見出し画像

覚書 2019-2022


覚書がわりにTwitterに残してきた言葉たちを、自分なりにまとめてみました。(2019.01〜2022.05まで)






救い


誰も救ってくれない領域が人生にはちゃんと用意されている

2019年2月14日 09:11


救われるためにも報われるためにも生きていない、と気づいてから、この人生は少し楽になったような気がする

2020年7月2日 21:36


癒し、人生に必要なもの
救い、人生に切実なもの

2022年1月12日 16:28



歩く


家にずっといたので、夜の公園を歩いた。歩いていると、だんだん自分が人間らしくなっていくのがわかる

2021年9月7日 22:00


僕などは歩いているだけで嬉しい

2021年12月17日 19:45




読む行為はあてどなく歩くのと似ていて、なにかを学習する、記憶するという目的に向かう読書という行為はほとんどしてこなかった。きまってみずからの凄まじい忘却力によって、まるでなにかが浄化されるかのように大小様々な知のつぶはかき消えていく。しかしそこに残る跡形を、愛している

2019年9月1日 12:54




誰かを、何かを愛することができなかったとしても、その愛せなかった時間を愛することはできるのだということ

愛せないと思う誰かがこの先現れたとしても、その人との時間を愛することはもしかしたらできるのかもしれない、ということ

愛については何も分からないけど、これらを信じてみようと思う

2019年11月20日 23:56



生きる


この世でもあの世でもない、他ならぬどこかのことをいつも想っている

2019年3月22日 00:54


この人生を侮ってはいけないし、見縊ってもいけないと思えるのは、うれしいし、いい考えだと思っている。ニヤニヤしてしまう

2019年6月22日 06:26


目で触れていくような生き方

2019年9月30日 12:50


宿命は完全に決まっていて、だからこそ完全に自由、というのがいまのところ一番信じられる何かに近い気がする

2020年4月2日 10:17


うつくしく生きようとは思わない、泥にまみれて、ぼろぼろになった身体が介して生まれたものに、わずかでも確かなものが宿っていたらうれしい

2021年1月25日 21:04



希望


生きていると、信じられないくらい素敵なことがちゃんと待ち受けているんだと思った。大丈夫、みんな順番待ちして、うずうずしながら待ってくれている

2019年4月16日 00:41


どこにいても、何をしていても、お互いが在ることが、しずかな希望となれますように

2019年5月1日 21:19


翼が生えたら
そのように想像するおろかさを守り抜くこと
自分のなかの少年は永遠に絶えない
それはおどろくほど希望そのものだ

2019年8月18日 21:55


“希望が みずからこちらへと歩き続けている として

鏡合わせのように こちらも向うへと歩いていけるだろうか”

2022年1月2日 07:17


自然


季節の巡りが、いま一番生きることの原動力になっている。自然観、のようなものはいつも人間のエゴから逃れられないのだけど、それを教義でなく独自のものとして育むことは、健やかなことだ

2019年4月12日 07:46


自分が環境を生きている、というより、環境が自分を生きているような感覚

2019年9月16日 21:31



生活


どんな風に暮らしたい?ときいて「地元でとれた季節の野菜使って料理して食べて、夜は寝て、そこそこ運動して、海行って山見て、車運転して、映画もうちょっと見れたらいいな」と答えてくれた大切な友だち、本当にそうだね、違う人生だけど、心からそう思うよ

2020年3月4日 23:25


「できることが増えていく日々にはよろこびがある」

2020年12月9日 23:55


生きている時間をいかに使うかについて、熱中している時間をなるべく多く持つという変わらない指針があって、今はますますそれを大事に思う。そうでない時間はいやでも向こうからやってくるからこそ

2020年12月28日 18:49


生活している、あるいは生活者である、という実感は実際のところ、まだまだ稀薄だと思う(生活ごっこの域を出ない)。
自分が画家とまでは言えなくとも、絵描きです、と言えるのは、未熟であっても、それだけ積み重ねて来た手応えがあるからだろうか。
生活もきっと同じだと、いまは信じてみる

