見出し画像

祈りと量子論について思った

先に言い訳しておくと、私は量子論について何か知っているわけではない。
ネットに転がっている話を拾った程度だ。

それでも充分に量子論というやつの不思議さを感じた。
量子コンピューターとやらが本格的に出てきたら、情報処理系の資格の難度は跳ね上がるのではないか。

まず、量子論とは何なのか。

第二次世界大戦の真っ只中、アメリカではマンハッタン計画が進行中だった。その成果が原子爆弾。

原子爆弾は科学の最先端だった。その科学の発展の基本理論となったのが、相対性理論だ。

対してナチス。
ジョジョの奇妙な冒険における名台詞
「ナチスの科学は世界一チイイイイ!!」
に代表されるように、その科学力の高さは有名だ。

そのナチスの科学力を支えたのが、量子論。

つまり私は、アメリカvsナチス、相対性理論vs量子論という感じで、二元論的に量子論の立ち位置を理解している。
事の正確さはともかく、その方が分かりやすいしワクワクするからだ。

さて、相対性理論に相対するのが量子論だと考えると、こんな考えが頭に浮かんでくる。

「量子論は、相対性理論が到達しなかった、と言うより通過することがなかった、とんでもない場所へと人間を導くのではないか。」

そうなると、
「現在オカルトとされるものは、量子論で証明される可能性があるのでは!?」

ワクワクしてきた。

量子論の不思議は以下の点にまとめられると思う。

1.物質の最小単位である素粒子のレベルになると物理法則が通用しない。

2.事象は観測されるまで確定しない。

3.観測の有無で事象は変化する。

難しくてちょっと手に負えないので私の理解はここが限界だ。

量子論の不思議については、シュレーディンガーの猫や二重スリット実験のエピソードが有名なので、ググってみることをおすすめする。

まとめると、物質の最小単位である素粒子は観測によって在り方を変える。原子核の周りを回っている電子が観測によってどっかにいけば、物質の性質が変わるということだ。

要するに私達が住むこの物理的な世界は、観測によって構築されているのだ。

では、観測とは何なのか。

私は観測とは、認識することだと考えた。

あなたが座っている椅子も、あなたが認識しているからそこに存在している。

認識していないものは存在しないのである。

私達一人一人が、それぞれ認識している世界、
それが私達が生きている宇宙だ。

宇宙は、各々の認識の数だけ存在する。
同じ空間を共有してはいるが、各々が生きる宇宙は全くの別物で、

あなたが生きる宇宙は、あなた専用と言うことだ。

で、あれば、今自分が生きているこの宇宙を自分の理想の世界にすることもできるはずだ。

その方法は、理想の世界を観測すること。この世界が理想の世界だと認識してしまうことだ。

理想の世界をイメージするのは誰でもできる。
こうだったらいいのになぁ。と思うことは簡単だ。

しかし、こうだと認識するということになると話は別だ。
イメージではなく、完全に思い込む、極当たり前として信じきることが必要になってくる。

そのために必要なものは、信じる心。

宗教というものの存在意義が分かった気がする。

宗教とは、道徳教育や支配体制維持のための道具ではない(もちろんそういった側面もあるだろうが。)。

信じる心を強化するためのものだ。

虚空に向かって何かをイメージするよりも、神前に向かった方がより強力に良いイメージができる。

それが祈りだ。

私達が神社や教会で、さんざん行ってきたことだ。

この論理でいくと、私達は全員願った通りの世界を生きることができるはずだ。

しかし、例えば「宝くじに当たりますように」と願ったところで、宝くじに当たることはない。

何故か。

それは、宝くじに当たる自分を観測できていないからだ。
そもそも、宝くじに当たるなどという曖昧な思いは、観測するには具体性に欠けているのだ。

宝くじに当たった自分はどうしているのか、それを強烈にイメージすることが、いや、思い込むことが大事なのだと思う。

宝くじに当たった自分が何をしているのか、突き詰めて考えると、自分が本当に望む物が見えてくるかもしれない。

多分、銭ではないと思う。

偉そうに書いてきたが、私も自分の宇宙を思うままに操っているわけではないし、何なら思い通りにならないことの方が多い。

人が観測によって現実に干渉する力は、常識という誤った教育によって奪われたのだ!という陰謀論も思い付くが、そこまでぶっ飛ぶにはまだちょっと力不足だ。

ここまで書いてきたことも、胡散臭いなと我ながら思う。

ただ、私はこの考えに至って少し気楽に生きられるようになった気がする。

これから不幸なことも起きると思う。しかし、それは自分が生きるこの環境と、自分自身が観測した結果だ。

その不幸を乗り越えるイメージを持って、乗り越えられるだろう。

ここは、私の宇宙なのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?