における希いとも重なって、まるでアコーディオンのように物語の外にまで、深く広くこだまするもののように思います。

「宮沢賢治の四象限」は、このような反転と転回の性質によって、一つひとつの物語とすべての物語、さらに賢治自身の生きた物語、そして言うまでもなく自分たちの物語においても、その倍音をはてしなく交響させてゆくものです。
それは単眼的な見方をすれば、無限に、ただ同じことをくりかえすだけの「循環運動」のように見えるかもしれません。しかしほんとうは、絶えず次元をつきやぶる解放の機縁をつねに内包し、ここではないどこかへ、永遠と今を共に抱え上昇し続ける「螺旋運動」のようなものではないでしょうか。
そしてその解放への振幅が最も高まる場として、鮮やかに示されたひとつの場こそが、<存在の祭り>において他ならないのだと思います。

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星祭りの夜 / 2018


あそぶこと(play)、いのること(pray)。人間の行為の原点であるような、ふたつのいとなみ。
そしてその結実であり、ほんたうのさいわいとしての「祝い」。

巨きな絵の制作において、みずからの奥底でつねに途絶えることのない灯であり続けたのは「存在の祝祭」ということばであり、先にのべた「無名の神話」と共にそれは、絵の根幹をなす原主題にふさわしいものでした。
そして巨きな絵にその二つの根を宿すために選んだ題材は、巨きな絵を描く約三年前にはじまった、幾つもの象徴的なイメージとの出会いによって物語として表れる、自らの絵の変容を巡る旅に他なりませんでした。

夏に森で出会った鹿のような木が、やがて来る絵の変化を予見したこと。
秋に落ち葉でつくった鳥たちが、新たな表現の仕方を目覚めさせたこと。
冬の寒空を充す星のような無数の点描が、表現を更なる次元へ導いたこと。
春に思いをはせた人々の暮しが、絵のひとつの結実を予感させたこと。
それら一連の出会いと気づきの場面は、自分の人生における様々な場面とも重なり、きわめて個人的な物語でありながら、神話的場面へと昇華しうるイメージの到来を予感させてくれたのです。
「宮沢賢治の四象限」は、その全容を四つの場面へと分化させ、かつ主たるモチーフを明らかにするための、この上ない霊源となったのでした。


Ⅳ 天地創造の刺繍布―世界する世界

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ジローナの「天地創造の刺繍布」
Tapestry of Creation - Wikipediaより


ヨーロッパ最古の大型刺繍作品の一つであり、ときには中世の曼荼羅とも目される巨大なタペストリー「天地創造の刺繍布」。
現存する部分のみでも高さ3.5m以上、横4.7mに及ぶこの刺繍布の成立は、11世紀末〜12世紀初めごろ、今から約千年近く前だといわれています。

実物はスペイン・ジローナ大聖堂の宝物館で保存されており、自分は図版をとおして観たにすぎないのですが、土着的なあたたかみを感じさせる種々のモチーフが中央の創造主を囲い、生命の発露を画面全体で祝福するかのような壮観なさまは、強く胸にせまるものがありました。
時のふるいにかけられて、かつて鮮やかであったはずの織糸たちは色褪せているものの、その穏やかな色彩はむしろ目に心地よく甘美ですらあり、動物や人物のユーモラスな造形と共に、深い安寧のようなものすら感じさせてくれます。

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日本の美術史家・金沢百枝が2008年に著した本「ロマネスクの宇宙―ジローナの《天地創造の刺繍布》を読む」では、刺繍布の研究史をおさえつつ、全体に表された複雑な図像プログラムが持つ意味内容を、真摯で根気強い図像学的考察によって、可能な限り迫ろうとしています。
創造主から農具にいたるまで、刺繍布に散りばめられた様々なモチーフの図像源を実地調査や幅広い資料から検証し、刺繍布の制作状況までも明らかにするその「見ることの徹底的な探求」は、圧巻という他ありません。

本の内容をふまえた上で、刺繍布がもつ絵画的な構造を概観してみると、円環部には天地創造の七日間が、その外縁部には宇宙観をしめす風配図と月暦図が、底部には聖十字架伝が表されており、中心の創造主を起点として放射状に折り重なるように、全体が形成されていることがわかります。
それぞれの場面は枠線によって明確に区切られていながらも、天地創造の七日間や月暦図があらわす時の巡りによって、全体を円環する息吹のようなものが感じられます。この重層する円環構造とでも呼ぶべき秩序によって、画面にあらわされたそれぞれの時空間は共時的な連繋をもち、さらに図像たちの身ぶりや目線とも相まって、まるで物語がおたがいに語りあうかのような印象を感じさせます。