2020年12月28日 19:39


三日か一週間くらい、おいしいものを作って食べることだけ考えながら生活したい。料理に心身を注ぐと、どれだけ生活が豊かになるかを知りたい

2022年1月13日 22:29



制作


きれいでなくてもうつくしくなくても、「ある」ことこそが詩の元素

2019年2月14日 09:15


やさしさをこじらせると、多分詩人のようになるのかもしれない

2019年2月23日 08:14


聖なるはりぼて

2019年2月26日 12:14


つくるなかで、明らかに手の流れがゆるやかになり、まるで世界の時間を無視したかのようにつくる時間がある。作品で多少なりとも生計をたてるならば忌避すべき時間なのかもしれない。だけどもし、作り手として人に届けることを全く放棄していいなら、自分はその時間をこそ、限りなく愛してしまうだろう

2019年3月31日 23:16


生きているうちに誰にも伝えようのない、ことばにも絵にもすることのできないしする必要のないすべてのもの、それらをきちんと大切にしていたい、と地元に帰って思った

2019年6月13日 21:16


小さな神話

2020年7月18日 22:56


「人間と自然との隔たりの消失点としての神話」

2021年6月29日 19:07


自分にとって絵がどうあるべきか、という問いは世界がどうあるべきか、という問いと等しいのかもしれない
(どうあるべきか、などと問いかけてしまうことの愚かさを噛み締めつつ)

2021年8月29日 23:31


見立てる力はイメージの振幅をうながし、たがいの連繫によって物語が生まれ、発展し、やがて生命の祝祭が創造されていく
笑われるくらい雑に、雑に。それがいい

2021年8月31日 04:36


“今やったことが当たり前になるまで頑張れ”という言葉、制作のうえで肝に命じすぎてもすぎることはないな

2021年9月14日 22:57


火山の花、という着想を得た

あどけない断片たちに何かを見出すたび、まるでそれが世界の神秘や秘密であるかのように感じられて(そんな筈はなくても)、ひとりうれしくなる。このことをくりかえし、くりかえすことで降り立つ場所は、きっとあるのだろう

2021年9月29日 22:23


上るのではなく下りていくように絵を描く、ということ
下らない、を寧ろすすんで更新しつづけたい
何かがそこから裂開すると信じている、信じてみる

2021年10月19日 22:09


きれいでもうつくしいですらもなく、ただざわざわとする感覚がもっと高ぶりをもつように、描く、をできたら。そのためにはこわかったり、まぶしかったりするものとの触知が不可欠なように思える。美を意識しないこと、動植物のそれのように。いや意識するとて、それをつんざくほどの生であること

2022年3月28日 17:51




光か風かでいえば、この先は風だな、と思う

2019年3月3日 17:34


「行くことによって、どこへ行くべきか、わたしは学ぶ」
I learn by going where I have to go
北米の詩人レトキの言葉。いいな

2019年8月27日 09:48


たくさんの小さなふるさとを持つこと。翼をなす無数の羽根のように。あざやかな結葉をなす若葉の群れのように。自らもその一縷となり、かつその全体となり、風となって

2020年3月18日 23:45


旅をしようとしてたのではなく、歩こうとしていたのだと分かった。小さいようで、これはとても大きな大きな違いだ

2020年4月9日 16:42


「果てしない草原を前に胸を高鳴らせ、いままさに駆け出そうとする少年のような心持ちで」

2020年7月26日 14:36




完成しないから魂なのだと、ふと思った

2020年9月23日 09:53


たましいに触れる ということについてずっと考えている

2022年1月18日 23:03



人間


大切なものを守るためには変わらなければいけないと、どこかでずっとそう思ってきた。でもその前に、大事なものを守るためにはますます自分自身であり続けることがもっと重要なのだと思うようになった。自分自身であり続けるために、変わっていけたらいい。これは決して矛盾していないと思う

2019年1月21日 22:37


自己否定のかなたから戻ってきたとき、人間であることは変にあかるくおもしろいなあという気分をそこから連れて帰ってきた。これは自分にとって案外頼れるもので、そこには透徹したまなざしのようなものさえも感じられることがある

2019年2月2日 20:39


ある切り口でいえば、僕はあなたになれない、他の誰でもない何かでしかないし、それでいいのだけれど、それでも僕はあなたであり、他の誰にでも、何にでもなれる存在であると、おろかな虚言に過ぎなくとも、その気持ちはほろぼさずにいたい

2019年3月23日 04:42


「善とは、人やものに、より多くの実在性を与えてくれるものであり、悪とは、実在性を取り去るものである」シモーヌ・ヴェイユ

2019年6月25日 14:23


一番こわいのは、抱きとめているはずの大事な袋のなかがいつのまにか空っぽになってしまうこと。そうならないために出来るのは、予感や運命を信じる以前に、自分自身を信じること。鍛えること

2019年8月28日 20:25


最近よく思うのは、ひとはめいめい生まれながらにして持ち生きることによって育んでいく時間感覚・空間感覚のようなものがあって、それを他者の時間感覚・空間感覚によって過度におかされるとき、存在が危ぶまれてしまう、ということ

2019年9月5日 08:18


「わかりあえなさへの敬意と同意」を相手との関係において深くすることは、ときに想像を絶するほど困難な作業だけど、人としてできることを一つひとつやっていくしかない。
その最たるかたちの一つが、表現や芸術と呼ばれる活動なのだと思う。
道半ばで斃れるとしても、それをずっと信じ続けていたい

2019年10月1日 21:46


ユーモアに磨きをかけて、逆境にはよりニヤニヤして、健やかに太っていくだけでも、今よりずっと強くやさしくなれるんじゃないか

2019年10月23日 20:11


人生の何処かで脱皮するようにして放った生き方が確かに幾つもあって、その自分が歩いていたかもしれないような道のずっと先を、今日も誰かが笑ったりめんどくさがったりあくせくしながら生きている、それはむしょうに嬉しくて有難いことだなと思う

 2020年3月4日 23:34


さびしいというのは植物にはない動物特有の揺らぎなのだなと、胸の空くような感覚に浸された朝とともに。これは隔たりをもちいずれ交わりを欲する生命として、たしかに自然な感覚なのかもしれないとも思う

2020年4月13日 06:39


隔たりが交わりを生んだのか。そうか

2020年4月13日 09:21


「教育は不便なるがよし」いい言葉

2020年12月6日 14:34


切実さの消失こそが平和なのだろうか

2021年3月15日 12:22


守りたいものは守りたい、そしてそれは理屈ではない

2021年9月21日 14:15


人間であること いつも明るくあざやかに 見失っていけますように

2021年9月28日 22:15



強さと弱さ


弱いこと、に対しては、いま一番思いが複雑になってきている。自分の弱さに対しても、誰かの弱さに対しても。強者の倫理はぞっとするほど、自分の中にある。それが自分を時に守る盾になることも、もうすでに知ってしまっている

2020年4月5日 00:31


強いか弱いか、ではなく、強さと弱さは同居するということについて、この頃考えている。強くなりたいけど、その時同時に弱さを失ってしまうなら、そのような強さは求めたくない、とも思う

2021年10月10日 09:18




ひかりあるところは、においに満ちていた

2021年7月1日 22:30


ひかりの中でいのちを燃やせ、という言葉が昨夜長距離を運転している途中でふとよぎった。秋の燃えるような紅葉の中を歩きたい

2021年9月26日 06:55


昔一緒になった人がつい最近結婚したのだけど、その人が書いていた「光あるうちに光の中を歩め」という言葉をこの頃よく思い出す。それと同時に思う、闇から光へ来たことは進歩でも何でもなく、それぞれがあくまでひとつの状態に過ぎないのだ、と

2021年9月27日 23:40


燦然とかがやく光の中は時として永遠のようにおそろしいが、そのなかで自らを象るのは、かつて闇から移行してゆくなかで知った「自らもまた発光体である」というあざやかな事実でもある

2021年9月28日 22:09


生きている という以上の輪郭を保つことができない
そこに光を見いだすのは、別の存在

2021年10月21日 11:37


より光ある方へではなく、より光と闇のある方へ、それが自分の選択基準なんだなとこの頃思う

2021年10月31日 00:54



いただいたサポートはすべて、旅のために充てたいと思います。