「本書のような図像学的な研究では十分言及できなかったが、一つの作品と対峙したとき、真に心を打つのは、図像の意味内容ではなく、作品そのものが放射するエネルギーにほかならない。」


著者はその雄大な視野によって展開しつくした論考の末に、「結論」の章でこのような言葉を残しています。
自分にとっても「天地創造の刺繍布」をはじめて見たときに何よりも魅了されたのは、作品に込められた意味や仕掛け以前にまずもって眼前にとびこんでくる圧倒的な世界感覚のごときものであり、その瞬間において感受された光こそが、作品体験の本原といえるものでした。
どれほど緻密に組み上げられた構造であっても、最終的に収束していく先はそのような一点に他ならないこと、このような作品への視座は、巨きな絵を制作するうえでも非常に重要な手がかりとなったのです。

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コラージュの制作風景


生命の曼荼羅のごとく無数の動植物がコラージュされた、背丈をゆうに超える巨大な壁画。巨きな絵の制作を決意した当初、漠然と想像していたのはそのようなすがたでした。
それまでのコラージュ作品ではまずモチーフをつくることが先行し、その配置は画面上で動かしながら決める場合がほとんどだったのですが、巨きな絵はその規模ゆえ、闇雲にモチーフを配置するわけにもいきませんでした。
「宮沢賢治の四象限」を源として生まれた、個人的な物語を表す四つの場面は、モチーフのすみかをさだめるための一つの土壌となるものでしたが、それだけでは想定していた全体像は充たせないことが予想されました。
思い描いていた光の発露を絵において結実させるためには、物語をその内と外から振幅させる有機的な構造が必要であり、「天地創造の刺繍布」のそれこそは、模範とすべきものを大いに含んでいたのです。

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鹿の頭蓋骨に偶然生じたと思われる、複雑な亀裂の造形


絵の中の構図において、複数のモチーフを中心から外へと広がるように置いたり、鏡合わせに対置することは、樹がめらめらと根を伸ばし(放射相称)、動物が四肢を形成する(左右相称)のと同じように、自然界における形態発生をなす原理そのものでもあります。
このようにして絵をひとつの生命とみなす感覚は、「絵の声を聴く」ことを引き合いに出すまでもなく制作において自明のものであり、構図意識でさえもそれ自体をつらぬき裂開せしめてしまうほどの、鮮烈で生々しいものでした。

そして生命とは、創発という現象の塊です。蟻は個体としてはきわめて微小な存在でありながら、無数に集いちからを凝縮させることによって、巨視的に見たときに単純な総和を遥かに超えた、複雑なコロニーを形成します。
つぎはぎで縫い合わせたぼろ布の集合体が、時として一枚では想像しえないような凄みへと到達することもこれと同様ならば、人間の創造においても自然のそれと同じように、美を宿すちからが備わっているといえるのかもしれません。

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ラオスの少数民族・レンテン族のキウさんという手の不自由な女性が
独りで織り上げた刺繍曼荼羅


巨きな絵は、そこにみずからの生の極点を幾つもきざむこと、しかも一息にでなく時間をかけて、無数の夥しい手作業をとおしてきざもうとする作品でした。
それは描き手が頭から足先まで十全を尽くすことで、それまで生きてきたことで感じられた「世界そのもの」を、意識と無意識の双方から浮き彫りにせんとする試みでもありました。
自分がここで表そうとしている「世界」とは、「この世」として完結し閉ざされたひとつの世界ではなく、その外に無数に存在するであろう「すべての世界」をも含んだそれのことを指しています。
絵のなかで無数の生命がさざめきあい、物語が物語りあうことをとおして、世界が世界する感覚へと至ること。言葉にすると果てしなく壮大な視野ではありますが、巨きな絵において希求した到達点は、そのようなものであったように思います。

✴︎


虹の上をとぶ船、魔法のことば、宮沢賢治の四象限、天地創造の刺繍布…それぞれの出会いが、巨きな絵のなりたちにおいてその発想、思想、構造、形式、主題、物語、その他ありとあらゆる要素の決定におけるかけがえのない源であったことが、この連載で少しでもお伝えすることができたならばさいわいです。

次回は巨きな絵の制作について、その実際の過程をたどりつつ、どこまでたどり着くことができたかということを、じっくり追いかけていきたいと思います。

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コメント2件

じっくりと読ませていただきました。ありがとうございます。次回も楽しみにしています。
じっくりお読みいただけて、とてもうれしいです。続けていきますね。
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